【あの子をよろしくね】







 

  まるで総司を少し繊細にして女性にしたような整った顔が、瞳と口をきれいな円の形に開けて固まっている。となりに座っている年齢不詳の落ち着いた感じの和風美人はどうやら総司の母親で。こちらはさすが、というか全く動じていないようだった。総司はというと、向かいのソファの背に背中を預けて尊大に足を組んでジノリのコーヒーカップに入ったホットコーヒーをすすっている。千鶴は総司の隣に浅く座りながらそんな総司と、総司によく似た女性、その女性の隣の和風美人とをおたおたと見ていた。
「……どういうことなの?連れてきたって?」
総司とよく似た女性がつばを飲み込んで、怖いくらい静かな声で聞いてきた。怒りがふつふつと静かにこもった声で、千鶴はびくりと背筋を伸ばす。

総司は全く悠然と、変わらない態度で答えた。
「一緒に来る?って聞いたら来たから。だから連れてきた」
総司の短い答えに、その女性はバンッと机をたたいて立ち上がった。
「あんたそれ小学校の時、黒猫拾ってきた台詞とまったく一緒でしょ!彼女は女性で人間で……!!!『来たから連れてきた』じゃ済まないのよ!!」
そう言って、その女性は千鶴に視線を移す。
「あなた……。ごめんなさいね。うちのバカ弟が……。親御さんにはなんて言って来たの?」
総司に対するのとはまるで違う優しい言葉で、総司の姉は動揺したように考えがまとまらないまま質問をする。

「ミツ…。そんなことよりも、まずお名前をお聞きしないと。総司、あなたもちゃんと私たちを紹介なさい。彼女に失礼でしょう」
和風美人がおっとりと言った。言葉は柔らかいにもかかわらず逆らうことのできない重みがある。さすがの総司もカップをおいて座りなおした。
「千鶴ちゃん、こっちのぎゃんぎゃんうるさいのが僕の姉で隣が僕の母。母さん、姉さん、彼女は雪村千鶴さん。大学の後輩です」
「……千鶴さん、初めまして。このバカの姉のミツと言います。ご両親にはなんて言って来たの?」
「……母は私が小さいときに死んでしまったので、家族は父と兄だけです。……置手紙を置いてきました」

 千鶴の言葉に、ミツは一度座ったにもかかわらずまた勢いよく立ち上がった。
「置手紙って……!い、家出ってこと…!?総司!あんた挨拶にお伺いしなかったの!?」
「挨拶ってなんて挨拶するの。一緒に僕の実家に連れて行きますって?」
「……だって……!連れてきたっていうことはそういうことで、籍とか入れるんでしょう?それならあちらの親御さんだって無関係じゃないんだし……!っていうか、あんたこんな時に結婚なんてよくしようと思ったわね!このバカ!」
相変わらず動揺してまとまりのない思考をそのまま口にする姉に、総司は冷たい視線を向けた。
「結婚なんてしないよ。籍も入れない」
ぱくぱくぱく……。
とうとう思考がパンクしたようで、ミツは固まったまま、それでも何か言わなくては、というように口を開けたり閉めたりしている。ソファに座った三人はそんな彼女を眺めていた。

 しばらくして、ようやく落ち着いたのかミツは低い、底冷えのする声で言った。
「……総司、ちょっと来なさい……」
そう言うと、千鶴に、ちょっとごめんなさいね、と会釈して、総司の腕をひっぱって二人は廊下に出て行く。後に残された千鶴と総司の母は顔を見合わせた。

 


 静岡のホテルをのんびりと出て、総司は東京方面へと車を走らせた。東京へ行くのかと思っていたが、総司はその手前で高速を降りた。しばらく一般道を走ると、緑の多い閑静な住宅街へと車は入って行く。
さらに進むと、延々と続く壁や、高台にそびえる豪邸などが立ち並ぶそうそうたる高級住宅街にたどり着いた。千鶴があたりをきょきょろと見渡していると、総司は大きな鉄の門の前で車を止めた。一度車をおりて門を開け、車をその中へと入れる。
 中には大きな、ホテルかと見まごうような古い洋館がそびえたっていた。和風の洋館とでもいうのだろうか、長崎や横浜などで重要文化財に指定されているような雰囲気の、時代を感じさせるどっしりとした館だった。設備や庭のあちこちは古いけれどもきれいに手入れされている。こんな観光施設に何の用かと千鶴が考えていると、助手席のドアを開けて総司が覗き込んできた。
「ほら、着いたよ」
「え……?」
「僕の家」

 それからはあっという間だった。大きな扉の隣の小さな通用口から総司と一緒に館に入ると、お手伝いさんらしき中年の女性が、ぼっちゃん!と言いながら飛びつかんばかりに駆け寄ってきた。総司は『坊ちゃん』はいい加減やめるようにと少し慌てながら言い、ちらっと気まずそうに千鶴を見る。あいにくと千鶴は総司の家、お手伝いさん、家の中の重厚な調度品やら雰囲気やら驚くことがたくさんありすぎて『坊ちゃん』はスルーしていた。そしてすぐに総司の姉と母が出迎えにやってきて……。応接室での一コマへとつながるのである。


