【嫁に行くときに】

 

 

両家の顔合わせは、京都駅からタクシーで20分ほど行った所にある格式ある落ち着いたホテルのレストランだった。
京野菜ををフレンチやイタリアンにアレンジしているレストランで、個室を予約する。


千鶴は数日前から京都の実家に帰っていた。
久しぶりに千鶴が夕飯を作る。鋼道は喜んでくれたが、薫は一言もしゃべらなかった。
薫は好き嫌いが多く、さらに好きな物を作っても『少し塩辛い』とか『今日は魚の気分じゃない』とかで残すことが多かった。
けれどもその日は、「ごちそうさま」とぶっきらぼうに言い捨てて席を立った後の食器は綺麗に一粒のご飯も無しの完食だった。

 少しは許してくれる気になってるのかな……

千鶴は食器を片づけながら考える。
明日の両家顔合わせ。もちろん薫の席も予約しているが薫は大学の用事があると言い張って欠席すると言っていた。鋼道も千鶴も散々説得したのだが薫は意見を変えなかった。
総司とのことについても『好きにすれば』と言っていて、賛成してくれているのか反対すぎてなにも言いたくないのかわからない。
千鶴は食器を洗い終えると、明日の朝美容院に持って行くための荷物を準備しに鋼道の部屋へと行った。
そこには、えもん掛に華やかな振り袖がかけられていた。

白に近い薄いピンク地に、様々な大輪の花が散っている。伊達襟は濃い紅色で帯揚げは同じ色の絞り、帯締めは同じく紅に金糸を編みこんだ飾り紐。
電話で鋼道と両家顔合わせについて打ち合わせをしている際に、当日千鶴が着るものについて鋼道から『もしよければ…』と切り出してきた。
千鶴が生まれた時に、亡くなった母が始めた振り袖の積立貯金。20歳の成人式に着ることはできなかったが千鶴さえよければ今回の両家顔合わせで来てほしいと、鋼道は説明した。
両親がそんなことをしていてくれたことを初めて知り、成人式の日にいなかったことを悔やみ、自分のことを考えていてくれた母の事を想い、千鶴の瞳からは自然とぽろぽろと涙をこぼれだす。
知らなかったとはいえ、家を出たことで父を……ひいては母までも傷つけてしまっていた自分。赦してもらえるのならその着物を着たい。
千鶴は電話口で何度も何度も謝り、ぜひその着物を着たいと父に伝えたのだった。

本を見ながら振り袖をたたみ終わると、千鶴は首からかけていたネックレスを外した。
それは父、鋼道からのプレゼントに、母の結婚指輪を通したもので、一年前家を出るときに何か思い出の品をと思い持って出たものだった。

ちゃんと幸せになるからね……

千鶴は母の結婚指輪を見ながら、心の中でそう呟いた。

 

 

そして両家顔合わせ当日……

総司の姉のミツと母親は、二人とも着物だった。リアル叶姉妹かと思うほど華やかで周囲の人々の注目を浴びている。鋼道はそういったことにあまり頓着しないようで、二人のキラキラオーラには全く気付かず普通に接している。
大事な娘さんをうちの愚弟が…と謝り倒しているミツと総司の母親に、鋼道は恐縮し『今は喜んでいる』と伝え、両家はすっかり和気藹々となった。
「きゃーっっ!千鶴ちゃんか!わ!い!いぃぃ!」
ミツが大喜びで、着物を着た千鶴を迎える。
「前に野点で着た赤い着物もかわいかったけど、あの赤いのは私のだったから。やっぱり千鶴ちゃんは柔らかい色の方が似合うわね〜!白にピンクがとっても似合うわっ」
「この髪もかわいいわねぇ。若い娘さんらしくてお似合いよ。ほんとに総司にはもったいないわ」
褒めちぎってくれる女性二人に、千鶴は照れて赤くなった。場所がホテルのロビーで、着物姿の女性3人はやはりとても華やかで目立つのだ。
千鶴は居心地がわるくて、早くレストランの個室に移動したかった。
「かわいいね」
後ろから聞こえてきた声に振り向くと、総司だった。
随分久しぶりのような気がしてなんだがドキドキする。
そして久しぶりに見る総司は……やはりとても素敵だった。
いつも傍にいるから慣れてしまうけれど、こうして改まった場所でそれぞれ違う家から来て会うとなると、知らない人のようで新鮮だ。
総司はブラックスーツを着ていた。光沢のある深いブルーのネクタイと同色のポケットチーフが胸ポケットから見える。
すらりと背が高くて、これは沖田家の特徴なのかとても華やかで目立っていた。
直視するのが恥ずかしくて、千鶴は視線をそらして俯いた。すると自分の着ている華やかな振り袖が目に入ってきて、いつもとは違う自分たちとこの状況を改めて感じ、少し緊張する。
総司はさすがに親族の前……しかも千鶴の父親の前だからか、いつものようなスキンシップや軽口はなく、見た目から態度から『折り目正しい青年』そのものだ。
何か話さなくては……と千鶴は一生懸命話題を探すが、まるで総司に片思いしていた大学生のころのように頭が混乱して、何も思い浮かばない。
千鶴が焦っていると、総司の苦笑交じりの声が聞こえてきた。
「なんか……緊張するね」
えっ?という顔で千鶴が見上げると、総司も照れくさそうな顔をしている。
「君はかわいいし……どこのお嬢さんかって感じだよ」
何と返事をすればいいのかわからず、千鶴は再び赤くなって俯いた。
そんな若い二人の様子は、ロビーの客達の注目の的で……
「お見合いかしら?」
「結納かもしれないわね」
「素敵なカップルね。初々しくて」
などとほほえましく見守られていたのだった。


