【WILD WIND 11】

※ここからのお話は全て千鶴ちゃん(記憶無)と斎藤さん(記憶アリ)の間の子どもがオリキャラとしてでてきます。また今回は出産ネタです。苦手な方はブラウザバック!





もっとびっくりするような大きな声で泣くものだとばかり思っていたが、その生まれたばかりの小さな塊は、不安になるようなか細い声でふにゃふにゃと言っているだけだった。
産湯を済ませおくるみにくるまれたその小さな塊は、君菊に抱き上げられる。そしてそれを恐々と、しかし興味津々!という顔で両脇から平助と左之が覗き込んだ。
君菊はその赤ん坊の顔を見てにっこりと微笑み、少し離れたところに立っている斎藤を見る。そして脚を進めると、赤ん坊を渡すような仕草をした。
「だ、抱いてもいいのか」
戸惑ったように君菊の顔を見た斎藤に、君菊は「もちろんです」と頷く。平助と左之も寄って来た。
「ほら、一君抱っこしてやれよ」
「気をつけろよ、落とすなよ」

こんな小さいものを抱くのは初めてだ。
……こんな小さくて大切な物を。
斎藤はそろりと腕を伸ばす。ぎこちなく抱き上げようとすると君菊が慌てたように注意をした。
「あ、まだ首がすわってないので……いえ、そうじゃなくて……。じゃあ腕をこうやって構えていてもらえますか?そこに置きますので」
赤ん坊を乗せられるように腕を緩く組んでぎこちなく固まっている斎藤に、君菊はそっと赤ん坊を移し替えた。
落ち着かなくふにゃふにゃと言いながら動いていた赤ん坊は、違うところに置かれたことに気付いたのか一瞬動きを止めた。
そして自分はどこに置かれたのかを確かめるように、まだ見えないはずの目をうっすらと開ける。
「……」
斎藤は驚き、息をするのも忘れてその小さな瞳を見つめ返す。
「おっこいつ親父がわかるのか?」
左之が覗き込み、目を開けて斎藤を見ている赤ん坊に驚いたように笑った。
「一君似かな?女の子みてーな顔だな。男の子なんだろ?」
平助も反対側から覗き込む。そして手を伸ばして赤ん坊のおくるみにくるまれていた手をそっと取り出す。
「ちっせー!こんなにちっせえのにちゃんと指がある!あ!爪も!」
「あたりまえだろー?」
君菊も吹き出し、にぎやかに笑っている三人の真ん中で、斎藤は赤ん坊を抱いたまま立ちすくんでいた。

すぐ壊れてしまいそうなくらい小さく華奢なのに、重い命の可能性が詰まっている。


……自分の息子。

あまり感傷的にはならない性質の斎藤だが、さすがに初めて我が子を抱いて胸に熱くこみ上げるものがあった。
しっかりと生きて、この子の母親を……自分の妻を守り、愛し、そして幸せにする。
自分のこの腕で。

一時静かになっていた赤ん坊だが、再び、今度はもう少し大きい声で泣き出した。
「こっ…これは……これはどうすれば……!」
自分の腕の中でふにょふにょした体をうごめかしながら泣いている赤ん坊に、斎藤はまるで導火線に火がついた爆弾を抱えているかのようにおろおろと周りを見渡した。
平助も左之も、当然役に立たない。
「あやしてやりゃーいーんじゃないの?ほら!べろべろばー!とかさ!左之さん!」
「お、俺か?俺がするのか?……べ、べろべろばああああ」
「ふやあああああ!ふやああああああ!」
左之のべろべろばあが不快だったのか、赤ん坊は今度は声を張り上げて泣き出した。
「ど、どうすればいいのだ、どうすれば……!」
慌てふためいている男たち三人に溜息をついて、君菊は手を差し出した。
「赤ちゃんは泣くものなんですよ。ほら、かしてください。そろそろお母さんも心配しますし」
君菊のしなやかな手がそっと赤ん坊を抱き取る。まだふやふや言っている赤ん坊を抱いて、君菊は千鶴が寝ている部屋へと向かった。
君菊は、千鶴が寝ている部屋の襖を開ける前に後ろをついてきている三人を振り向き、斎藤を見る。
「……どうしますか?千鶴さんに会われますか?」
普通の夫婦ならもちろん旦那が一番に嫁のそばに行くだろう。よくがんばってくれたと。立派な赤ちゃんで嬉しいと。

