【どういう関係?】

 






 

 「千鶴ちゃん、こっちにおいで」
凍えそうなくらい冷たい総司の声に、千鶴は戸惑った。総司の傍に行きたいのはやまやまだが、草履がまだ風間の手の中にある。それにバッグをぶつけ枝で顔をたたいてしまった上、親切にも草履を修理してくれている風間をなんだか見捨てるようで気が引ける。
「あ、あの……」
困ったように風間と総司を見比べている千鶴に、総司はもう一度言う。
「千鶴ちゃん」
怒っているようなその声に、千鶴がビクリと肩をすくめる。それをちらりと見て、風間は言った。
「できたぞ。足をだせ」
そう言うと、風間は真っ白な自分の着物が汚れてしまうのにもかまわずに、すっと千鶴の前にひざまずいた。慌てた千鶴が、風間さん!着物が……!というのをさえぎって、もう一度苛立たしげに言う。
「足!」
「は、はい!」
思わず差し出した、真白な足袋に包まれた千鶴の足を風間は手に取り、優しく草履をはかせてくれた。
「あの…ありがとうございます」
意外なほど優しい風間の仕草に、千鶴は何故か赤くなりながらお礼を言った。それを待っていたかのように、総司が苛立しげに千鶴を自分の方へ引き寄せる。
「助けてくれたみたいだね。……ありがとう」
千鶴を抱え込む様に抱きながら独占欲丸出しで言う総司に、風間は聞く。

「ただの社員……というわけではなさそうだな。どういう関係だ?」

「婚約者だよ」
「か、彼女です!!」

同時に出た言葉に、総司と千鶴が顔を見合わせる。総司の薄い緑色の瞳を見て千鶴は震えあがった。

 お、怒られる…!

ずっと『体だけの関係』だった千鶴にしてみれば、『彼女』というのもすごくずうずうしいような気がして、でも勇気をだして言ったのだが、総司はそうは思っていないようだ。

風間の平静な声が二人のにらみ合いを破った。

「意見が違うようだが」

面白そうに言う風間を睨みつけて、総司は千鶴の手をぎゅっと、痛いくらい握りながら言った。
「こっちの話だよ。あんたには関係ない」
そう言ってちらり、と千鶴を見た総司の顔には『後で覚えておきなよ』とくっきり書かれていた。
青ざめて震えている千鶴にはかまわずに、風間は続けた。

「ふん……。まだしっかりとした関係ではない、という事か。お前の会社の噂はちらほら聞いている。だからこそ正式に発表できないというわけだな」
そう言って風間は今度は千鶴をまっすぐに見つめた。
「おい、女」
「雪村千鶴です。前に自己紹介したと思いますけど」
思わず言い返してしまった千鶴を、総司が驚いたように見た。風間も目を瞬き、そして柔らかく微笑みながら続けた。
「……雪村千鶴。沖田など見捨てて俺のところにくるがいい。今よりももっといい条件で迎えてやる。……仕事でも、私生活でも…な」

 「っな……!」
「おっお断りです!あり得ません!」
息を呑んだ総司の横で、千鶴は即座に断った。
「そ、そういうのはよくないと思います……!仕事でも、私生活でも!条件とかじゃない大切なものがあります!」
「ふん……。その『大切なもの』とはなんだ。犬の餌にもならん愛とやらか」
馬鹿にしたように言う風間に千鶴は答える。
「それのどこか悪いんですか。実際お金や条件じゃなくてそういうもので行動する人を、私は知ってます。それを間違っているなんて言う権利は、あなたにはないはずです」
沖田はもちろん、平助や斎藤、土方もきっとそうだ。純粋にお金と自分の事だけ考えればさっさと会社を潰して新しい人生を歩いた方が楽なはずなのに、みんな敢えて苦しい道を選んでいる。それはきっと『大切なもの』が彼らを突き動かしているから。風間が何と言おうと、千鶴はそれは譲る気はなかった。
「終身雇用など過去の夢だ。会社に対する忠誠やら滅私奉公やらわけのわからん世迷いごとを抜かす時代は終わったのだ」
「時代と信念は違います!」

いつも控えめな千鶴が、よりにもよってあの『風間』に堂々と言い返すのを見て総司は目を見開いた。
「……君たち知り合いなの?」
総司の言葉に、千鶴と風間は総司を見た。風間が楽しそうに微笑んだ。
「……なんだ、言っていないのか雪村千鶴。我々の出会いを」
楽しそうに煌めく赤い瞳は、あきらかにビスチェの時のきわどい出会いのことを思い出しているようだった。そんなことを今の総司に言ったら……!
ただでさえこの嫉妬深い恋人は、婚約者ではなく「彼女」と言ってしまったせいで機嫌を損ねているのだ。風間との出会いの話をしたらいったいどうなるのか恐ろし過ぎる…!
「あっあの…!あそこでお会いしたんです!あの…総司さんのおばあ様の別宅で!」
そうですよね!という顔で、千鶴は必死に風間を見た。風間は面白がっているような目で千鶴を見る。
「ふん……。まぁそうだな」

 ほっ……!