 「千鶴さん……」
総司の母ののんびりとした優しい声に、千鶴は顔をあげた。総司の母は優しい瞳で千鶴を見つめている。
「あの子……。総司は何を考えているのか母親の私でもよくわからないところがあるけれど、大学を辞めてまで帰ってきてくれたってことは、きっと相当覚悟を決めて帰ってきたんだと思うの」
そう言って、紅茶を一口飲んでにっこりとほほ笑んだ。
「だから……。たぶんいい加減な気持ちであなたを連れてきたんじゃないと思うわ。……ってあなたはもうわかっているわね」
優しく自分を見つめる総司の母のまなざしに、千鶴は小さくうなずいた。
「……沖田さんは、特に何も言ってくれませんが……。連れてきてくれた経緯も本当にミツさんに話した通りだったんですけど……。でも気まぐれでこんなことをする人じゃないとは思うんで……」
千鶴の言葉に、総司の母は嬉しそうに微笑んだ。
「母親の勝手なんですけど、私はあなたが来てくれて……、総司が『連れて行きたい、一緒にいたい』と思うような女性があの子に居てくれて、本当に嬉しいの。人当たりはいいけれどあまり人を受け入れる子じゃないから、心を許せる女性はできないんじゃないかと不安に思っていたのよ。それに……」
そう言いながら、総司の母は心なしか暗い顔をした。
「……これからあの子はたぶん本当につらい思いをたくさんすると思うから……。あなたのような安らげる場所が総司の傍にあることは、あの子の救いになるわ」
そう言って、総司の母はスッと千鶴の向かい側のソファから立ち上がると、優雅な仕草で千鶴の側まで歩き、ゆっくりと千鶴の隣に座った。千鶴の瞳を見つめたまま両手をそっととり、握る。
「……あの子をよろしくね」
総司の母の言葉に、千鶴は少しうろたえた。
「……そんな、私なんて……。沖田さんにとってはお荷物なだけだと思います。連れてきてくれたのも、私が必死だったから同情してくれただけだと思うんですけど……でも」
そう言って、千鶴も総司の母の手を握り返した。
「私は沖田さんのことを、とても好きです。大切に、思ってます。沖田さんがつらい思いをこれからするのでしたら、できるだけ支えられるように頑張ります」
まっすぐな千鶴のまなざしに、総司の母は瞳にうっすらと涙を浮かべた。

 「……強いのね。きっとお父様お母様、お兄様にとても愛されてきたのね」
総司の母は、目じりの涙をそのすんなりとした白い指でそっとぬぐった。
「ねぇ、私も、私たちもお約束するわ。大事に大事に世話されて、太陽の光も栄養も水もたっぷりある土壌から乱暴に引っこ抜かれてここまで持ってこられてしまったあなたを……、私たちが責任を持って大切にします。枯れてしまうことなんかないように。娘だと思わせていただける?ミツも妹を欲しがっていたから喜ぶわ。総司は……忙しかったり疲れてたりで、あなたがつらくて寂しいことがあるかもしれない。でも、家族として私たちもいますから、大丈夫よ。安心して頼ってね」
総司の母の暖かな言葉に、千鶴は自分の緊張が柔らかくほどけて行くのを感じた。母の記憶はほとんどないが、きっと『お母さん』に愛され守られるというのはこういう感じなのだろう。あたたく柔らかいのにゆるぎない強さを感じる。千鶴は総司の母の顔を見ながら、ゆっくりとうなずいて、小さく、ありがとうございます、と言った。


 廊下で話している総司とミツは、応接室とは真逆の雰囲気だった。
「あんた、どういうことよ。千鶴さんは彼女じゃないの?」
「……彼女……ねぇ…。どうかな。最初はそういう話じゃなかったけど」
「はぁ!?じゃあなんて事情を話してるの?」
「別に、事情なんか話してない」
「は、は、話してないって……!何にも!?」
総司は返事の代わりにめんどくさそうにうなずいた。
「じゃあ、じゃあ、あの子何も事情を知らないでついてきたってこと?千鶴さんの置手紙にも、事情は書いてないってこと!?あんた、千鶴さんのご家族に一言電話だけでもしておいた方がいいんじゃ……」
「それはしない」
それまでのうるさそうな態度から一変して、妙にきっぱりとそれだけは総司は断った。
なんで?心配してるわよ、というミツに、総司は自嘲気味に笑う。
「姉さんは甘すぎるよ。電話で事情話されたとして、どこの親が僕みたいなのに安心して預けるっていうのさ。警察使ってでも連れ戻すにきまってるよ」
「え……?」
総司の言葉にミツは目を見開いた。

総司の言葉は裏返せば、千鶴を連れ戻されたくないから敢えて彼女にも何も言わずにつれてきたということになる。

それはつまり……そんなことをしてまで彼女を傍に置いておきたかった、ということで……。
そして彼女も、何も知らされなくても総司の傍に居たくてついてきた、ということで……。

まるで捨て猫を拾ってきたみたいな適当な言葉や、結婚も籍もいれないなんていう情のないことを言っていたにもかかわらず、要は総司は彼女をどうしても連れてきたかったのだ。そして彼女も総司とともに居たかったのだろう。

 「……あいかわらずわかりにくいヤツ……」
呆れたようにつぶやくミツには構わず、総司は応接室の方を見る。
「千鶴ちゃんが心配だから、そろそろ応接室に帰りたいんだけど」


そう言って暗い廊下を歩いていく総司の背中を、ミツは溜息をついて見つめたのだった。








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