【それでいいの?】
「ちょっと僕お金おろしてくるよ」
土曜日の大型ショッピングセンター。総司と千鶴は食糧の買い出しに一緒に来ていた。ATMに向かう総司の均整のとれた後姿を見送り、千鶴は暇つぶしにすぐ近くにあったジュエリーショップのショーウィンドウを見るとはなしに眺める。ネックレス、ピアス、イアリング……。きれいにライティングされた宝石たちがきらきらと輝く。そのジュエリーショップは宝石の種類ごとに展示をしているらしく、千鶴が今見ているブースは真珠を使ったアクセサリーが、ネックレス、指輪、ピアスと種類ごとに並べられていた。
千鶴はゆっくりと隣のブースを見る。そこは『アクアマリン』というプレートが置いてあり、薄い水色の透明の石の指輪やネックレスが置いてある。その次は定番のダイアモンド、その隣は……ぼんやりと眺めていた千鶴は、隣のブースの石に目を少し見開いた。
「ペリドット」
千鶴は小さな声で置いてあるプレートを読んでみた。宝石にあまり詳しくない千鶴は、その石の名前は知らなかったけれどその石の色に少し驚く。
沖田さんの瞳の色にそっくり……。
千鶴は思わずガラスに手をつけて覗き込んだ。一番手前の指輪に飾られているペリドットという石の色は、まるで怒った時の総司の瞳の色のように薄く透明な緑色だった。その向こうの指輪に使われている粒の大きなペリドットの色は楽しそうに笑っている時の総司の瞳の色だ。それをいうならあのピアス。
あれなんて意地悪なことを言ってにやにやしているときの沖田さんの瞳にそっくり……。
千鶴は思わず夢中になって、アクセサリーを覗き込んでいた。
「何か欲しいのでもあるの?」
後ろから聞こえた総司の声に、千鶴は思わず、ひゃっ!と声をあげた。
「あ、お帰りなさい。気が付かなかったです…。行きましょうか?」
そう言った千鶴にかまわず、総司は、これ?とさっきまで千鶴が食い入るように見ていた、粒の大きなペリドットが使われている銀色のリングのシンプルな指輪を指差した。
「きれいだね。千鶴ちゃんあんまり指輪してるとこ見たことないけど、こういうの好きなんだね。買ってあげようか?」
これぐらいの値段なら大丈夫だし、総司がそうつぶやいて、先ほどからこちらを気にしている女性店員に手を挙げて呼び寄せようとする。千鶴はあわてた。
「お、沖田さん…!いいんです。私別に欲しいなんて……。しかもこんなに高価な指輪…!」
「大丈夫だよ。千鶴ちゃんには何にもプレゼントしてないし…。あ、すいません。この指輪、見たいんですけど」
後半の部分は、にこやかな笑顔でこちらに来た女性店員にむかって言う。女性店員は愛想のいい笑顔で、にっこりとうなずくと、鍵でガラスケースを開け始めた。
「こちら、きれいな黄緑色ですよね。台座をホワイトゴールドにしてお値段を安く抑えているため、その分石の方は見栄えのするいいものを使わせていただいているんですよ。この指輪の石はほんとにいい色がでてまして……」
説明しながら指輪を取り出す女性店員に聞こえないように、千鶴は総司の服をひっぱって体をかがめてもらい、総司の耳に向かってひそひそ声で焦って言った。
「沖田さん!ダメです。いらないです。断ってください!」
「なんで?僕がいいよ、って言ってるのに?」
「こーゆーのは、彼氏さんが彼女さんに贈るもので、私みたいなのにはいいんです!」
千鶴の言葉に、総司はかがめていた体を起こして、千鶴の顔をまじまじと見つめた。
「……私みたいなの、ってどういう意味?」
「だから、か、体だけの……」
手袋をして指輪を持った女性店員がこちらを見ているため、千鶴は赤くなって口ごもりながら、小さい声でそう言った。
