【それくらいできます】

 






 


 「これで全部か?」
土方が大きな楕円のテーブルを埋め尽くすように置かれたキングファイルを眺めた。置ききれなかった分は、窓際にある味もそっけもない長テーブルの上にも積んである。
「そうですね。ほぼすべてです。こちら側が投資関係。すでに永倉さんに見てもらってます」
斎藤が静かな声で言い、机の半分を示す。机の向こう側でふんぞり返って座っている新八が唸るように言った。
「無駄な投資が多すぎてよ。大整理したぜ」
「僕も見せてもらったけど、思ってたほどひどくなかったですよ」
机に浅く腰かけた総司が、まとめた資料をを土方に渡す。
「そしてこちらから全てが沖田家の資産管理関係と会社運営関係です。正直この二つは全く経理上別れていなくてごちゃごちゃになっていてどう整理をつければいいのか困惑しました」
斎藤から渡された概要の資料を、土方が無言で読んでいく。

 「歴代のご当主様にゃあ、会社の資産っつー意識は全くなかったんだろうな。土地関係が、額もでけぇし焦げ付きもひでぇ。むらがってる金の亡者どもも一筋縄でいかねぇやつらばっかだ」
土方が溜息をつきながら吐き捨てるように言うと、左之が横から資料を覗き込みながら言う。
「でもよ、たしかにどーしよーもないのも多いが、結構いけるんじゃないかと思うのも多いんだぜ。ほら、ここなんて温泉がでるっつー報告があるのにほったらかし。うまく付加価値つけて売れば今なら結構いい物件になると思うんだよな」
「そうそう!海の幸も山の幸も新鮮なのが豊富だから、今オーベルジュとか流行ってるし……」
わいわいとみんなが群がって意見を出し合っているのを、千鶴は少し離れた場所から見ていた。

 この二か月、千鶴もほとんど休みなしでこの仕事部屋での整理や物件の調査を手伝って来た。『手伝った』だけだが……。
斎藤に言われた経理関係の専門用語や数字を覚えて、それらしきものが書いてある書類を探し分類した。平助からきいた資産の図面や営業方針に関する用語の載っているものを探して分類。全国に6か所ある支店の情報に関するもの、従業員に関するもの…。探して分類して渡しただけ。その情報を持って総司の会社を助けるための手立ては、斎藤や平助、新八といった専門家がして千鶴には何もできない。なんの知識も経験もない20歳の元大学生なのだから当然なのだが、千鶴はそれがつらかった。
みんなの役に立ちたいのに、背中を見つめているだけ……。

 プルルルル……

平助のYシャツの胸ポケットで携帯電話が鳴る。
「あ、おはようございます!できた?あー!マジ助かった!ありがと!無理言ってごめんな。今からすぐとり行くからさ。うん。明日使うし。ほんとありがとな」
電話を切った平助に、左之が言う。
「おい、今から行くって言ってたけど、これから俺と例の物件の下見と見積もりの立会いだろ?」
「あー!!そうだった!やべっ。でも今日もらっとかないと……」

 「あ、あの、私でよければ取りに行きますけど」
立ち上がった千鶴を、部屋の全員が見つめる。
「では俺も一緒に行こう」
斎藤が静かに言う。斎藤の言葉に総司をはじめみんなの顔がほっとしたように緩んだのを見て、千鶴は少しムキになる。
「わ、私でもそれくらいできます!みなさんのように専門的な仕事はできませんけど、お使いぐらいなら…!」
「あー…、じゃあ東京まで僕の車で一緒に行こう。僕も今日近藤さんとこの会社に最終プレゼンがあるから」
総司がとりなすように言い、じゃ、悪いな、という平助の声で、みんなはまた話し合いに戻った。

 千鶴はそれを見ながら下唇をかんだ。
何の力もない自分が歯がゆい。やる気と時間だけはたっぷりあるのに……。
でも、なんの専門性も必要ないこういう雑用もたくさんある。せめてそれだけでもがんばろう、と千鶴は考え直して一人でうなずいた。

 

 「じゃあ、気をつけて。帰りは一人で帰れる?」
超高層ビルが林立する一角で、総司は車を停めてからかうように千鶴に言った。千鶴は少し赤くなって言い返す。
「か、帰れます!もちろんです!沖田さんこそ…、頑張ってくださいね。前からちょっと話してくださってたお話ですよね?」
「うん。ベンチャーキャピタルって禿鷹とか言われるけど近藤さんのところは利益獲得よりも産業育成の方がメインなんだ。会社の資産と将来性に興味を持ってくれてね。もし出資してくれて経営とかの指導をしてくれれば、もうこれで安泰なんだけどな……」
ふぅっと溜息をつく総司は硬い表情で、珍しく少し緊張しているようだった。

京都の大学院に行っているときから総司が考え行動に移していた会社を救う手立て。まず優秀な、各分野で専門性を持った人材を一本釣りで時間をかけて口説き、現状把握を実施。そして利益をもたらさない案件は、強引でも切り離して処理をする。その上で、投資会社である近藤の会社に、自社の健全性を証明したうえで利益を生み出す仕組みをつくることにすでにとりかかっていることを説明して、将来性に投資してもらえるように売り込む。
斎藤、平助、左之、新八と各分野での優秀な人材は確保した。そしてとうとう負債整理の専門家である土方も口説き落とした。あとは近藤に協力してもらえれば……。