……しかし今の千鶴には斎藤と夫婦だったころの記憶がない。
斎藤のことを慕っているようだが、夫婦だとは……夫だとは思っていないのだ。客観的には斎藤は単なる店子であり、他人だ。
赤ん坊を産んだ直後などという極めて私的なところに足を踏み入れることのできるような存在ではない。
産んだ直後の乱れた姿を見られるのを千鶴が嫌がることもあるだろう。
しかし……出産は女にとって命の危険にもつながるたいへんな事だ。母体も赤ん坊も無事に生まれた喜びを誰かとわかちあいたいと千鶴が思っているかもしれない。
以前、市に一緒に行った際に『何も覚えていない』と言った千鶴の寂しそうな横顔を、斎藤は思い出した。あの時千鶴のお腹にいた子の父親については、もう終わったことと思うことにしていると言い、哀しそうに微笑んでいた。
今、同じように千鶴が寂しく思っているとしたら。
千鶴の無事と子どもが無事うまれたことを誰も待ち望んでいないと、哀しく思うようなことがあるのだとしたら。
例え笑われようと、千鶴の傍に行きたいと斎藤は思った。
そして、彼女の手をとって、おかしな男とおもわれようと、自分は……斎藤はとても嬉しく幸せだと思っていると伝えたい。
「……彼女が…彼女の気持ち次第だ。無理にとは言わないが……自分は会えたら嬉しいと思っている」
斎藤が考え考えそう言うと、君菊は頷いて襖をあけ、一人で部屋へと入って行った。
平助と左之は、「行くか」と言いどちらともなく去っていく。
斎藤は一人部屋の外の廊下で立っていた。



「はい、きれいになって帰ってきましたよ〜」
汚れた布団や着物は、下働きの女性が既に取り替えてくれていた。部屋はすっかり出産時の乱雑さが消えて、千鶴も落ち着いた様子で夜着を着て布団に横になっている。
君菊が入ってきたのを見て、ぱっと顔をほころばせ起き上ろうとする。
「ああ、そのまま横になってらしてください。赤ちゃんは……ほら、横に添い寝するように寝かせますから」
君菊はそう言うと、再び横になった千鶴の横に、おくるみにくるまれた赤ちゃんをそっと置いた。
出産のときは夢中で、赤ちゃんをよく見ることが出来なかった。千鶴はそっと赤ん坊の顔を覗き込む。赤ん坊は先ほど泣いたので疲れたのか眠っていた。
「産湯をつかっているときに盛大に泣いて、その後離れの斎藤さんたちが来てまた泣いて……疲れちゃったんでしょうね」
君菊も微笑みながら赤ん坊を覗き込む。
「あの……千鶴さん、斎藤さんが会いたいと外にいるんです。千鶴さんが今はちょっと、というのなら上手く断ります。どうされますか?」
千鶴は少し驚いた。
最近出会った謎めいた人。静かなたたずまいなのに、その内側にギラリとするような殺気が見え隠れする。
全く危険のない安全な人ではないと思う。何か過去にいろいろとある人ではないかとも。剣を持った時の緊張感が普通の町道場の人達とは違うのだ。
しかし千鶴に向けてくれる瞳はとても穏やかで澄んだ蒼い瞳で。
それを見ると千鶴はもう、彼の過去も自分の過去もどうでもよくなってしまうのだ。
正直彼が赤ん坊の父親であってくれれば、と思ったことも一度ではない。代わりにしてしまうのは本当の父親にも斎藤にも失礼だと思うが、こっそりと千鶴の胸の奥でそう思ってしまう。
そして今彼が来てくれた、というのが自分でも驚くほど嬉しい。
「あの、見苦しいですがよろしければ……と」
そう言って横になりながらもせめて、と胸元を整え髪をなでつける千鶴を、君菊は微笑みながら見つめ頷いた。
廊下への襖をあけて、「どうぞ」と小さい声で言い、入ってきた斎藤と入れ替わりで君菊は外に出ていく。

斎藤は少しためらった後部屋に入ると、千鶴と子どもの寝ている布団の枕元に少し離れて座った。
そして優しい目で赤ん坊を見る。
その視線がとても……幸せそうで慈愛に満ちていて、千鶴は驚いたものの嬉しかった。
斎藤の視線が赤ん坊から離れ千鶴へと向けられる。
「……いい子を産んだな」
知らず知らず気を張っていた千鶴は、斎藤の言葉にふっと緩み何やら胸から熱いものがこみ上げてきた。
記憶を失くしてからの日々。お腹の子と自分の事、過去の事今の事、いろんなことがありすぎていつも緊張していた気がする。
でもそれももうこれで一区切りついたのだ、という思いが千鶴の奥からじんわりとこみあげてすとんと落ち着いた。
「はい。ありがとうございます」
千鶴がほほえみを浮かべて斎藤を見上げる。
言葉はほとんどなかったが、お互いの表情を見るだけでなんとなく通じるものがある。二人はしばらくそのまま幸せそうに見つめあっていた。
「……名前はどうするのだ?」
斎藤が手を伸ばし、赤ん坊の頭をそっと触った。
「私の字を一文字とって、それと男の子なんで、『千太郎』にしようかと思っています」
「そうか、覚えやすくていい名だ」
斎藤が微笑んだ。この名前でいいかと不安に思っていた千鶴は、まるでどこかにいる本当の父親から承認されたようにほっとする。
「赤ちゃんのこととかいろいろわからないことだらけですけど……これからはきっと毎日とても楽しくなると思います」
以前に斎藤が『ずっと傍にいる』とも言ってくれたし。
にぎやかな道場と、この母屋で毎日毎日バタバタとあわただしく幸せな日が過ぎていくだとうと千鶴は微笑んだ。
斎藤も「そうだな」といい微笑む。

親子三人での一時は静かに流れて行ったのだった。








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