【雪村千鶴といいます】
これから行く物件の最寄駅で待っていた左之と、千鶴は初めて挨拶をした。
「よっ。千鶴ちゃん…か?電話ではいつもありがとな」
「雪村千鶴と言います。こちらこそ。よろしくお願いします」
左之は総司よりも背が高く、がっちりとしていた。しかし頭が小さいのと全身からあふれ出ている色気とで、あまり威圧感は感じない。人好きする笑顔も一役買っているのだろう。やり手の営業、というのもよくわかる。もう一度会いたい、話を聞きたいと思わせる魅力を持っていた。
とりあえず昼ご飯を駅の傍で食べることにして、左之と平助、斎藤と千鶴の4人は駅前の蕎麦屋へと入った。
「ああ……、まぁ気持ちはなんとなくわからねぇでもねぇな」
最初は仕事を手伝わせてもらえなかったのだ、と千鶴が言うと、左之はそう言った。平助も、うんうん、とうなずき斎藤も特に何も言わないということは同意見なのだろう。
「そうなんですか…?手伝わせてもらえないのも、それはそれで寂しかったんですけど……」
「まぁ、千鶴ちゃんからしたらそうだろうけどよ。男からしたらかっさらってきたからには……こう…見栄をはりてぇだろ」
「見栄……?」
「つまり、自分についてきてよかった、と雪村に思って欲しい、ということだ」
「私、後悔なんてしてないのに…?」
「ああ、だから、男は馬鹿なんだよ。千鶴ちゃんがどう思ってるか、ということに気づかなくて、自分で勝手に思い込んじまってるんだな。金とか旅行とか美味しいもんとか服とか宝石とか……そいうもんをたくさん自分の女にあげられるのが男の甲斐性だって。そういうものに喜んでる女の顔を自分が見てーんだよ」
左之の言葉に、千鶴はそうだったのか…と合点がいった。同じようなことを総司も言っていた。
千鶴が考えている顔を、平助はじっと見ていた。しばらくして言う。
「俺さ、総司とはずいぶん前から一緒に仕事してんだけど、あいつが女連れで実家に帰ってきたって聞いて、正直何考えてんだって思ったんだよな。状況がどれだけたいへんかわかってんのかって。女と過ごしてる時間があんなら仕事しろよって」
平助の言葉に、左之も斎藤も何も言わない。きっと同じように思っていたのだろう。
千鶴は居心地が悪くなった。
自分のせいで総司に対するみんなの信頼が崩れてしまうのはつらい。つらいというより……絶対に避けなくてはいけない。自分はどんなにつらくてもいいから総司の傍にいたい、と思ってついてきたが、そのせいで協力してくれる人達の信頼を総司が失ってしまうのなら、それくらいなら……。
「あー!待って待って!誤解すんな。今はそんなことこれっぽっちも思ってねーからよ」
慌てたように平助が言う。俯いて真剣に考えていた千鶴はその声で顔をあげた。
「あいつ、いっつもいねーだろ?親父さんのしりぬぐいであちこち走り回って頭下げて、謝って、怒鳴られて、ごねられて……。そんなんばっかりやってんだよ。土方さんが仕事を受けてくれれば、弁護士として対応してもらえるんだけど今はあいつ個人で応対しなくちゃなんねーからさ。債権者なんてほとんどヤクザみてーなやつらばっかだしさ。説明求められたって資料は今あんなんだろ?ロクに答えられねえから余計つっこまれて……」
平助の言葉に千鶴はぐちゃぐちゃの未整理のまま突っ込まれている書類の山と、毎夜疲れた顔をして帰って来る総司を思い浮かべる。
「総司の性格からしたらぶちきれそうな状況だと思うんだよな。しかも自分のせいじゃねーしさ。それなのに全従業員と家族の今後の人生がかかってるんだぜ?投げ出したくなったりやけになったりするのがふつうだと思うんだけどさ」
平助はそう言って千鶴と視線をあわせてにかっと笑った。
「だけど、あいつ俺が思ってたよりずっとしっかりしてるよ。頑張ってる。ほんとすげーなって思うくらい。嫌いな土方さんにも日参して協力してくれるよう頭さげてるんだぜ」
平助の総司に対する高い評価に千鶴はほっとした。
しかしなんだか思わせぶりな平助の視線の意味はなんだろう…?何か自分に言いたいのだろうか……?
