【やきもちやいてよ】





 

 その電話の声はとても艶っぽく、色気のある声だった。
「あ、はい。藤堂ですね。少々お待ちください」
千鶴はそう言って、俺?という顔で自分を指差している平助に電話をまわす。狭い部屋の中で、人数も3人だけで、電話の応対の声は嫌でも耳に入ってくる。
「お!左之さん!とうとう本格開始?……うん。……うん。そう、今日行ってみようかと思ってる。……優良物件かどうかって?それは行ってみないとわかんね。うん、一君と……千鶴。そう、左之さんは会ったことないよね。え?現地に来るの?そっか、じゃあその時紹介するよ」

 平助が話しているのは、総司が今度新しく契約した、といっていた左之という人物だろう。この人とも前から接触があるらしく、営業開発企画と営業のエキスパートだ、と総司は言っていた。企業が持っている有形無形の資産を上手く市場のニーズに合致した形にして、そして営業し販売する。平助曰く「すげー人脈」の持ち主らしく、肩書は一応平助と同じ経営コンサルタントだが、得意分野は平助は社内の効率化、左之は社外へのアピール、と全く異なるため、よく組んで仕事をしているらしい。

 今日の午後行く予定の物件……。原田さんも来るんだ。ごあいさつしないと。

千鶴は山積みになっている書類を一枚一枚めくりながら、そう思った。
総司の家は、さすが古くから続く名家なだけあって、全国各地に別荘があった。……というか、昔は別荘や親族の家だったものが、時代とともに維持できなくなり、企業に保養所として使ってもらったり、美しい建築様式だったり希少価値がある家の場合は入館料とって公開していたのだ。しかし、やはりというかあいにくというか、総司の父は細かいところまで管理はしていなかったようで、公開したり貸したりして資産を生み出すような物件は全体のほんの一部。残りは明らかに負債なものと判断がつかないものとが入り混じっていた。明らかに負債な物件については総司が担当して、凄腕負債整理の弁護士である土方と処理をしていくことができるよう土方に頼み込んでいる。そして千鶴と平助、斎藤がしなくてはいけないのが、残りの負債なのか資産なのか判断つかないまま放置してある物件の確認と、負債なら処分し資産なら何らかの形で売るか貸すかなどを決め資産として運用していくことだった。

 もうすでに、斎藤と平助と千鶴で何件か見に行っている。さすが資産家だけあっていい場所にある土地が多く、有効に使えそうだった。今日の午後は総司の家から一番近くにある物件で、電車で30分ほど行ったところにある、海が見える高台にある古い邸宅に行く予定だった。管理費は毎年毎年かなりの額にのぼるのだが、公開も貸し出しもしていない。総司に聞くと、どうももとは総司の祖母の資産で、祖母が健在だったころはよくそこで過ごしていたらしい。

 「まぁ、おばあちゃんが好きな場所だったからできれば売りたくはないけど、そんなことも言ってられないからね。何か有効にお金を生み出すようなことができれば所有しててもいいし、そうでなければ売ってもしょうがないと思ってるよ。千鶴ちゃん達の判断にまかせる」

 昨日の夜に聞いたとき、そう言っていた総司をぼんやりと思い出していると、ドアが開いて当の本人が現れた。

「ああ〜土方さんだけじゃなくて難物がもう一人に増えたよ」
入るなりスーツ姿の総司は呆れたように言った。
「何だ?」
「一度は受けててくれたのに、さっきやっぱりたいへんそうだから、って断ってきたんだよ」
総司の言葉に、斎藤は合点が言ったのかうなずいた。
「あいつか。本人曰く資産運用のエキスパート……」
「まぁ、実際有能なんだけどね……。別に専属じゃなくてもいいって言ってるんだけどさ」
千鶴が誰のことを話しているんだろう…と思っていると、平助がにやにや笑いながら言った。
「それはさ、あの人のテだよ。要は後もう一回接待しろ、って言ってんの。キャバクラで」
「また!?」
総司はあきれたように言った。
「いいじゃん。今度は左之さんも呼ぼうぜ。あの人来るとキャバクラのおねーちゃんたち盛り上がるし」

