【信じさせてよ】

 











 


 「あ、あの……『俺のものになれ』っていうのは、つまり……?」
「……つまり、とは?」
この上なくわかりやすい表現だと思うのだが、千鶴が何を疑問に思っているのかわからず、風間は聞き返した。
「つまり、その……男と女の、という意味でいいんでしょうか?」
「……逆に他にどんな意味があるのか聞きたいものだが」
千鶴は風間の言葉に赤くなった。
「その、前も大学のことや勉強のことで相談にのってくださるっておっしゃっていましたし、お仕事を手伝うという意味かな、と……」

返ってきたのは、風間の冷たい視線だった。
「どこの誰が大学中退の社会経験もない女をヘッドハンティングするというのだ。勘違いにもほどがあるぞ」
「そっそうですよね……!すいません……!」

風間にとっては結構緊張を要する告白だったのだが、千鶴の勘違いであっさり流されてしまい言葉の接ぎ穂を失くした。
千鶴もどうやって話を戻せばいいのかわからず、妙に白けた雰囲気が二人の間を漂う。
ゴホンと風間は一つ咳ばらいをして言った。

「……それで、どうなのだ」
「えっと……えーっと……びっくりしてます。私男の人にそういうことを言われたことがあんまりなくて……」
「沖田には言われたのだろう」
なぜこんな場所でこんな時間に風間に沖田との話をしているのかよくわからないが、千鶴は問われるままに答えた。
「沖田さんとは……私が勝手に告白して、一生懸命……その、いろいろしたんです」
千鶴の言葉に、風間は小さく笑った。
「つくづく沖田家の男は女に好かれるのだな。俺の祖父の好きだった女性も、沖田の祖父に会ったとたんぼろきれのように俺の祖父をすてて沖田家に走った。風間の男には何か……女をひきつけるものが足りないのか?金目当ての打算的な女なら、腐るほどよってくるのだがな」
風間は自嘲的に言った。

千鶴は風間を見る。
「私は、当時を知らないので何とも言えないんですけど……でも多分、沖田さんのおばあ様は風間さんのおじい様を『ぼろきれのように捨てた』という事はないと思います」
妙に確信を持っているような千鶴の瞳に、風間はふと好奇心を持ち、さらに尋ねた。
「……なぜそう思う?」
「『ぼろきれのように捨てた』んなら、風間さんのおじい様はその後にあの別荘をおばあ様にあげたりしないでしょうし、思い出としてお孫さんにおばあ様の好きな場所のお話をしたりしないと思うんです」
「……」
「風間さんのおじい様も、多分とても魅力的な方で……その女性はほんとうに迷ってつらくて悩んだと思います。風間さんのおじい様もそれをわかってるから、きっといつまでもその女性の事を想ってらしたんだと思うんです」

風間はしばらく千鶴の顔を見つめていたが、フイと視線を窓の外へ移した。
「……結局大事な女性が手に入らなかったことにかわりはない」
風間の顔は妙に冷たく、紅い瞳が寂しげに揺らめいたような気がして、千鶴は言葉につまった。
「今の話はつまり、そういうことなのだろう?……それとも俺は祖父とは違う結果になるというのか?」

千鶴は目を瞬いた。
自分のことを話しているつもりはなかったのだが、言われてみると確かに総司の祖母の気持ちは自分の気持ちとかぶる。
「風間さんとは……まだ数えるほどしかお会いしてないんですけど、でも不思議とどんな方かわかるというか……一緒にいて気が楽ですしほっとします。多分似た者同士なんじゃないでしょうか」
「いや、お前のことは好ましいと思っているが、それには同意できん。俺は誰かの疫病神になったことなどない」
即答で『似た者同士』を否定した風間を、千鶴は横目でにらんだ。
「……じゃあ、波長が合うんだと思うんです」
「……ふむ、それならわからんでもない。一緒にいると……何故かほっとする」

図らずも風間の素直な気持ちがきけて、千鶴は赤くなった。
「……でも、男性として好きなのは、私には沖田さんだけなんです」
千鶴は、ちゃんと言わないと、と思い、風間の眼を見てきっぱりと言った。
「ごめんなさい」