薫はやはり来なかった。
朝、千鶴が美容院まで行くのを車で送ってくれたのは薫だったから、多分気持ちは和らいできてくれているのだとは思う。
でもやっぱりできれば薫には今日出席してほしかった。
個室に移り、コース料理が始まるのを待つ間にお互いの家族たちが楽しそうに話しているのを見るにつけ、その思いはつのる。

 時間がかかるのかな……

千鶴は寂しく感じながらもそう思った。
急に妹がいなくなって、心配して怒りを感じて、そうしてようやく慣れたと思ったら帰ってきて。
全てが突然すぎて、薫にしてみたらいきなり受け入れるのは難しいのかもしれない。時間をかけて総司の存在と千鶴の変化に慣れてもらって……
千鶴はそんなことを考えながら、机の上に折りたたまれていたナプキンを解き膝の上にかけた。
水とワインを持って二人のウエイターが入ってくる。彼らが机の上にさかさまに置かれているワイングラスをひっくり返して行くのを、両家で見つめていると、もう一人ウエイターが入ってきた。

手にはお盆を持っており、その上に空のワイングラスが二つ乗っている。
千鶴は横目でちらりとそのワイングラスを見て、どこかで見たことがあるような気がした。
どこでだったかを考えているうちに、ウエイターは千鶴と総司の間にやってきて、お盆の上のワイングラスと、机の上に置いてあるワイングラスを取り換える。
新しく千鶴達の前に置かれたワイングラスは、他のとは違い、色がついていた。
繊細な作りで、若草色の彩色が一筋ほどこされていて、脚の部分がねじれたようになっていて……

千鶴の脳裏に、一年前に実家を出る前夜の薫とのやりとりが浮かんできた。

『いらないよ。そんなの。ディスカウントショップに売った方がいい』
『でもきれいじゃない。いつか私使いたいもん』
『千鶴、ワインなんか飲まないじゃないか。しかもペアだよ。いつ使うのさ。嫁に行くときにでも持っていくとでも?』

千鶴がハッとしてウエイターを見ると、彼は目線でうなずいて言った。
「こちら雪村千鶴様のお兄様からお預かりしたワイングラスです。御言付けは特にいただいていませんが『このグラスを見れば多分わかるから』とおっしゃっていました」
「か、薫は……いつ?今いるんでしょうか?」
千鶴が腰を浮かせながら聞くと、ウエイターは申し訳なさそうに否定した。
「朝早くいらっしゃって、お二人の飲み物はこのグラスを使って欲しいとのことでした。食事が終わりましたらこちらで洗ってグラスは雪村千鶴様にお渡しするように、と」

千鶴は立ち上がったままもう一度自分の前におかれたワイングラスを見た。
隣の総司の前にも同じものが置かれている。

滲んでいく視界の中で、皆が驚いているのが見えた。
隣の総司が立ちあがり、千鶴の肩を優しく抱いてわけを聞いてくれるのだが、千鶴は言葉にならなかった。

落ち着いたら……そうしたらちゃんと話そう。
わかりにくい兄を、みんなが誤解しないように最初から全部みんなに説明しなくては。

一年前に家を出る前の薫との何気ない会話。きっと薫はあの最後の会話をずっと思い返してくれていたんだろう。
もろ手を挙げて賛成していくれているわけではないだろうが、祝福はしてくれている。

意地っ張りの兄にとっては、これがきっと精一杯。


でも千鶴にはそれで十分だった。

 

 

 


                          


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