千鶴は肩の力を抜いた。総司が言う。
「まだあの土地をあきらめてないの?ほんとしつこいよね。なんでそんなにあそこにこだわってるのか知らないけどさ」
風間はちらりと千鶴を見た。千鶴はそれを受けて視線をそらせてうつむく。
あの土地に風間がこだわるわけを、千鶴は知っている。しかし、それを総司に伝えるのは何故かはばかられた。あの時話してくれたのは…なんというのか……偶然で、多分風間はあの話は誰にもするつもりはなかったのではないだろうか。それを自分が他人に話してしまうのは、なんだかたまたま知ってしまった風間のプライバシーを公表してしまうような罪悪感があった。

「……」
俯いたまま何もしゃべろうとしない千鶴を、風間はじっと見つめる。
そしてふいっと視線をそらすと、ニヤッと笑った。そしてだんだんと、何がおかしいのか風間は声を出して笑い出す。

「ふ……!あっはっはっはっ……!面白くなってきたな…!こんなに楽しいのは久々だ。雪村千鶴、よく考えるといい。今にも破たんしそうな沖田の会社とわが風間グループは雲泥の違いだぞ。欲しいものは何でも手に入る」

 言い返す言葉がもううかばなくて口をぱくぱくさせている千鶴と青ざめて拳を握りしめている総司を、楽しそうに一瞥してから風間は踵を返すと笑いながら去ってった。

 

 

 もうすでに暗くなっている自動車道。総司は滑るように車を飛ばしていた。

 総司が運転する帰りの車の中は、嫌な沈黙が漂っていた。
千鶴は全身をこわばらせたまま、ちらちらと総司の顔をうかがう。総司は前を見たまま硬い表情を崩さなかった。
あれから一言もしゃべらない総司に、千鶴は小さく溜息をつく。と、それが合図だったかのように総司が口を開いた。

「……僕プロポーズしたと思ってたんだけど?」
びくぅ!と千鶴は助手席で飛び上がった。
「はっはい!ゆっ指輪までいただいてしまって……!ほんとうにもったいないことです。ありがとうございます!」
千鶴の反応に、なんか違う…と思いながら総司はハンドルをきった。
「じゃあなんて『彼女』なのさ」
「……まだ、慣れてなくて……?」
自分でもわからない、というように首をかしげながら言う千鶴を、総司はちらりと見る。
「案外本音なんじゃないの。婚約者なんかよりもっと軽い関係の方がお望みとか?」
総司は我ながら絡んでるなぁと思いつつも、拗ねたような言葉がとまらない。想像通り千鶴はわたわたと慌てている。
「そんな…!そんなことありません!私だって本当にうれしかったんです。指輪だってほら!」
そう言って千鶴は運転中の総司の目の前に、指輪をはめた自分の手のひらを差し出す。総司は溜息をついて、ちょうどあったパーキングエリアの一番端に車を停めた。

「僕は千鶴ちゃんのこと好きだよ。愛してる。大切にして幸せにしたいと思ってる」
パーキングエリアの街灯の光が総司の顔の半分をぼんやりと照らす中、総司は千鶴をまっすぐに見つめた。あまりにも真剣な総司の瞳に、千鶴は赤くなりながらも目をそらせなかった。
「千鶴ちゃんは僕のことどう思ってるの?僕が望んだから傍にいてくれてるだけなの?」
「好きです!」
あまりにも素早い千鶴の即答に、総司は目を瞬かせた。大きな瞳に零れ落ちそうな涙をためて、背中の帯のせいで前のめりになりながら、千鶴は総司を見つめていた。
「……沖田さん、だけです…」
すがる様な千鶴の瞳に、総司は胸が痛いくらいに切なくなった。
彼女にすべて捨てさせたのは自分だ。それなのに彼女の気持ちを疑うなんてあり得ない。嫉妬でそんなことも見えなくなっていた自分に苦笑いをした。
それは多分風間が言ったことが少なからず図星だったから。

今の総司には、千鶴にちゃんとした関係も、欲しいものをなんでも与えてあげることもできない。それが思ったよりも総司の心を縛っていたことに、自分自身今初めて気が付いた。
「……千鶴ちゃんは、欲しいもの何かある?」
唐突に思える総司の質問に、千鶴は目を見開いた。さっきまでのピリピリした雰囲気ではないその質問に、千鶴は考えを巡らす。
「欲しいもの…ですか…。特に今は思いつかないですけど……」
千鶴はしばらく考えて、逆に総司に聞く。
「沖田さんは何か欲しいものがあるんですか?」
千鶴の質問に、総司は片眉をあげた。しばらく考えてから千鶴の瞳を見つめながら答える。

「……僕の欲しいものは、全部君の中にあるからね」

そう言うと、総司は運転席から身を乗り出して千鶴の唇にそっと唇を寄せた。







                          


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