【WILD WIND 8-1】












羅刹を倒した後に合流した不知火とともに、左之と平助と斎藤は例のごとく隣家の軒下へと移動した。
「これは一体……お前か?不知火」
斎藤が突然現れた平助と左之について聞くと、不知火は曖昧にうなずいた。
「俺っつーか…天霧だよ。あいつ諸国を放浪して諜報活動みたいなこともしてるからこいつらが今どうしてるかも知っててさ」
その後は左之が引き継いだ。
「俺らは新八が開いた道場に居たんだよ。そしたら急に昔会った天霧がやってきてよ、斎藤がたいへんだから力を貸してくれねぇかって」
平助も頷いて言った。
「新八っつあんも来たがってたんだけどよ、これからどう転がるかわかんねぇだろ?新八っつあんの道場みたいな拠点も一応あったほうがいろいろいいこともあるかもしんねえしってことで今回は俺と左之さんだけで来たんだよ」
「……」
無言で左之と平助を見つめる斎藤に、平助が居心地悪そうに言う。
「……なんか…余計なお世話だった?」
平助の言葉に、斎藤はハッと我に返った。
「いや……とても……」
そう言って斎藤は再び黙り込む。平助と左之、不知火が顔を覗き込むと、斎藤はうっすらと目じりを赤くして俯いていた。
「……とても嬉しい。ありがとう」
そう言って真っ直ぐに目を合わせた斎藤に、平助と左之は顔を合わせた。
「いや…別にそんな……俺たち別に暇だしよ。そんな畏まるなって!照れるだろー?」
がしがしと頭を掻いて視線を空にさまよわせながら、左之も顔を少し赤くして照れ臭そうに言う。平助も「へへ…!」と笑いながら頭の後ろで手を組んだ。
「じゃ、そーと決まったら早速引っ越しだな!」
元気よくそう言って、な?と聞いてくる平助に、斎藤は頭をかしげた。
「引っ越し……とは?」
不知火が慌てたように会話に入って来る。
「あー…ちょっと待ったちょっと待った!まだこいつには話してねーんだよ」
左之は組んでいた腕を解き、不知火に尋ねる。
「話してない?なんでだ?君菊とは話しが付いてるんだろ?」
「ああ、まあ…そうだけどよ…」
「一体何の話だ」
割って入った斎藤に、平助が無邪気に言った。
「だから、俺らが千鶴んちに住み込んで道場開くって話だよ」

平助と左之が来てくれたことにも驚いたが、千鶴の家に住み込み道場を開くとは……。しかも知らないのは斎藤だけで、不知火も君菊もすでにそのつもりでいるようだ。
斎藤は無言のまま、横目で不知火を睨む。不知火は頭をガリガリと掻きながら視線をそらした。
「まあ…つまりそういうことだよ。千の姫さんや天霧たちと考えたんだけどよ、お前はどうあっても一人では千鶴んちに行くことに首を縦には振らねーだろ?確かに『斎藤という男と一緒に住んでいる』っていう情報は、例の部族たちに渡るとまずいとは俺も思うからお前の気持ちはわかるけどよ」
「わかっているのならなぜ……」
かぶせる様に言う斎藤を、不知火はさえぎった。
「わかっちゃいるけどな!やっぱりお前、このまんまだと死ぬぞ?それに『斎藤という男と…』はまずいが、『流れ者の男三人が離れで道場を開いている女蘭方医の家』だったらまず大丈夫だろ。ってわけでその方向で行こうと思っててよ」
「……」
不知火の言葉に斎藤は黙り込んだ。確かに平助と左之という濃い二人のキャラのおかげで、『斎藤』の影はかなり薄くなるだろう。近所の人からは流れ者の男三人というところに眉をひそめる人がいるかもしれないが、ここは江戸で人の出入りも激しいし、左之と平助の人好きのする人柄ならすぐになじんで人気者になるだろう。まるで昔からここに住んでいた者であるかのように。
しかし、ずうずうしく千鶴の家にあがりこむのは……
斎藤が沈思黙考している間に、平助と左之と不知火はもう話は終わったとばかり歩き出していた。
「じゃ、行くか」
「おー!千鶴ひっさしぶりだな〜!俺らのこと覚えてないんだよな?でも俺も羅刹だからさー千鶴の…波動っつーの?そういうのはここかれでも感じるんだよなー」
「お。そうなのかやっぱり。おれは人間のままだからわかんねえな」
「俺もわかるぜ。やっぱ純血の鬼だな、かなり強い」
「純血と混血とで違うもんなんかー」
などど仲良く話しながら、傘をさしてあばら家から出て行こうとしていた。
「待て」
斎藤の言葉が聞こえているのかいないのか、そのまま出て行ってしまった三人を斎藤は仕方なく追いかける。
左之がさしかけてくれた傘に入ると、こちらを物言いたげな瞳で見ている左之と目があった。
「……親父になるんだって?」
「……」
斎藤が何と答えていいかわからず沈黙していると、左之がにやりと笑って続けた。
「おめでとう」
「……ありがとう」
照れ臭そうに視線をそらして答えた斎藤に、左之はからかうように言う。
「あのとんがってて無口で無愛想な斎藤がねぇ〜。まさか千鶴がお前を好きになるとは思ってなかったなあ。どこがよかったのかね?」
「……知らん」
にやにやとしながらこちらを見ている左之の顔を見ないように、視線を前に固定して斎藤はむっつりと答えた。

