【安心すると思ってるの?】
雨は止んでいるものの、夜の闇でもわかるほど雲が重く垂れこめていた。
湿気を含んだ冷たい風が吹き抜ける。
総司は相変わらず千鶴を見ずに、風間のフェラーリが走り去って行った門を見つめている。いつもとは違い、全身で千鶴を拒絶しているような総司の態度に、千鶴は冷たい外気とは裏腹に背中に汗をかいていた。
風間が自分を送ってきた理由を説明しようと、千鶴は詰まりながらも一生懸命に話をする。
「あ、あの…ビルの中で迷子になってしまって…。そしたら風間さんに偶然会って…その、いいお方でした。出口を教えてくださった上に、もう遅いからと送ってくださって…。親切な方ですよね」
必死に明るく言う千鶴に、総司は初めて視線を合わせた。
「そんな言葉で僕が安心すると思っているのなら、君はとんでもないバカだね」
冷たい声に冷たい視線、そして冷たい言葉に、千鶴は凍りついたように固まった。総司は相変わらず突き刺すように千鶴を見ながら続ける。
「行く先々で男をひっかけてこないと気が済まないの?もう仕事なんてしないでずっと部屋にこもってなよ」
総司の言葉が前庭に響き、平助たちもフェラーリについての雑談をやめた。
皆は無言で、目を大きく見開いて固まっている千鶴と、冷たい表情をしている総司を交互に見やる。
平助、斎藤、左之、土方は、男として総司の気持ちはわかる。よーくわかる。が、それを千鶴にぶつけるのは違うだろう。しかし痴話げんかに外野が口を出していいものか。しかもこれで千鶴をかばったりしたら、余計総司の火に油を注ぎそうだ。しかし総司の味方をしたら千鶴が可哀そうすぎる…
苦悩する4人の後ろから、溜息と共に声が聞こえてきた。
「あーやだやだ。男の嫉妬ほど醜いもんはないわね」
その言葉にぎょっとして、平助たちが後ろを振り向くと、総司の姉のミツが玄関の扉に腕組みをしながら寄りかかっていた。
「姉さんは黙っててくれる?」
総司が振り向きもせずに言う。その口調は冷たくとがっており、普通の人間ならひるむところだ。しかし、というか当然というかミツは全く気にしなかった。
「ああ、そう?嫉妬っての間違いだった?じゃあ何?ちんけなプライド?フェラーリ様に負けたとか?それで千鶴ちゃんにあたるって、嫉妬より情けないわね」
……うわぁ……
もうちょっと歯に衣着せようよ…
総司と姉の舌戦に、ギャラリーは冷や汗を流しながら沈黙した。さすがの土方もミツの手厳しい言葉に、叱られた子供の用に沈黙している。
ミツは扉に寄りかかるのを止めると、総司と千鶴に歩み寄った。手が出るのか足が出るのか…肉弾戦に突入か…!?と周りがひやひやしていると、ミツは千鶴の肩をそっと抱いた。
「さ、千鶴ちゃん。こんなバカはおいて行きましょ?家政婦の多恵さんよんで、母さんと4人でまた麻雀しましょう。前一回やっただけだけど、ルールはだいたいわかったでしょ?千鶴ちゃん、筋いいからきっといいギャンブラーになるわよ〜」
ミツはそう言うと千鶴をつれて、総司には一瞥もくれずに玄関を入って行ってしまった。千鶴はうつむいたまま涙をこらえているのか、こちらも顔をあげないまま…
後に残されたのは男5人…
立ち尽くしたままの総司を見ながら平助が左之の脇を肘でつつく。左之が焦ったように言った。
「お、俺か?俺よりもっと適任がいるだろ?」
そう言って土方を見る。
「…俺か?俺ぁそんな……」
すがるような平助たちの視線に、土方は続きの言葉を呑みこんだ。そして土方は困ったように、立ち尽くしたままの総司を見ると、一度咳払いをして、総司の方へと歩いて行く。
「あー…じゃあ、野郎は野郎で……飲むか?今日は仕事は棚上げにしとくか。こういう時は飲むのが一番だ」
土方の言葉に平助も慌てて便乗する。
「やっりぃ!飲もうぜ!総司!土方さんのおごりだって!」
「なっ…!!そんなこと言ってねぇだろうが!」
「まぁまぁ。俺も秘蔵の日本酒があるからそれも飲もうぜ」
左之がとりなすように言うと、斎藤もうなずいた。
「俺も、森伊蔵がある。いい機会だから皆で飲むとするか」