率直な千鶴の言葉に、風間はかすかに微笑んだ。
「男に告白されるのには慣れていないと言っていたが……、断るのはうまいものだな」
答える言葉がわからずに、千鶴が黙り込むと、風間は続けた。
「まぁいい。正直お前が俺の提案にすぐに乗ってくるようなら、それはそれで少しがっかりしたかもしれんな」
「……」
「そろそろ下に戻るか。お前を探して今頃、沖田が発狂しているはずだ」
楽しそうに微笑む風間だったが、その言葉を聞いて千鶴は青ざめた。
「い、今何時ですか!?ここはいったいどこなんですか?私、どのくらい……!?」
「安心しろ。30分程度しかたっていない」
風間は、千鶴のためにホテルのドアを開けた。
そして千鶴が部屋を出る間際、耳元に唇を寄せ低くゆったりとささやいた。

「……あきらめたわけではないぞ」

 

 


 レセブション会場の休憩室には、ホテルのボーイ数人とホテルのマネージャーらしき人物が総司と何か真剣な顔で話し合っていた。
「沖田さん!」
千鶴の声に総司を含め皆が一斉に振り向く。
千鶴と、その後ろにいる風間を見て、総司はスッと目を細める。急にあたりの空気の温度が下がった気がして、千鶴は総司に駆け寄ろうとしていた足を止めた。
総司の瞳は薄い緑色になり、全身からピリピリとしたオーラを発している。
「あ、あの、沖田さん、すいません私……あれ?」

今までどこにいて、どうしてそこに行ったのかを説明しようとして千鶴は口ごもった。
そういてば自分が気が付いたらあのベッドの上にいたのだ。
「あの……??私どうしてあそこにいたんでしょうか?あそこはいったい…?休憩室か何かですか……?」
千鶴は後ろに立っている風間を見て聞いた。
「レセブション会場の休憩室で、無防備に眠り込んでいるお前を見つけ、俺が運んだ。このビルの上層階はホテルになっていてあの部屋は先程俺が借りたスイートルームだ」
風間の言葉を聞くたびに、総司の眉間の皺がどんどん深くなっていく。風間はそれを面白そうに眺めながら最後に一言付け加えた。
「……おまえのためにな」

「か、風間さん!そういうのはお断りしたはずです……!」
千鶴が総司のこわばった顔を見ながら焦って風間に言う。風間は見下すような視線で千鶴と総司を見て、クッと笑った。
「あきらめたわけではない、と言っただろう?それに攻めるべき場所を今見つけたぞ。お前に直接口説くよりもこちらの方が効果がありそうだな……」
後半はひとり言のように呟き、風間は千鶴の背中を軽くとん、と総司の方へ押し出した。

「そんなに怖い顔をしていると、大事な『婚約者』が怖がるぞ」
からかうような風間の言葉に、総司は返事をしなかった。近くまで来た千鶴にも一瞥もくれず風間を冷たい目で見ている。
風間は、そんな総司を見てバカにしたように小さく笑って言った。
「……確かにスイートルームのベッドは広いが、お前の今している下世話な想像のようなことは何も……」

風間の言葉は、殴りかかった総司の拳で途絶えた。
「お、沖田さん……!」
千鶴の悲鳴の様な声が、緊迫した空気をさらに緊張させる。
千鶴を含め、周りの人間はみな息を呑んだが、総司の拳は風間の手のひらでがっちりと受け止められていた。総司が忌々しげにその手を振りほどき、再び少し距離を置く。風間はネクタイの結び目に人差し指を入れて緩めると、紅い瞳を挑戦的に光らせて低い声でつぶやいた。
「……やる気か?面白い」
周囲を圧倒するような風間の気迫に千鶴は息を呑んだ。総司は少しもひるまず、逆に舌なめずりでもしそうな表情で腰を落とす。
誰もがここで殴り合いが始まるのかと息を呑んだとき、鋭い声が後ろから聞こえてきた。