「じゃ、俺からまず君菊よんでくっからよ」
なんだかよく考える暇もなく千鶴の家についてしまい、明確な反論も思い浮かべることもできず、斎藤は結局無言のまま皆の後ろについて千鶴の家に入って行ったのだった。

 

「斎藤さんが?」
応接間でお茶をだして、離れを借りたいこと、そこで道場を開きたい旨を君菊からの紹介の後に左之が告げると、千鶴がの顔がパッと輝いた。それをを見て、左之と平助は顔を見合わせた。千鶴はそれに気づき、恥ずかしそうに頬を染めて俯く。
「あ、あの……何度か危ないところを通りすがりに助けていただいて……その…もう一度お会いしたいと思っていたので……あっ」
思わず本音を言ってしまって恥ずかしい!というように両手で真っ赤になった頬を覆う千鶴を、不知火と左之と平助は生暖かい目で眺めた。

(なんだよ、記憶がないとか孤独に自分の命を削って千鶴を守ってるとか聞いてわざわざ来たのによー。この新婚空気はどうなってんだっつーの。)

(まあまあ。結局記憶があろうとなかろうと、千鶴の好きになる奴は斎藤っていうことだろ。夫婦仲良くて結構なことじゃねぇか。)

あてられてむくれる平助を左之がなだめる。斎藤は千鶴の思いがけない可愛らしい告白に、正座のまま頬を染めて固まっていた。
三人が離れを借りて道場を開く話は、賃料もきまりとんとんとまとまった。
基本的な生活は母屋の千鶴達とは別にするが、女二人では難しい力仕事や買い出しなどは左之達がすること、台所や風呂は一つしかないから時間を決めて共同でつかうこと、左之達は離れに続いている部屋で寝起きすること、掃除は自分が使ったところは自分ですること、などが決まる。
「じゃ、早速今夜からお邪魔していいか?」
「はい。とりあえず必要なものがそろうまでは、こちらのものをお貸ししますね。お布団は余分がないんですが……」
千鶴が困ったように言うと、平助が言った。
「いーっていーって、ごろ寝で!雨風がしのげれば充分だよ!」
「だな。また天気がよくなったら入用なものをまとめて買いに行けばいいしな」
「……」
自分ぬきで進んでいく展開に、斎藤はもう何を言えばいいのかわからずにだまったままだった。