そんなことを千鶴が思っていると、見かねて斎藤が口添えをした。
「総司ががんばっていられるのは、お前のおかげだ、と平助は言いたいのだ」
斎藤の言葉に真っ赤になっている千鶴を見ながら、左之は微笑んだ。
それはもちろんそうだろう。千鶴のようなかわいい女の子が自分の傍にいて、自分のことだけしか見えていなくて、何があっても自分についてきてくれる……なんて言ってくれたら、それは男はこれまで出したことのないような力を出せるに違いない。
あの総司がねぇ…。
平助よりも総司との付き合いが長い左之はにやにやしながら千鶴を見つめた。
またしっかりしたのにつかまったもんだ。
そう思いながら、左之はようやくきた自分の天ぷらそばに一味をたっぷりとかけた。
「あの、私ちょっと庭を見てきていいですか?」
平助と左之は屋敷の内部をあれこれメモったり写真を撮ったりしながら歩き回り、斎藤は管理人と頭を突き合わせて何か書類を見ている。千鶴は、では庭の様子を観察してこようと、そう言った。三人と管理人からの了承を得てから、千鶴はデジカメとメモ帳を持って庭に出る。
その屋敷は駅から車で20分ほど行ったところの高台にあった。広い日本庭園は仕切りがなくそのまま後ろの山へとつながっており、静かな空気と遠くに海を臨む美しい景色とにめぐまれたロケーションだった。屋敷は昭和初期ごろに建てられた純和風で宿泊施設にするには小さいが、趣のある落ち着いた雰囲気で、使い方次第では訪問したいと思う人がいるのではないかと思える物件だ。そこらへんのアイディアは左之と平助が今練っているところなのだろう。千鶴は一人で庭の後ろから山へと登って行く。
「よいしょっと……」
張り出した枝につかまって急な坂を上りきると、そこは高台で、海が思ったよりも近くに見えた。気持ちのいい風が吹いている。
「わぁ……。きれい……」
千鶴が思わず小さく呟いて木々をかき分けてもう少し開けた場所へと出ると、その先の大きな石の上に誰かが腰かけていた。
「誰だお前は。ここは私有地だぞ。早く立ち去れ」
低い低い、ゆったりとした、でも拒否することなどとでもできないような威圧的なけだるげな声……。
千鶴にはその声は聞き覚えがあった。はっとしてその人物の顔を見ると、印象的な鮮やかな紅の瞳に金色かと思うくらいの薄い髪の色、腰かけていてもわかるすらりとした長身…。
あのパーティの時に、ビスチェの紐を結んでくれた人だ……!
その後の、ハート型の痣についてのやりとりを思い出して千鶴は驚きつつも、唇をかんだ。
「口がきけないのか?とっとと立ち去れと言っている」
男はそう言い捨てると再び千鶴に背を向けて、海の見える景色の方へ向き直った。
気づいていない……?
