【WILD WIND 9-2】











「村正の銘の刀はいくつもあるけれど、これは妖や悪霊がとりついているのよ。これを持つ人の意識を食い殺し支配して、殺人狂へとむかわせる。これを所持して取り殺された人間の魂も、これに斬られた者たちの魂も、全て取り込んで、この刀は妖刀にふさわしい狂気となっているわ」
「……何故そんなものをここへ?」
その刀が発する禍々しい殺気にあてられて、鯉口を切りたくなる気持ちを必死に抑えながら斎藤が唸るように問う。
天霧がその問いに答えた。
「この刀は、人も鬼も羅刹も関係ないからです」
「?どういう意味だ?」
左之の問に、今度は不知火が答える。
「こいつは刃で斬るんじゃねぇ。目に見えねえ念みたいので斬るんだってよ。だから鬼だろうと人だろうと羅刹だろうと等しく斬る。そして羅刹や鬼の回復力は通常の刃限定で、こいつみたいな念での傷にはきかねーんだよ。つまり……」
「つまり、これで斬れば一太刀で鬼も羅刹も絶命させることができるという意味か」
不知火の言葉を斎藤がひきとった。天霧がうなずく。
「その通りです。先ほどもおっしゃっていましたが、一体の鬼や羅刹を消滅させるには人間を何人も殺すほどの労力がかかります。それがたび重なればさすがのあなた方でも疲労し、それがもとで戦いにおいて判断をあやまらないともかぎりません。どうすればいいかとこちらも考えまして、これまであまりにも危険なため鬼の一族で管理していたこれを、もしかしてあなたなら使いこなせるのではないかと」
天霧はそう言うと、脚を進めて斎藤の傍まで来た。
「……斎藤」
天霧はそれを斎藤にむけて差し出した。
「この刀を使いこなすことが出来れば、今後雪村を守ることにおいてこれほど力強いことはありません。一族の他の鬼からは反対の声がありましたが、あなたならできると私は考えます」
そう言って差し出された刀を、斎藤は吸い寄せられるように受け取った。
それは冷たいのだが熱かった。肌に触れる感触はひんやりとして普通の刀と同じだ。

しかし……感じる。

刀の奥の奥で、何者かがゆっくりと蠢いている。それの発する静かな熱が、斎藤の手のひらに伝わってきた。
斎藤は刀に意識を合わせながら呟いた。
「使いこなす……とは……?」
千がキッパリと答えた。

「調伏するのよ」

 

 

時は夜。
刀についている悪鬼悪霊が一番力を持つ刻。
刀を抜き、鞘が持っている封じ込める力から妖刀を解放する。

『これまでこの刀を抜いた人間や鬼は、ことごとく精神を喰われちまった。抜いて刃のきらめきを見た瞬間魂を抜かれちまった様になって、一瞬後にはもう殺人狂に早変わり。刀を鞘に納めても手放そうとせず、寝るときも食べるときも片時も離さない。そして肉体が疲れて動かなくなるまで、何かきっかけがあるたびに斬る、斬る、斬る……狂人だよ』
『これは賭けです。乗ってもいいですしもちろん乗らなくてもかまわない。しかし乗らなかった場合雪村の身を今後も守って行くのはかなりきつくなると思われます。あながたがこの村正に喰われてしまうようなことがあれば、すぐにでも私と不知火で始末をつける必要があるため、本日は千姫に同行しました』

そう言って月がちょうど空の真上に来たころに、斎藤と平助、左之、不知火と天霧に千は、千鶴の家の隣のあばら家へと向かった。
全く手入れされていない庭というよりは空き地といった方がふさわしい場所の真ん中で、斎藤は鞘に入ったままの村正を横一文字に持つ。
少し離れたところで、皆が遠巻きに斎藤を見ている。
もし魂を乗っ取られてしまったら、即座に斎藤を斬るために控えているのだ。
「……大丈夫かしら……」
千が不安そうに爪を噛みながら呟いた。
天霧は庭の真ん中にいる斎藤から目を離さずに答える。
「剣の技術に裏打ちされた強さと、自分を律する強さ、そして守るべきものを持つ強さが、今の斎藤にはあります。あれを調伏できる者がいるとするのなら、斎藤以外に考えられません」
不知火がにやりと笑う。しかし額にはうっすらと汗をかいていた。
「たいした信頼だな……まぁわからんでもないけどよ。鬼よりも肉体的にははるかに劣る人間なのに、鬼よりもはるかに『強い』のも人間だ」
千も小さく呟いた。
「……あとは見守るだけってことね……」