ええ〜!!あの幻の焼酎!!?どうやって手に入れたんだ!?とワイワイと騒がしい男たちにひっぱられて、総司も家の中に入って行ったのだった。
次の日の朝…
沖田家のダイニングで、ミツは眠そうな平助と左之と一緒になった。
「ふぁ〜…今から朝食?」
ミツの問いかけに、コーヒーを注ぎながら左之が頷く。
「そっちは徹夜で麻雀?」
ミツは首をふりながら、ヨーグルトの蓋をあけた。
「ううん、夕べあの後随分遅くに総司が来てね…」
トントン、というノックの音にマージャン卓を囲んでいた女性陣が顔をあげてドアの方を見た。
開いたドアから見えた姿は沖田家の、今のところの当主、総司だった。
総司はドアは開けたものの中には入らず、入口で壁に寄りかかりながら中を見渡す。
「……千鶴ちゃんは?」
麻雀は四人でやるもので、それで千鶴もメンツに加わるよう連れて行かれたにもかかわらず、今総司の目の前でやっている麻雀は三人打ちだった。
「……」
ミツは何も言わないまま、首をくいっと傾けてソファを示す。ソファには、暖かそうなひざ掛けをかけられてスヤスヤと眠っている千鶴がいた。気のせいか彼女の目じりが少し赤くなっている。
総司はそれを認めると、無言で部屋の中に入りソファまで歩み寄った。
「もう坊ちゃまのご機嫌はなおったのかしら?」
ミツがからかうように毒のある台詞を吐くと、母親が『ミツ』と小さな声でたしなめた。そしてソファに寝ている千鶴を抱き上げようとしている総司に言う。
「千鶴さん、連れて行くんですか?」
「うん」
総司は、短く答えて千鶴を抱きかかえる。そして、愛おしそうに自分の腕の中で眠っている千鶴を見つめた。女性三人は、その表情を見て、ほっとしたような、あの小さな坊主が…と感慨深いような、複雑な気持ちになる。母親が静かに言った。
「…ちゃんと謝るんですよ。千鶴さんかなり傷ついていましたよ」
総司は横目でちらりと母親を見ると、小さくうなずき、千鶴を抱いたまま部屋から出て行った。
「だから今頃謝り倒して仲直りしてるんじゃない?」
蜂蜜をかけたヨーグルトを食べながらミツが言うと、平助がうなずいた。
「そーかー。総司夕べの飲み会、一人で早めに抜けたんだよな〜。徹夜で飲むぞ〜って盛り上がってたのにさ。千鶴を迎えに行ってたんだな」
左之がコーヒーを飲みながら言う。
「上手く仲直りできてりゃいいがな」
「総司もさぁ〜。ずーっと休みなしだったじゃん?まぁ千鶴もだけど。なんつーか神経が張りつめてるっていうかさぁ。たまにはゆっくりすればいいと思うんだよな」
トーストをほおばりながら言う平助に、左之はうなずいた。
「ほんとだな。いい機会だし今日は休みにするか。俺らが仕事してるとあいつらもゆっくりしにくいだろうし俺らだけでどっか遊びにでも行くか」
やったぁ!と万歳している平助を見ながら、ミツも微笑んだ。
「…ほんとね。みんな知らず知らずピリピリしてたのかも。私も母さん誘ってショッピングにでも行こうかな。あの二人はそっとしておきましょう」
じゃあ、夕飯も自己解決でね、と話が決まり朝食も済んで、コーヒーを飲みながら雑談していると、平助がふと言った。
「そーいえばさ〜、俺不謹慎なんだけど、ちょっと興味あるんだよね、フェラーリ。千鶴乗っただろ?どんなだったんかなぁ…。やっぱ馬力とか全然違うんだろうなぁ」
左之も同意する。
「わかるぜ。総司の前では口が裂けても言えねーけどな。あの回転数が上がったときのエンジン音、独特だよな。一度乗ってみてえよな」
それを聞いていたミツが、くっくっくっと肩を震わせて笑い出した。平助と左之はキョトンとした顔でミツを見る。
「私も夕べ、同じこと聞いたの、千鶴ちゃんに。そしたらなんて言ったと思う?」
『こう…車高が低くて目線が低くて地面がとっても近いんです。それでささ〜っと速くて…。なんだか私、ゴキブリさんの気持ちがわかった気がします。』
直後、沖田家の屋根は笑い声でふっとんだとかふっとんでいないとか…