「風間!やめなさい。ここは人目がありすぎます」
「めずらしく熱くなってんな〜」

千鶴が驚いて振り向くと、入り口から天霧と不知火が入ってくるところだった。
風間はちらりと二人と見る。
「なぜ止める。俺が負けるとでもいうのか」
「勝ち負けの問題ではありません。財界ではまだ、あなたのおじい様と沖田家との確執を覚えていらっしゃる方が大勢います。孫同士が、またもや……」
天霧はそう言うと言葉を止め、ちらりと千鶴を見て、続けた。
「……同じように女性を取り合って、しかも今度はケンカをしたなど醜聞もいいところです。カザマグルーブ全体のマイナスイメージ以外どんないいことがあるというのですか」
天霧の言葉に、風間は考えをめぐらすように黙り込んだ。
「俺がすっきりする……というのはカザマグルーブ全体を考えなくてはいけない身分では許されない我儘だ、ということか」
風間はそう言うと、すっと背を起こし、戦闘態勢を解いた。
総司はそれを見てバカにしたように笑う。
「ケンカで負けるのを避けるための言い訳にしては大げさだね」
そして近くにいた千鶴の肩を抱き寄せる。
「あいにくだけどこの子は僕のだよ。手を出さないでくれるかな」

風間は何を考えているのかわからない目で、総司と千鶴を見た。
「……手を出すつもりはない。だがその女がお前に愛想を尽かせた場合はまた話が別だな。そんなに独占欲と嫉妬心の強い男が四六時中張り付いていたら、たとえどんなできた女でも次第に嫌になって来るのではないか?」
独占欲と嫉妬心を剥きだして風間を睨みつけていた総司は、その言葉にカッと耳を赤くした。

「あんたには関係ない!」
怒鳴り返した総司に、風間は楽しそうに返した。
「少しつついただけでこのありさまか……」
そうして風間は今度は千鶴へと視線をやる。
「この男にうんざりしたら、いつでも俺に連絡するといい」
千鶴は総司の腕をギュッと握って真っ赤になりながら風間に言った。
「うんざりなんてしません!」
風間は相変わらず楽しそうに、さらりと言った。

「そんなに赤くなると、お前の背中のハートも赤くなるぞ」

総司と千鶴は、風間が何を言っているのかわからず一瞬固まった。
意味を悟ったのは総司の方が早く、緑色の瞳をギラッと光らせて千鶴を見た。その総司の顔を見て、千鶴は風間が言った内容と総司が何を誤解しているのかを悟る。
「お、沖田さん……!違うんです……!!」

爆弾を落とした風間は、二人を楽しそうに一瞥した後、笑い声をあげながら天霧と不知火と共に休憩室を去って行った。

「……どういうこと。言い訳があるなら聞くけど?」
怖い位静かな総司の声。
千鶴は、しかし逆にムッとした。
「い、言い訳って……!沖田さんが想像しているようなことは何も……!!」
「じゃあなんであいつはハートのことを知ってるのさ!あんな場所……!しかも赤くなることまで!何もなかったなんで言わせないよ!」
「何もなかったんです!聞いてください!」
だんだんと大きくなる声に、休憩室の準備をするために入ってきたボーイが驚いたように足を止めた。
総司はそのボーイをチラリと見て、千鶴の腕を掴む。
「……場所を変えよう。騒ぎになるのはまずい。酔っぱらってた君のために僕も上に部屋を借りたんだよ。スイートルームなんかじゃないけどね」
最後の皮肉に、千鶴はカッとなった。
「そんな……!そんなこと別に私は言ってないじゃないじゃないですか…!」
「そう?言ってなくても思ってたんじゃないの?」
エレベータに乗り込み、部屋へと向かう最中も二人はとげとげとしたやり取りと交わす。
総司はカードキーで、借りた部屋のドアを開けた。千鶴の事を見もせずに中に入っていく総司に、千鶴は取りすがって言った。
「どうしてそんなにムキになるんですか?私は沖田さんが好きで、沖田さんだけが好きで……」
「じゃあどうしてあいつはあんなに君にまとわりつくのさ?行くところ行くところに必ずあいつがいるのはなんで?君に隙がありすぎるからじゃない?」
総司は部屋の真ん中まで歩いて行くと、振り向いてそう言った。
「隙……」
近くに行くことすら拒んでいるような総司の雰囲気に、千鶴はドアの辺りで立ちすくむ。


自分の態度に隙があるのかどうかなど千鶴にはわからなかった。高校時代は本当に子供で、誰かが好きだとか気があるみたいとかの話はしたけれど、男子と恋愛関係になることなどなかった。大学に入り、すぐ総司を好きになり、他の男性とはほとんど過ごすことがなかったので、恋愛の対象ではない男性にどう接することが『隙がない』ことになるのか、千鶴には正直よくわからない。
黙り込んでいる千鶴を、総司は綺麗な緑色の瞳をスッと細めて皮肉な目で見る。
「隙どころか……思わせぶりな態度でもしてるんじゃないの?そうでもなけりゃ男なんてあそこまで言い寄ったりしないよ」