 接待……
 キャバクラ……
 沖田さんもまさか……

唖然としている千鶴には気づかず三人は話を続ける。
「まぁ、あと一度くらいならいいだろう」
会社の財布をにぎっている斎藤が言う。
「どこの店にする?」
と、総司。
「いつものところでいいじゃん」
平助の言葉に総司が眉間に皺を寄せた。
「あの店の女の子、しつこいんだよね〜。接待でよく使うから会社携帯のメアド教えたんだけどさ」
「そう言えば総司、春ぐらいからずっと言い寄られてたよな〜。総司がいないときも、よくあの子にお前のこと聞かれたぜ」

話に花を咲かせている男性たちの横で、カタン、という静かな音とともに千鶴は立ち上がった。そしてそのまま隣の総司の父親の執務室へと歩いていく。三人が自分を見ていることに気が付いた千鶴は、軽く会釈をして、あの、ちょっと資料を探しに……といいながら執務室に入りパタンとドアを閉めた。
「……まずかった……よな?」
特に正式には説明されていないが、総司と千鶴は、まぁそういう関係なのだろうと思っていた平助は、困ったような申し訳なさそうな顔をした。
「追いかけて説明した方がいいのではないか」
斎藤もめずらしく口を添える。

総司は面白そうな顔で閉じられた執務室のドアを見ていたが、視線を平助と斎藤に戻した。
「まぁ、あとでフォローしておくからいいよ。それより日程をきめて新八さんを接待しようか。左之さんとも顔会わせてもらった方がいいし」
「お、おお…」
「では、俺がスケジュール調整と予約を取っておこう。総司のスケジュールはあそこに書いてある通りだな?」
その後しばらく新八の接待の話と仕事の状況報告をして。
平助と斎藤が仕事に戻った後に総司は執務室のドアを軽くノックした。

 「千鶴ちゃん?」
一番奥のキャビネットの前に、こちらを背にして千鶴は立っていた。
「……あの、ほんとに資料を探しに…」
「……ふぅん?別に何も聞いてないけど?」
「……」
赤くなって黙り込んだ千鶴を見ながら、総司は獲物を追い詰めた猫のように、にやにやしながら傍へと歩いていく。
「さっきの話ね、ほんと。千鶴ちゃんからチョコもらったころぐらいから、新八さんを何度もキャバクラで接待してたんだ。僕は春に一回と学会の時に一回しか行ってないんだけど、店の女の子に気に入られちゃってさ」
総司はそう言いながら千鶴の向かい側にまわりこみ、机に寄りかかるように軽く腰かけた。
「メールは来るし電話は来るし……。好きだから付き合ってほしいって言われたよ」
千鶴は、聞きたくない話をぺらぺらと聞かされて、体を固くした。
キャバクラの女性なんてよく知らないけれど、きっとキレイに違いない。その女の人と飲むためだけに高いお金をだす男の人がいるくらいなのだから……。
京都で自分と会いながらも総司が東京ではそんなことをしていたと知って、千鶴は少なからずショックを受けた。

 別に彼女じゃなかったし、体だけの関係だったんだから別に沖田さんは悪くなくて……。

自分の中のどす黒い気持ちをどうしたらいいのかわからなくて、千鶴はなんだか泣きたくなってしまった。
と、ふっと総司の匂いがして、引き寄せられ胸に優しく抱き留められる。
「……でもね、何にも感じなかったよ。好きって言われても」
総司はそう言いながら、机に腰をかけている自分の脚の間に千鶴を招き入れ千鶴の顎に手をかけて上を向かせ、瞳を合わせる。
「君に、好きです、って言われた時は心が震えたのにね」