「大丈夫です。沖田さんなら…」
千鶴が総司の瞳を見つめてそう言うと、総司はふっと微笑んだ。
「そうだね。もし失敗したら……。一文無しの僕を養ってね」
「が、がんばります…!」
千鶴の言葉に二人で笑って。そして千鶴は車を降りた。
走り去る総司の車に手を振って、千鶴は平助が所属しているコンサルタント会社がテナントとして入っている近代的な複合オフィスビルへと入って行った。
 
 沖田さんの仕事に比べたら、単なるお使いだけど……。でも仕事は仕事!がんばろう!

思わず気おくれしてしまいそうなくらいピカピカのエントランスの端っこを遠慮がちに歩きながら、千鶴は気合いを入れたのだった。

 

そして一時間後。

 迷っちゃった……

千鶴は半泣きで、ほとんど人の通らない廊下を見渡した。

エントランスに座っていた受付の女性に、23階の平助の会社への行き方を聞いて、会社にたどり着き持ち帰る図面を渡されたところまでは無事に終わった。やれやれと思いながら1階におりるためにエレベータに乗ったところ、そのエレベーターには『1階』のボタンがなかった。
あれ?と思いとまどっているうちにエレベーターのドアが閉まってしまい、どこかの階に呼ばれたそのエレベーターはぐんぐんと上に昇って行く。
エレベーターのドアが開いた先には誰もいなかった。どうすればいいのかわからないながら、千鶴はとりあえずエレベーターを降りる。とにかく『一階』のボタンがあるエレベーターに乗らないとどうしようもない。8基あるエレベータの上の階表示を見てみたが、『一階』と書いてあるものは一つもなかった。エントランスと違ってどうすればいいのか聞ける人など、ここには誰もいない。そもそも人気が全くないのだ。

その時千鶴は平助の会社に行った時のことを思い出した。そういえば、平助の会社に行くときも途中でエレベーターを乗り換えなくてはいけなかった。多分降りるときも、どこか1階とは別の階にいったん行って、その後低層階に行くエレベーターに乗り換える必要があったのだ。行くときはエレベーターを乗り換えるため、反対側の別ルート向けのエレベーター群があるところまで歩いて行った覚えがある。
千鶴は人気のない廊下を反対側に歩きした。似たような壁や曲がり角をいくつも曲がって……。

そしてとうとう迷ってしまったのだった。

少しでも人気がありそうなところを探して千鶴はビルの一番角にある自販機コーナーを見つけた。壁が全部窓になっており東京が一望できる。あいにくと午後の遅い時間の今、空は重く垂れこめた雲でどんよりと暗かった。そして壁にはたくさんの自販機。そして椅子と机……。
千鶴は溜息をついてとりあえず気分を変えようと、カップの紅茶を買って椅子にぐったりと座った。


 久しぶりに外で一人になったような気がして、千鶴はふうっと肩の力を抜いた。

総司を失うことが耐えられなくて、とにかく一緒にいたくて、夢中で過ごしてきた数か月だった。ほとんど総司の家に居て、総司の家に居ないときも誰かと一緒にいて、こうやって総司に関係の無いところで一人になるなんて久ぶりかもしれない。

 何か月もたってるのに、私はあいかわらず……。なんにもできないんだなぁ……

『それぐらい』と自分で言ったお使いでさえこのざまだ。ぼんやりと視界がにじんでいくのを感じながら、千鶴は暖かい紅茶が入った紙カップを両手で包んだ。

 「あれ……?君……」

その時、静かな空間を破る様な陽気な声が千鶴の後ろからした。千鶴はその声に驚いて思わず体をおこし、その拍子にまだ少し入っていた紅茶をテーブルにこぼしてしまった。
「あっ…!」
「わっ!大丈夫?」
千鶴の後ろから、まるで千鶴を抱え込む様にして、転がっていく紙コップを拾ってくれた男がいた。

 「やっぱりそうだ。感じが全然違うから、どうかな〜?って思ったんだけどさー。君、野点の時に風間さんといたでしょ」
やけに明るいその若い男の声と表情に、すこし後ずさりながら千鶴は男の顔を見た。覚えがあるような、ないような……。野点の時に風間と一緒にいたのはあの裏庭での時だけだ。記憶をたどると、そう言えばだれか通って行ったような気もする。
「あ、野点にいらしてた方ですか…?」
総司と仕事の関係もあるかもしれない。できるだけ愛想良くしようと千鶴はにっこりと笑った。その表情を見て男は嬉しそうな顔になる。
「親父のつきそいでね。……君さ、前は沖田さんと一緒にいたでしょ。すごいセクシーなスケスケの恰好でさ」
にやにやといやらしく笑う男の表情には気づかずに、千鶴はとまどったように微笑んだ。