「あの、今日は突然のことで夕飯の準備はされてないですよね?もしよろしければご一緒にいかがですか?」
君菊の誘いに、左之と平助が喜びの声をあげる。
「いいの?まじで?」
「おしっじゃあ俺も槇割りでも水汲みでも手伝うぜ」
そう言って左之は早速立ちあがった。平助も後に続き、二人を君菊が井戸へと案内していく。不知火は用事があるからとあいさつをして帰っていき、部屋には斎藤と千鶴が残された。

「……あの……よろしくお願いします」
沈黙に困って、千鶴が緊張しながらそう言うと、斎藤も気まずそうにうなずいた。
「いや、こちらこそ押しかけた様ですまないな。女所帯に男ばかりがずうずうしくもあがりこんでしまって……。近所の者に何か言われたりはしないか?」
「いえ!そんな…!」
そんなことまで気にしてくれていたのかと、千鶴はパッと顔を上げて続けた。
「斎藤さんのお人柄は、数回会っただけですけどわかっているつもりですし、他の方も良い方ばかりだと思います。言いたい人はどんなことにも口さがないことを言いますし、わかってくれる人はきっとわかってくれると思います。もうお嬢さんっていう年でもないですし、私は平気です」
きっぱりと言い切った千鶴に、斎藤の唇にほほえみが浮かんだ。

例え記憶がなくなっても、こういうところは変わらないと思う。
大人しく控えめに見えるけれども、千鶴は自分が思ったこと感じたことに素直に行動する。江戸から単独で男装して新選組に軟禁された経緯も、普通の女子ならとても無理だろう。細くてか弱そうに見えて、芯は強い。斎藤よりも強いのではないかと思う事すらある。そして彼女のそういうところを、好ましく思ったのだ。
そんな彼女の瞳に映る自分が、彼女が好いてくれていた自分のままでありたいと思う。
移ろいゆく時の中で、変わることのない自分でいたいと。

斎藤のかすかな微笑を見て、千鶴は妙にうれしくなった。
何故微笑んだのかはわからないが、好意的に思っているれているのかと想像すると、千鶴の胸は喜びで弾む。
もっと見て欲しい。
もっとを見て、そして笑って欲しい、と千鶴は思う。
この人がどんな人なのか、何故今微笑んだのか、何が好きで何が嫌いで、どういうふうに生きてきた人なのか、幸せそうなほほえみなのになぜそんなに悲しそうに見えるのか、全てを知りたいと思う。

好き…なのかな?
どんな人なのか何も知らないのに?
出会ったばかりなのに?

そこまで考えて、千鶴はふと今の自分を思い出して苦笑いをした。
記憶もなくてどんな過去があるのかすらわからない自分。こんな自分に好かれても、厄介だと思う人こそいれ、嬉しいと思うような男性はいないだろう。年齢的にも世間一般の婚期からはかなり年がいっているし、その上相手が誰だかわからないまま妊娠している。

こんな私がもう一度人を好きになるなんて、身の程知らずもいいところだよね。
思いをつたえるなんてとんでもないし、相愛なんてもっとありえないんだから、好きになっちゃったらつらいばっかり。

千鶴は小さく溜息をつくと、出していたお茶を片付けて立ち上がった。
「炊事を手伝ってきますね。ここにいらしてくださってもいいですし、もうこの家にお住まいになるのですから好きな所で楽になさっていてください。できたらお呼びします」
「いや、俺も左之達を手伝おう」
そう言って斎藤は立ち上がり、自然な仕草で千鶴がもっていたお盆をスッと自分が持ちかえる。
「あっあの……」
「気にすることはない。炊事場はどこだ?」


お盆を持ち替えたときに、千鶴の白い手に斎藤の手が少し触れた。
狭い廊下を追い抜かしていくときに、斎藤の胸に一瞬抱かれるような姿勢になった。

それだけで、心臓がとびあがるほどドキドキして触れたところが熱い。
もう何も知らない乙女というわけではない自分が、こんな風にうろたえているのはみっともなく恥ずかしい。そう思うものの千鶴の心臓はなかなか大人しくなってくれない。
思うようにならない自分の心に戸惑いながら、千鶴は歩き去る斎藤の背中を見つめていたのだった。

 




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