総司はスッと目を細め、少しの間千鶴の顔を見つめる。
「……千鶴ちゃんは、それでいいんだ?」
「?…特に不満はありませんが…?」
総司のそばにいることができて、千鶴はとても幸せだった。彼女になりたいなんて贅沢までは望まない。
「……ふーん……」
総司は自分の顎に手をやりながら、そうつぶやいた。
「セフレってこと?」
妙に平坦な声で言う総司に、千鶴は尋ねた。
「せふれってなんですか?」
目を剥いている女性店員をしり目に、総司は続ける。
「セックスフレンドってことだよ」
「……!」
女性店員と総司と、あわあわと目をやって千鶴は真っ赤になった。こんなところで、こんな大声で……!焦っている千鶴の腕を掴んで総司は女性店員に、あ、それやっぱりいいです、と言うと千鶴をひっぱって歩き出した。
「そういうことならそういう扱いをしないとね」
ずんずんと千鶴をひっぱって歩いていく総司に、千鶴は小走りになりながらついていく。後ろから必死になって覗き込んだ総司の瞳は、とても薄い黄緑色になっていた。
乱暴に車に乗せられ、そのままショッピングセンターを出る。買い出しはどうするのか聞きたかったがとてもそんなことを言える雰囲気ではない総司に、千鶴は沈黙した。総司の台詞からこのまま家に帰って、そういうことになるのか、と思っていたのだが総司は家へ向かう道とは違う道に車を走らせた。どこへ行くのかと思っていると目の前に派手な建物が見えてきて、妙なビラビラが垂れさがっている駐車場に車は迷いなく入って行った。
「ここって……」
「エッチホテルだよ」
「あ、あの……何もこんなところじゃなくて家で……」
真っ赤になって車から降りようとしない千鶴を、総司はまた腕をつかんでおろして、千鶴の言葉には答えないままなにやらいろんな部屋の写真がある場所まで連れて行く。
「うんとエッチな部屋がいいよね」
冷や汗をかきながらあたりを見回している千鶴をよそに、総司は部屋の種類を眺めて選んでいる。そのうちの一つを見たときに、総司の目がきらっと光り、これにしよう、と言った。それは一面に鏡が使われている部屋だった。
部屋に入った千鶴は、中の異様な雰囲気に入り口で立ちすくんだ。向かい側の壁一面に張られている大きな鏡に自分たちが映っている。千鶴は身をすくめた。総司はそんな千鶴のことはお構いなしに部屋に入っていき、濃いピンク色の丸いベッドを覗き込む。
「千鶴ちゃん、こっち来てごらん。ここからだとすごいよ」
総司に手招きされておずおずと部屋の中に踏み込むと、前側の壁だけではなく、横後ろとすべてが鏡張りになっていた。どこを見ても自分たちが映っている。
ピンクの掛け布団に白いシーツのベッド。鏡がない壁の上部分も薄いピンクで、カーテンは濃いピンク。ベッドサイドのテーブルには何に使うのかわからないものがおいてありその奥にガラス張りになって中が丸見えのバスルームがあった。
千鶴は怖くて泣きたくなった。何故こんな見世物のような場所でわざわざそんなことをしなくてはいけないのだろう?総司は本当にこんなところでしたいのだろうか?自分はこんなところでそんな行為ができるだろうか。今ですら足がすくんで動けないのに。
総司は固まっている千鶴を引き寄せると立ったまま後ろから抱きしめた。前の鏡には後ろから覆いかぶさるようにして総司に抱かれている千鶴が映っている。その表情は強張り今にも泣きだしそうだ。総司はうなじに口づけをしながら両手を千鶴が着ている薄いオフホワイトのふんわりしたオーバーブラウスの下に入れた。そしてブラの上からゆっくりと胸を撫でまわす。そんな仕草すべてが目の前の鏡に赤裸々に映り、千鶴はあまりの淫らさにいたたまれなくてぎゅっと目を閉じた。