総司の言葉に千鶴は胸がズキリと痛むほど傷ついた。涙が自然に滲み、視界がゆがむ。
「思わせぶりな態度とか隙とか……、私にはわからないです。私が悪かったのかもしれないです。……でも、私が好きなのは沖田さんで、風間さんにもちゃんとそう言いました」
千鶴の言葉に総司は眉間に皺を寄せた。
「……どういうこと。そんな話をしたの?」
千鶴は、まずいことを言ってしまったのかとはっとしたが、後ろ暗いことがあるわけではないと思い直し、顔をあげて総司を見た。
「風間さんの……その、恋人になるように言われました」
息を呑む総司の様子に、千鶴はあわてて言葉を続ける。
「でも!断りました!あの、沖田さんが好きなので、ごめんなさい、って」
総司はイライラを髪をかき上げると、窓際まで歩いた。
「ホテルのスイートルームで、二人っきりで、そんな色っぽい話までして、背中のハートまで見せて……それで『断りました』って言われても、それで?って感じなんだけど」
「背中のハートは、今日じゃないです!」
総司の、薄い緑の瞳が鋭く千鶴を見た。
「……どういうこと?」
「ハートを見られたのは……あの、初めて沖田さんと仕事のパーティに行った日に、あのビスチェがほどけて……それを風間さんがなおしてくださったんです。その時に……」
総司は苛立たしげに溜息をつく。
「……まったくの初耳なんだけどなんで?どうしてその時に言わなかったの?その時じゃなくてもその後いくらで言う機会はあったんじゃないの?」
どんどん冷たくなっていく総司の声と視線に、千鶴はもどかしく、悲しく、強い思いだけをもてあましていた。
総司が疑う必要など何一つないのに、風間とのあったことを伝えれば伝えるほど総司の心が冷えて行くのがわかる。

「……言い訳も理由もたくさんあります。でも、何を言っても無駄なような気がします」
静かな千鶴の声に、総司はいぶかしげに顔をあげて千鶴を見た。
「どうして信じてくれないんですか?私が好きなのは沖田さんだけなんです。それさえ信じてくれれば、風間さんの挑発なんてなんの意味もなくなるのに……」
「じゃあ信じさせてよ」

投げ捨てるように言われた総司の言葉に、千鶴は彼の顔を見た。
総司は千鶴と視線を合わせたまま、窓際にある壁に背中をつけて寄りかかり腕を組む。そして静かに、けれども千鶴に挑むようにもう一度言った。
「信じさせて」


総司のその、あくまでも千鶴を信じていない様子や、試すような仕草に千鶴は痛いほど下唇を噛んだ。
衝動に任せて背中のジッパーを一気に下す。パンプスを脱いで横に転がし、袖から腕を脱ぎながら総司の傍へと足を進めた。
自分の心臓の音が耳元でドクンドクンと響いているのが聞こえる。
総司の冷たい緑の視線にさらされながら、千鶴は震える指でスカートのホックもはずした。

静かな衣擦れの音をたてて、千鶴の着ていたワンピースが床に布の輪をつくる。
千鶴がその中から抜け出そうとしたとき、総司が冷たく言った。

「何のつもり?男なんてセックスさせておけばイライラも収まるとでも思ってるの?」
「……私が風間さんと……そういうことをしたって疑ってるんですよね?そういうことをしてなくても、気持ちが風間さんに傾いてるんじゃないかって。言葉でいくら言っても伝えられないのなら……」

心細そうに自分で自分のカラダを抱きしめながらも、強い瞳で総司を見つめながら千鶴は総司の前に立った。
総司は腕組みをしたまま動かない。

「……こんな状態の僕に自らを差し出すなんて勇気があるね」
あいかわらず皮肉っぽく冷たい総司に、千鶴はもう一度唇を噛む。そして、震える手を背中に回し、ブラのホックをとった。
「私は、沖田さんが……」
総司が突然手を伸ばし乱暴に千鶴を引き寄せ、言葉は途中で途切れた。












 

 





                          


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