少し離れたところにいる平助と左之も、かたずをのんで庭の真ん中にたち鞘におさめられた剣を持ったまま動かない斎藤を見つめていた。
真上からの満月の光が、斎藤の足元に濃い影を作っている。
「あれが例の……?」
妖刀村正を初めて見る平助が、斎藤の持っている刀を見る。左之が横でうなずいた。
「ああ、見るからにまずい感じがひしひしとするぜ……。斎藤のヤツよくあんなのを持ったままでいられるな……」
事実その刀が放つ重い空気が平助と左之の居る場所まで届き、心が折れそうな威圧感を感じる。触れるのすら危険だと本能が告げているが、逆に抗いがたい魅力のようなものも感じて、この距離からでも自分が怖くなるくらい心が揺れる。
「何かあった時、天霧たちや俺らが……っていう話しだけど、俺あの刀を持って正気をうしなった一くんに勝てる気が全くしないんだけど……」
「無事に斎藤があの変な刀をやっつけてくれるのを祈るのみ、だな……」

いつもはうるさいくらい聞こえる夏の夜の虫の声も、刀の放つオーラに押されてか全く聞こえない。満月の光が静かに辺りを照らし、微動だにしない斎藤をつつんでいる。

 

斎藤は握った刀から伝わってくる熱を味わっていた。
腹の底から震えがくるような、ずっしりとした重さも感じる。澄んだ蒼い瞳を半眼にし、斎藤はゆっくりと鞘から刀を抜いた。
ギラリとあらわれた抜き身が、満月の光を受けて鈍く光る。刃の部分が雲のように霞がかかっており、刃先に向かって透明に近く白銀に輝く。

これは……

斎藤は足元がゆらぐような気がした。
この刀は斬れる。
研ぎがどうの反りが云々……の前に問答無用の力が、刃に現れている。
斎藤は瞬きを忘れて刃に魅入った。すこしずつ鞘から抜いて行くと、男性的な形状にもかかわらず女性を感じさせる艶めかしい艶が現れてくる。

美しい……

これほど美しい刀ははじめてだ。斎藤は刀が好きで、趣味も兼ねて昔から様々な刀を見てきたがこれほど強く美しい刀は見たことがなかった。
胸が弾むような思いで、斎藤は鞘から全てを抜き切り鞘を地面へ捨てると、刀を立てて角度を変えて光を反射させてみる。

切れ味を試したいものだな……

……『人肉で』

斎藤の頭の中から声が聞こえた。
斎藤はスッと目を半眼にして、刃を覗き込む。

やはり本物を斬らねば切れ味はわからぬ。
外に出れば、ふらふらと歩いている馬鹿な奴らがたくさんいるだろう。そいつらを斬っても、この刀の切れ味ならきっと斬られたことにすら気づかないのではないか。
俺の腕をもってすれば、きっと血しぶきすらも飛ばないに違いない。手始めにこの庭にいるやつらを斬って……

そこでふっと視界が暗転した。
さきほどまで冴え冴えと照らしていた満月が、突然消えた。
うっすらとすら見えない、ぬばたまの闇だ。足元も頭上も全て墨を流したように黒く、斎藤は天地がわからなくなった。
わかっているのは自分の手の中にある妖刀が、カタカタと嬉しそうに震えていることだけ。
見えていないのにななめ後ろの方向から、何やら雲のようなもやもやとした何かが斎藤を見ているのを感じる。『それ』は斎藤の様子をうかがい、頭の中をさぐり、胸の中をあさり、そろそろと触手を伸ばしてくる。

「さわるな」
斎藤は落ち着いていた。
剣をまっすぐに立て、瞳を揺るがさずに見つめる。もやもやとした何かは、触手をひっこめるでもなく進めるでもなく斎藤の周りで漂う。無理やり乗り込むかどうか考えているようなその仕草に、斎藤は化け物にも意志があるのかとかすかに微笑んだ。
「聞け」
斎藤はそう言うと、静かに続けた。