「……目を開けてよ」
総司が耳たぶを食べるように舐めながら言う。
「セックスフレンドならちゃんとセックスで楽しませてくれなきゃ」
そう言うと、強引に千鶴の両手を挙げさせブラウスを脱がせた。そのまま薄いオレンジ色のブラもはずそうとする総司に、千鶴は思わず抵抗する。しかし総司の力にはかなわずブラも外されてしまう。両手で胸を抑えて総司から離れようとする千鶴を、総司は簡単に捕まえるとベッドに押し倒した。
「…あっ」
小さく叫んで仰向けに倒れこんだ千鶴の上に、総司がのしかかってきた。思わず見上げた天井も鏡張りで、総司に抑え込まれている自分が、まるで肉食獣に体を貪られて死んでいく草食動物のように見えた。強引に千鶴が履いているショートパンツを脱がされ千鶴はほぼ抵抗をあきらめた。今はただこの恥ずかしい時間が早く終わってくれるのを待つだけだ。目を閉じると涙が目じりを伝うのがわかったが千鶴はそのままじっとして総司の好きなようにさせた。
「なんで抵抗しないの」
総司が少し息を乱して千鶴の胸にキスをしながらつぶやく。
「……だって、それが私の役目だから…」
千鶴のか細い声に総司は動きを止めた。しばらく総司はそのまま固まっている。そして呟いた。
「……ひどいね…」
そう言うと千鶴の隣に仰向けに倒れこんだ。腕で目のあたりを覆っているため表情はわからない。千鶴は天井の鏡に映っている下着だけの自分が恥ずかしくて、横向きになると体を丸めた。
どれくらいそうしていただろう。しばらくすると総司がそのままの姿勢で聞いてきた。
「千鶴ちゃんは、これまで役目だから僕とそういうことをしてきたの?」
「……これまでは、別に……。私も嬉しかった…です」
総司は大きく溜息をつくと、千鶴を抱き寄せた。その腕がやさしかったので、千鶴はほっと体の力を抜く。総司は涙でぬれた千鶴の顔を、まだ服を着たままの自分の胸に引き寄せて、背中と髪をゆっくりとなでた。
「……したくないときは断ってもいいんだよ。逆に、断ってほしい。エッチって二人でするんだしさ。僕一人じゃ楽しめないよ。確かに『気持ちのこもらない体だけの関係』だけど、契約事項の三項目目ってのがあったでしょ。お互いを思いやって大事にするってやつ。君に僕のことを欲しいと思ってほしい、っていうのと、君が欲しいと思っているものを贈りたい、っていう僕を、思いやって大事にしてくれない?」
傷ついたような口調で言う総司に、千鶴はじんわりと暖かな気持ちになった。自分でつくったルールに縛られ過ぎて、逆に総司を傷つけてしまっていたのかもしれない。千鶴はそのまま総司の胸の中でちいさく、はい、と返事をした。
「……でもあの指輪は、本当にいらないんです」
つぶやくように言った千鶴の顔を、総司は体を少し離して覗き込んだ。総司の瞳は、あの指輪よりも濃いきれいな若葉の色になっている。
「あの指輪、石の色が沖田さんの優しいときの目の色にそっくりで……それで見てただけなんです。もう今はここに、あの石よりきれいな本物があるから……」
千鶴はそう言って総司の瞼を、触るか触らないかの近さで、指先でそっと撫でた。
「……だから、指輪よりも本物が傍にいて、私を見ていてくれる方が嬉しいです」
千鶴の言葉に、総司はかすかに笑うと、もう一度千鶴をぎゅっと抱きしめた。
「……ねぇ、ここでエッチするのは、やっぱりいや?」
千鶴のウエストをなでながら聞いてくる総司に、千鶴は総司のさきほどの言葉に甘えてきっぱりと言った。
「嫌です」
戻る