 す、すけすけ……?シフォンのショールのことかな……。たしかに下のビスチェが透けるようにはなってたけど…。でもあの夜のドレスコードは正装で女性は肩をだしているドレスが多かったし……。

「そういう女性っているって聞いてたけど、ね、君ってそういう女性なの?」
「は?」
「だからさ、その…そういうパーティ専門のさ」

 専門……?確かに女性同伴の時は連れて行ってもらえることになってるけど……。

あいまいに千鶴がうなずくと男の表情はさらに嬉しそうになった。
「そうなんだ!やっぱりな〜!いいよね、なんかあからまさにそういう商売の人!って感じじゃなくて清楚な感じでさー!ハイクラスな感じだよね。そーかー、やっぱりそういうレベル高いのもあるんだね」
なんだか嬉しそうに納得している男を、千鶴は????と思いながらもとりあえず愛想よくにっこりとほほ笑みながら見ていた。
「……ところでさ、だいたいどのくらいなの?風間さん沖田さんクラスだからなぁ。俺みたいな貧乏人じゃあとてもとても?」
「いえ、そんな、貧乏だなんて……!」
とても貧乏には見えない、男の光沢のある上質のスーツを見ながら千鶴はあわてて言う。
「やっぱり一見の客にはいきなり値段なんて言わないか。……ところでさ、仕事はパーティだけってことはないよね?その後も一晩つきあってくれるんでしょ?」

 ここまできてようやく千鶴は男が何か勘違いしていることに気が付いた。
「その後…って…。いえ、私はその……」
「パーティだけじゃあ割に合わないよなぁ。高い金もらってるんでしょ?俺も二代目のボンボンだから、風間さんほどじゃないけどある程度は払えるよ。将来の見込み客としてちょっと味見させてよ」
椅子から立ち上がって後ずさろうとしている千鶴の手首を掴んで、男も立ち上がった。そのまま自販機と壁の間に押し付けられる。
「ちょっ……!やめてください!」
「お高くとまってんなぁ。金さえもらえばやることやらすんでしょ?試食だよ試食。将来の客を邪険にしない方がいいと思うよ」
にこやかに微笑みながらも、千鶴を押さえつける手はどんどん強くなり男のにやにやと笑っている唇が近づいてきた。千鶴が顔をそむけたため男の唇は千鶴の耳にあたった。男はそのまま耳を舐め、くわえる。
「やっ!いやっ!!」
「あー…いい匂い……。ほっそいな〜。柔らかいし白いし……」
男が唇を千鶴のうなじへと滑らせたとき、突然千鶴の手首を掴んでいた男の手が外れた。


 「……下種め……!」
低い、ゆったりとした、吐き捨てるような声とともに鈍い音がして、突然千鶴の目の前が明るくなった。
目を見開いている千鶴の前で、先ほどの男が殴り飛ばされ、机と椅子にぶちあたり派手な音をたてる。
「……風間さん……!」
千鶴の声に、男は殴られた頬に手をあてて風間を見た。そしてみるみると青ざめて行く。その様子を見て、風間は男に顎で出口を指示した。
「……とっとと出ていけ。二度と俺の前に顔を出すな」
「あ…、あの……俺……」
「出て行けと言っている。これ以上同じことを言わすのならお前の親父も二度と俺の前に顔を出せないようにするぞ」
風間の言葉に男はあわてて立ち上がると、バタバタと走って喫茶コーナーから出て行った。

 それを見ながら風間は男を殴った自分の拳を眺める。
「ノートをぶつけられたり、カバンをぶつけられたり、枝でたたかれたり……。あげくはこれか。お前はいったいなんなんだ。俺の疫病神か?」
眉根をしかめ千鶴をにらむ風間に、千鶴は謝った。まだ襲われた恐怖から声が震える。
「あ、あの……すいませんでした……。あ、ありがとうございま……」
瞳から零れ落ちた涙で、続きの言葉は言えなかった。

物のように扱われた屈辱感、抗えない力で抑え込まれた恐怖、抵抗できなかった悔しさ、そして……、お使いさえも満足にできない情けない自分……。
様々な感情が、ほっとした瞬間に襲ってきて千鶴の言葉を奪った。目を見開いて、続きを言おうと口を開いたまま茫然と涙をあとからあとからこぼれ落とす千鶴に、風間は舌打ちをした。
「……やっかいな…」
心の底から苛立たしげにそう言う風間の口調に、千鶴は怯えてびくりと肩を震わす。それと同時に風間の腕が、千鶴をゆっくりと自分の胸へと引き寄せた。
「あ、あの……?」
風間のスーツを着た胸に顔を押し付けられて、千鶴は戸惑った。風間の腕はやさしく千鶴の肩にまわされて、千鶴は暖かく抱きしめれれていた。
「あ、あの、放してくだ…」
「静かにしろ」
問答無用、という感じで言い捨てる風間に、千鶴は黙り込む。その沈黙が何故か千鶴の心を落ち着かせてくれるようで、千鶴は強張った体の力を抜いた。そして多分なぐさめてくれている風間の優しさに、少しだけ寄りかかったのだった。

 

 

 

 

 

 





                          


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