まんじゅう怖い
※公式本編沿い江戸療養中のお話です。
すっかり夜も更けて、寝る前の薬の時間。
部屋の隅にある蝋燭の灯りがぼんやりと部屋を照らしている。
千鶴は、ちょうどさきほど沖田をしかりつけて無理やり飲ませた薬の包み紙や水が入っていた湯呑やら匙やらを、お盆にのせて片付けていた。
「……千鶴ちゃんってさあ、なんでそんなに偉そうなの」
嫌いな薬を飲まされた総司が、ムスッとした顔で言った。
千鶴は一瞬手を止めたものの、また片づけを続けながら答える。
「別に偉そうになんてしてません。沖田さんがわがまますぎるだけです」
「……ふーん……」
いろんな意味が含まれていそうな流し目で千鶴を見て、総司は続けた。
「そういえばさ、千鶴ちゃん知ってる?隣の家の話」
「隣の家、ですか?」
松本から提供されたこの江戸での隠れ家の隣は、だれも住んでいない空き家になっている。
「うん、今日僕、お手伝いの人に聞いたんだけどね、あそこ借り手がつかない理由があるんだって。その理由ってのはね……」
総司は話し出した。千鶴も思わず手を止めて離しに聞き入ってしまう。
「……ってわけで嫁にいびり殺されて埋められたおばあちゃんがさ………デるんだってよ」
両手をうらめしや〜の形にした総司を、千鶴は青ざめた顔で見た。
「デるって、何が……」
「いやだなあ、決まってるじゃない。ゆ・う・れ・い」
「……」
「特に若い娘をこのんで呪い殺すとか言ってたな」
「……何を馬鹿なことを。ゆ、ゆうれいなんているわけが……」
「ふーん、ま僕は『若い女』じゃないからどっちでもいいけどね」
「……」
総司がニヤニヤ笑いながらチラリと千鶴を見ると、彼女は妙に神妙な顔で片付けている。指先がかすかに震えているようだ。
「じゃ、クスリも飲んだし、僕もう寝るね」
「は、はい。おやすみなさい」
そう言って灯りをけし、不安げな顔で廊下へと出ていく千鶴に、総司は背中越しに笑いをこらえて布団に横になった。
しばらくうとうとしたのか。カタンという小さな音で総司は目を覚ます。
廊下から聞こえてきたその音に、何かと思い総司が障子を開けると……
「千鶴ちゃん……」
千鶴が掛布団にくるまって廊下で寝ようとしているではないか。
「何やってるの」
「お、沖田さん……。あの、その……おばあちゃんが……」
総司は、内心の飛び上がらんばかりの大笑いを隠して、がしがしと頭を掻いて溜息をついた。
「そんなところで寝たら風邪ひくよ?……何?怖くて眠れなくなっちゃったわけ?」
「……」
コクンと頷く千鶴に、総司はニヤニヤしそうになる口を手のひらで隠した。
「で、僕と一緒に寝たいと」
「……」
コクン
「前に添い寝してって言ってた時は、『添い寝なんて…!』って感じだったのに?してほしいの?」
「………」
楽しそうな総司の口調に、千鶴は悔しさを噛みしめた。
これは絶対いつも無理矢理薬を飲ませている報復に違いない。
でもあれは総司のためなのに……!
しかし一人だと怖くて眠れないのも真実で……
千鶴はわきあがる悔しさと敗北感を押さえつけながら、しかたなくもう一度うなずいた。
「え?わからないよ。君の気持ちをちゃんと言葉できかせてくれないと」
ギリッと奥歯を噛みしめながら、千鶴は口を開く。
「……一緒に寝てください」
「もういい年した大人なのに幽霊が怖いので、でしょ?」
「………『もういい年した大人なのに幽霊が怖いので、一緒に寝てください』」
もう!と思いながらも、千鶴は総司の言うとおりに復唱した。
棒読みになっていたのはせめてもの反抗だ。
しかし、千鶴がこれだけプライドを捨てたというのに総司の反応は……
「うーん……残念ながら一緒に寝るのは無理かなあ」
は!?と千鶴は顔をあげた。
断るのなら何故ああ何度も何度も『お願い』をさせたのか。
前は添い寝しろ添い寝しろと言ってきてたくせになぜ今になって断るのか……!
怒りだしたいが怒りだしたせいで一人で部屋に帰されるのは困る。
だって……やっぱり怖いのだ。
どうすればいいかと千鶴が考えていると総司が言った。
「前は『添い寝して』とか気軽に言ってたけどさ、やっぱり千鶴ちゃんももういい年した女の人なわけじゃない。さすがに僕だって男だからさ。やっぱりまずいかなって思うんだよね」
「そんな……!」
「でも犬なら大丈夫だよ」
「……え?」
キョトンとした千鶴に、総司の晴れやかな笑顔がふりかかる。
「千鶴ちゃんが若い女の人なら一緒に寝てあげられないけど、犬なら一緒に寝てあげられる」
「……それはどういう……」
「『それはどういう』じゃないでしょ、犬ならほら、ワン!って言わないと」
吹き出しそうになるのを必死でこらえている体の総司を見て、千鶴はさすがに屈辱に震えた。犬のマネなんて……!