深い緑の瞳に見つめられ、囁くようにそう言われて、千鶴は目を瞬いた。
しばらくして総司の言葉の意味がわかってくると、今度は別の意味で顔がだんだんと赤くなっていく。
そんな千鶴を総司は面白そうに見ていた。
「僕が他の女の子に言い寄られてた、って聞いて嫌な気持ちになった?」
再び千鶴を優しく抱き寄せて、総司が聞いた。

 わかっていたのにわざと他の女の子の話をした総司を、意地悪だ、と思いながらも千鶴はコクンと彼の胸の中でうなずく。
千鶴がうなずくのを感じて総司はくすくすと笑った。
「前さ、京都にいたころ、千鶴ちゃん妙に僕に遠慮してたでしょ。僕がもし他の女の子と裸でベッドにいるのを発見しても、千鶴ちゃんは焼きもちも焼かないで謝って帰って行くんじゃないかなぁって想像してなんだかさみしかったんだよね」
だからやきもちやいてくれて、嬉しいよ。
頭の上から聞こえてくる総司の言葉に、千鶴はまたもや赤くなった。
なんだか嬉しくて、幸せで、胸がむずがゆくなる。
総司の胸に沿えている自分の左手の薬指に光っているDEARESTの指輪が目に入り、抱きしめられながらも千鶴がぼんやりとそれを眺めていた。
そうしてるうちにふと気が付く。


 あれ……?でも、私……。


千鶴は顔をあげて総司を見る。

「何?」
優しい緑の瞳で聞く総司に、千鶴は不思議そうに言った。
「あの…私、『好きです』って言いましたか……?」
千鶴の言葉に、総司の表情はそのままで固まった。それに気づいた千鶴は焦ったように続ける。
「あっ、あの……あの、契約事項とかあったんで、私、できるだけそういう言葉は言わないようにしてて……。言いましたっけ?言ってないですよね……?」
「……ふーん、覚えてないんだ……。僕はあんなに感動したのに……。ふーん……」
「あっ…あ、……ごめんなさい……」
なんだか冷たく暗いオーラを発している総司に、千鶴はとりあえず謝った。しかし総司は拗ねたような顔をしたまま視線をそらしている。
「あの……沖田さん…」
おろおろとどうすればいいのかと困っている千鶴に、総司はぽつんと言った。
「……キスして」

 「……え?」
「キスして傷ついた僕を慰めて」
そう言って瞳を閉じる総司の顔は、なんだか唇が微笑んでいるような……。
しかし、大切な言葉を言ったことを(本当に言ったのだろうか……?言っていないと思うのだが…。)忘れていた負い目から、千鶴はごくり、と唾を飲んで総司の唇を見た。
部屋には、朝のさわやかな光が隅々まで満ちており、総司はネクタイにスーツ姿。千鶴も白いブラウスに膝丈のスカートというかっちりした姿だ。しかも隣の部屋には斎藤や平助が仕事をしている。キスはこれまでに何度もしたことはあるが、こんな雰囲気の中で、しかも千鶴からするのはかなりの勇気がいる。
瞳を閉じたまま待っている総司に無言で促され、千鶴はおずおずと唇を寄せた。千鶴はひどく緊張していたため、触れた唇の感覚が妙に鋭く感じられる。一度唇をあわせ、総司の下唇をそっと優しく唇でつまむ。そして上唇を。もう一度唇をあわせて……。総司も優しい触れるだけのキスをかえしてくる。千鶴は総司の柔らかなキスに、ここがどこだかをすっかり忘れて、彼の胸によりかかりキスを幾度も交わした。

 ガチャリ

執務室のドアが開く音が、千鶴の頭の中に響いた。総司に抱きしめられた状態で千鶴は固まる。
「失礼する。この資料を取りに来ただけだ。気にしないで続けてくれ」
斎藤の冷静な声が総司の向こう側からして、そのまままたガチャリ、と斎藤が出て行きドアを閉めた音がする。
「お、沖田さ……」
「見られちゃったね」
特に困っていないような顔でさらりと総司が言う。
千鶴は目も口もまんまるにあけて、真っ赤になったまま固まっていた。









   
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