よく冷えたボルビックのペットボトルを持ったまま、総司は自分たちの部屋のドアを開けた。寝坊をしたと焦って起きて、隣で眠っている千鶴をおこさないようにベッドから出て下に行ったところ、誰もいなかった。ただ一人残っていたお手伝いの多恵さんにきくと、『みなさん今日は休暇とのことで遊びにいかれました。夕飯も各自で召し上がるそうで、私もおやすみをいただいてるんですよ』との返事。
昨日の出来事のせいで気を使わせたのかと思うと複雑な気持ちだが、あの後一度もまだ話していない千鶴と久しぶりにゆっくりできると思うと正直嬉しい。
とりあえずは謝らないとね…
さすがに昨日は八つ当たりをしたという自覚はあった。ミツの言うとおり嫉妬なのかフェラーリなのか…多分両方が入り混じっているのだろう。
幸せにできない事はわかっていて彼女を連れてきた。それでも幸せにしたい。自分の腕で。
それが出来ない自分が歯がゆくてもどかしくて…
総司はベッドに腰掛けると、スヤスヤと眠っている千鶴の顔を眺める。
「…君は今、幸せなのかな…」
ふと考えていることが口をついてでる。
何をこんなに焦っているのかと考え理由に思いあたり、総司は苦笑いをした。
幸せにしてあげられないからと言って千鶴が去っていくとは思えない。事実彼女は何も知らないままの状態でも総司についてきてくれたのだ。
それにもかかわず、総司は心のどこかで彼女が自分を見放して帰って行ってしまうのではないかと怯えていたようだった。
彼女がいなくなってしまわないように、なんとか幸せにしなくてはと思っていた。
人にしろ物しろ失うことを怯えるようなことは、これまで総司には一度もなかったのに。
逆に、望んでもいない事をおしつけられるのが面倒で振り払うばかりだったのだ。
「僕はかなり君に溺れてるみたいだね」
自分にあきれ笑いをしながら、総司はつぶやいた。
前に千鶴が自分に言った言葉を思い出す。
『好き嫌いが多いし…わがままだし…甘えん坊だし…やきもちやき』
そんな総司を、なぜ千鶴は好きでいてくれるのか総司にはわからなかった。こんな風に、相手が自分の事をどう思っているか、本当に好きでいてくれるのか不安になることも、それを何度も確認したくなるのも総司には初めてのことで…
この不安定な自分の気持ちをどう扱えばいいのかわからない。
「僕はきっと君をすごく困らせると思う。…でも、もう君を手放してはあげられないから…」
総司はそうつぶやくと、手を伸ばして千鶴の額にかかっている髪をそっとかき上げた。
「お〜!今日は天気いいな!ったく雨はうんざりだぜ」
空を見ながら気持ちよさそうに背伸びをした不知火を、風間は奇妙な物を見るような目で見た。
「…んだよ?」
まじまじと見つめてくる風間の視線に、居心地が悪そうに不知火は言う。
「…いや、単なる気象事情に好悪の感情を持つものが結構いるのだということを知ってな。おまえもそうだったのか」
風間はそう言うと、反対側を歩いている天霧を見た。
「おまえはどうだ」
天霧は運転手に合図をして、車のドアを開けながら言う。
「…そうですね、やはり晴れている方が好ましいと考えます」
「…ふむ」
後部座席に座った風間に、隣に乗り込んだ不知火が言う。
「お前はどうなんだよ?」
「雨が好きかどうか、という事か?」
風間が少し驚いたように言うので不知火はあきれた。
「今その話してんだろーが!」
「待て、考えたこともないことだからな。今から考える」
風間はそう言うと、滑らかに走り出した車窓を眺めながら長い指を自分の顎にあて黙り込んだ。
風間は、昨日高層ビルの窓から幸せそうに外を眺めていた千鶴を思い浮かべた。彼女は柔らかな微笑を浮かべてしっとりと濡れた街を眺めていた。車の助手席で、雨ににじむ街灯をいちいち指差して風間にどこがきれいなのかを必死に説明していた彼女の表情も。
風間の薄い唇が、柔らかく孤を描く。
「…そうだな、好きなのかもしれんな」
窓の外を見つめながらほほえみを浮かべ、何事か想いふけっている珍しい風間を見て、天霧と不知火は顔を見合わせたのだった。