「わ、わん……」
幽霊の怖さにはかなわない。千鶴が俯いて小さく吠えると、総司はとうとう我慢ができなくなったようで、お腹をかかえて笑い出した。
「わ、わんって……!あっはっははは!あははははは!わ、わ、わん……あっははは!ちょっと声が小さくて聞こえなかったよ。もう一回鳴いてみて」
もうこうなれば一回も二回も同じだ。
「わんわんわん!」
千鶴が顔をあげて大きな声で吠えると、総司はぎゃははははは!とお腹を押さえて大喜びだ。
ここまでしたのだから一緒に寝てください!と言おうと千鶴が口を開けたとき……
背後の庭木で、ガサガサガサッと大きな音がした。
千鶴ははっとし「きゃあ!」と声をあげて総司に抱きつく。
「お、沖田さん!今何か音が、音が……」
総司は一瞬敵かと鋭い視線を暗闇に投げたが、どうやら古くなった枝が落ちただけのようだ。
しかしもちろんそれを千鶴に言うつもりなどない。
「しっ静かに!よく見えないけど、後ろに確かに何かいるみたいな気配が……」
深刻ぶった声でそう言うと、千鶴はさらに顔を総司の胸にうずめてしがみついてきた。
総司はニヤニヤしながら千鶴を抱きかかえて部屋の中にはいり、障子をしめる。
布団の上にそっと座ると言った。
「本当に犬だよね?女の子だったら……」
「わ、わんわん」
慌てたような千鶴の声。総司は千鶴の頭の上で笑いをかみ殺し、二人の上に布団をかける。
「もう一回かわいい鳴き声が聞きたいな?」
「……わん」
それを三回ほど繰り返して遊んでいると、最後の千鶴の鳴き声は「ぐー!ぐるるるるうる!」という唸り声にかわった。それを聞いて総司はまた笑いだす。
「わかったわかった!ホントに犬だね。じゃあこのまま一緒に寝よう」
ほどなくして、総司の腕の中からは「スーッ」という安定した気持ちのよさそうな寝息が聞こえてきた。
総司は少しだけ体を離して腕の中の千鶴を覗き込むと、気持ちよさそうに眠っている。
「やれやれ……」
真白な肌に重たげな黒い睫、薄ピンクの頬に柔らかそうな唇。
なにもつけていないはずなのに、甘いいいかおりが総司の鼻をくすぐるし、柔らかな脚は総司の固い脚の間にちゃっかりと挟まっている。
「……ほんとに犬なら楽なんだけどね……」
さんざんからかって楽しませてもらったのだから、まあ一晩分くらいの睡眠不足は大目に見てあげるか、と総司は眠るのを諦めて、千鶴を抱きしめたまま天井を見上げたのだった。
次の日用事をすませて早朝に帰ってきた山崎に見つかり、総司ともどもこってり絞られた後。
山崎がぷりぷりしながら立ち去っていくのを確認してから、総司が千鶴にぼやいた。
「あーあ、また叱られちゃった。今回は千鶴ちゃんのせいだよ」
「すいません……でも、沖田さんがあんな怖い話をするから……!沖田さんみたいに怖いものが無い人には私の気持ちなんてわからないんです」
ぷっとむくれた千鶴を見て、総司は改めて考えた。
怖いもの……か…
「怖いもの、あるよ」
総司の言葉に千鶴は驚いた。
剣も強いし心も強い。
何にもこだわらず命にすら執着しないようにみえる総司に、怖いものなんて本当にあるのだろうか?
「千鶴ちゃんが怖い」
総司の返事に千鶴はガクンと拍子抜けした。
「わ、私は全然怖くないじゃないですか!お薬のときにいろいろ言うのは、あれは沖田さんのために……」
「いや、それじゃなくてさ」
そう言うと、総司は笑みを含んだ目で千鶴を見る。
「その大きな目とか、柔らかそうな頬が怖い。後は……触ると気持ちのよさそうな黒髪も怖いかな。それに唇も、耳も、首も、手も、あとはその無自覚な性格とか無邪気な笑顔とか心配そうな泣き顔とか……みんな怖いよ」
キョトンとした顔で自分の顔を触ったり手を見ている千鶴ににっこりと微笑んで、総司は立ち上がった。
「さてと。夕べは全然眠れなかったから二度寝でもしよっと」