どうやら男の方は千鶴があの時の人物だとは気づいていないようだった。千鶴は少しだけ安心して、口を開く。
「あ、あなたこそどちら様ですか…!私はここを管理している会社の者ですけど」
「何……?」
男はそう言うと千鶴をもう一度見つめた。千鶴は男の鋭い視線を、ぐっと我慢して受けてめてでこぼこの草むらを、男の方へと足を進めた。
と、パンプスのヒールが土にひっかかりバランスが崩れる。
「っきゃぁ……!!」
悲鳴とともに千鶴は転び、持っていたノート、デジカメ、ボールペンを放り出してしまった。
ノートがぱらぱらとページをめくりながら空を飛び、こちらを見ていた男の顔に見事に命中した。その後にボールペンが、コン、と音を立てて男の頭にぶつかって地面に落ちる。
千鶴は地面に手をついたまま青ざめて男を見上げた。
男の顔からパサッと静かにノートが落ちた。男はまだ固まったままだ。尊大な男の雰囲気からどれだけ怒鳴られるかと千鶴は覚悟をする。
「……無礼な女だ。沖田の会社にはびったりだな」
怒鳴られなかったこと、『沖田』の名前を知っていたことに驚いて千鶴は目を瞬いた。男は立ち上がると地面に落ちたボールペンを拾い、千鶴に差し出す。
「あ……ありがとうございます……。すっすいませんでした…!あの、あの御怪我は……?」
「これぐらいでけがなどするか。さっさと立て。手が泥まみれだぞ」
慌てて千鶴は立ち上がり、自分の手を払う。ハンカチはカバンの中にいれたまま屋敷に置いてきてしまった。どうしようかと思っていると、男が舌打ちをして自分のスーツのポケットからグレイのハンカチを差し出した。
「あの、いえそんな悪いです……」
「いいからさっさとふけ。そんな汚い手のままでいられると迷惑だ」
あのビスチェの時と同じ、遠慮など無駄だというような圧迫感に、千鶴はハンカチを受け取り自分の手をふいた。
ありがとうございました、とハンカチを返す千鶴に、男は聞いた。
「何しにきたのだ。所有者が死んでからほとんどほったらかしにしていたはずだが。沖田の会社は借金で首が回らないという噂も聞くことだし、売るための下見にでも来たのか」
男の皮肉っぽい言葉に、千鶴は彼を見る。
「……沖田さんをご存じなんですか?あなたはいったい……」
「……この土地を売るように、何度も沖田には申し入れているはずだがな。市場価格よりかなりいい値段を提示している」
男はそう言うと胸ポケットから名刺を取り出し、千鶴に渡した。
「もし、売るつもりなら、そこらへんのへんな不動産会社には売らずここへ連絡しろ。変な奴らに売って『開発』などと称して切り売りされたり妙な物を建てられてはかなわん。金額的には相談にのるぞ」
その名刺には、『株式会社 カザマ 代表取締役社長 風間千景』とある。
「カ、カザマってあの……!」
千鶴でも知っている日本を代表する財閥系の総合商事だ。この間のパーティを開催した社長夫人の会社もカザマグループの一員だ。
だからパーティにもでず、あんな部屋で昼寝していることができたんだ……。
千鶴は改めてその男……風間千景を見た。
「あの…、どうしてここに?それにどうしてそんなにこの土地が欲しいんですか?」
千鶴はふと心に浮かんだ疑問を、そのまま素直に風間にぶつける。確かにこの土地は都心からも近いし景色も素敵だし静かでいいところではあるが……カザマの社長がそこまで欲しがるほどいい物件とは思えない。それにたとえ欲しがっていたとしても、わざわざ一人でなぜこんなところにいるのだろうか?よくわからないが、社長ともなれば秘書とかおつきの人とか……いるのではないのだろうか?
風間は千鶴の質問を馬鹿にしたように鼻で笑った。
「なぜこの俺がそんな質問に答えなくてはならん」
「だってここはこちらの会社の私有地です。なぜ勝手に入ってらっしゃるのか聞く権利はあると思います」
千鶴の言葉に風間は目を瞬いた。
「うるさい女だ。……この屋敷のすぐ裏が俺の別荘になっている。時間がとれるとたまに来る。この場所は…、この場所は昔は風間一族の土地で、俺の祖父が好きだった場所だ」
「おじいさん?」
いきなりとんだ話に千鶴が聞き返すと、風間はしばらく黙り込んだ。
何か考えているように海へと視線をやる彼を見て、邪魔をしてはいけないように感じ、千鶴も黙ったまま海を眺める。
「……祖父は……好きな女性がいたそうだ。家が決めた婚約者だったが、祖父は彼女を大事にしていた。その女性がここを……この屋敷を好きで、ここからの景色が好きだった、と俺はよく子供のころ祖父から聞いた」
海を見たまま話す風間を、千鶴は黙ったまま見つめる。
「婚約もして、結納返しに彼女が好きだったこの屋敷を贈ったそうだ。しかし……その後女性は別の男性と恋に落ち、婚約を破棄してその男と結婚した。バカな祖父はそれでもこの屋敷はそのまま彼女に与えたそうだ。カザマの大事な資産を一時の気の迷いで女にやるなどと言語道断な話だ。だから俺は取り戻したいと考えて……。なんだ、何を笑っているのだ」
「だって……」
千鶴は口ごもった。
「いいんですか?言って」
「理由も分からず笑われているのは不愉快だ。理由を言え」
「バカだ、とか言語道断、とか風間さんが思ってらっしゃるのなら、なんで今この場所にいらっしゃるのかな、って思って」
おじい様の想いを大事にされているからここにいらっしゃるんじゃないんですか?
そう言う千鶴の顔を、風間は面白くなさそうに見た。
「ふん。そう思いたいなら勝手に思っているがいい」
風間はそう言い捨てると、視線を海へと戻してしまった。
「あの……私この土地を売るかどうか判断するために来たんですが……」
千鶴の言葉に風間は再びふりむいた。
「ここを見たときの、一緒に来た他の専門家の人達の反応からみると、多分売るということにはならないと思います。でも安心なさってください。もしかしたら公開とかはするかもしれないですけど、大事に管理してこの雰囲気を壊さないようにしていきたいと思っています」
風間の祖父との婚約を破棄して、その女性が結婚した相手はきっと総司の祖父なのだろう。そして総司の祖父がその女性に、このDEARESTの指輪を贈ったのだ。
千鶴は自分の指にはまっている指輪をそっと指でなでる。
総司と風間にそんな確執があったとは知らなかった。総司は知っているのだろうか。でもどぢらにしても総司もできれば売りたくない、と言っていたし、千鶴自身もこの場所に来てみて素敵だと感じた。きっと他にも同じように思う人がいるはずだ。たまの休暇にこんなところでゆっくりしたい、と思う人が。やり方次第では所有したままにできるのではないだろうか。
考えをめぐらせている千鶴を、風間は観察するように見つめる。
変わった女だと思う。
何故か傍にいても気にならず、逆に心が落ち着く。話すつもりなど全くなかった祖父の話までついしてしまった。
自分の容姿、体格、性格、そしてカザマという会社のもつ権力……。たいていの人間はこういったものに圧倒されて風間の前にでると変に委縮するか突っかかって来るかのどちらかだった。風間自身もそれに慣れていたのだが、千鶴はそんな気負いは全く感じていないようだ。
楽しそうに笑い、言い返し、素直に質問をしてくる。
「ふん……。まぁいい。焦るつもりはない。売る気になったら連絡しろ。それよりいいのか。お前をさがしているような呼び声が聞こえるが」
千鶴が、えっ!と慌てて耳を澄ますと、確かに平助の声らしき呼び声が聞こえる。
「あっもう行かないと……!すいませんでした。ありがとうございました!」
ぺこりとお辞儀をして踵を返した千鶴に、風間が言った。
「女。名前はなんという」
千鶴は振り向き、にっこり笑った。
「雪村千鶴と言います」
「そうか。……背中のハートは、まだ消えてはいないのだろうな?」
突然の風間の言葉に千鶴はキョトンとした。
ハート?背中………。
あっ!!という顔をしてみるみるうちに赤くなっていく千鶴を、風間は楽しそうな顔で眺める。
「そんなに赤くなるとハートも赤くなるぞ」
からかうような言葉に、千鶴は返事もせずに、さ、さようなら!!と言って背中を向けて急いで立ち去った。
後ろから聞こえてくる楽しそうな笑い声に、千鶴は赤くなりながら急いで坂を降りて行ったのだった。
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