「俺に従え」

ざわりとそいつらが揺らめいたのを、斎藤は感じた。

「俺は強い。俺に従えば、お前はお前自身でさえ知らなかった強さを知ることができるだろう」
もやもやしたものが嘲笑する。そして徐々に形を成し、灰色の人のような形へと変化していく。手には同じく灰色の剣を持っている。
斎藤は自分の持っている剣を正眼に構えた。
「勝てばいい、というわけか」
相手は上段。剣の心得のある者たちでこの妖刀に喰われたものが多々いるのだろう。斎藤は一気に踏み込むと目にもとまらぬ速さでまず相手の籠手を払った。
灰色の影は後ろに飛びずさり、剣を左手片手に持ち替えて、からかうように斎藤に向かって振り下ろした。
こんな軽い剣で斎藤を止めることなどできない。
斎藤は剣を素早く返すと、そのまま相手の腹を払う。今度は手ごたえがあった。
灰色のものは腹を斬られて一瞬ちりぢりになると、しばらくしてまた人の形に戻る。斎藤は戻る間を与えず再度下から胴を斬り上げた。
灰色の物は不快な不協和音の音を立てて、再びちりぢりになる。雲のようなそれを、斎藤はさらに払った。
と、灰色の物は今度は広く薄く伸び、斎藤の上から覆いかぶさるようにかぶさってきた。
「……っ!」
手と刀で払ってもその時は消えるがすぐにまた覆われる。それは斎藤の頭に入り込んできた。気持ちの悪いどろりとしたものが、頭の中をさぐる。

支配しようというのか?

斎藤は瞳を閉じて不快感に耐えた。
左手に持っていた刀を下げて、頭の中に意識を集中させる。

お前のような信念も守るものもない存在に、俺を支配することなどできん

どろりとしたものが、斎藤の頭の中でうろたえたように彷徨う。斎藤はゆっくりと手を伸ばした。


来い。
俺に従え。
お前がこれまで知ることのなかった『強さ』を教えてやろう

 

頭の裏でパチンとあぶく玉が割れるような音がした。
次の瞬間、暗闇につつまれていた斎藤は月明かりの下、隣家の中庭にたたずんでいた。
足元に固まっていた影は、月が移動したせいか長く伸びている。

斎藤はゆっくりと前を見た。
縦にかかげた、抜き身の村正が鈍く光っている。しかしそれが放っていたオーラは、今は変化していた。
禍々しさは失せ、斎藤の手にしっとりとなじむ。刀の奥にマグマのような熱を感じるが、最初のような危険な感じはしなかった。
小さく溜息をついて、斎藤が周りを見渡すと、ちょうど緊張した顔をした天霧と不知火がこちらに一歩踏み出したところだった。
「……」
斎藤は静かな蒼い瞳で、彼らを見た。

ごくりと唾を呑むような表情で、天霧と不知火も斎藤を見る。

「……随分、時間がたってしまったか……?」
斎藤が口を開くと、皆は一様に目を見開き、ほっとしたように肩の力を抜いた。
「斎藤……だよな…」
不知火が恐る恐る言うと、斎藤は首をかしげた。
「もちろん」
「……無事でしたか」
天霧も近寄る。
左之と平助が駆けてくる。
「お前……半刻以上そのままつったってたんだぜ。目をつむったまま。これ以上は危ないって天霧が言うからやべえんじゃねぇかとひやひやしたぜ」
「一君、大丈夫なんか?」
千姫も遅れてやってきた。胸の奥から息を吸い込んで、安心したように深く溜息をつく。
「……妖刀村正に勝ったようね」
斎藤は周りに集まった皆を見渡して微笑み、手の中で光る村正を見た。
「もう妖刀ではない」
斎藤の様子に皆は顔を見合わせて嬉しそうに微笑んだ。
「それで、一君目をつぶって何をしてたんだよ?」
平助の問いに、斎藤は考えを巡らせるように視線を彷徨わせた。
「そうだな、言葉にするのは難しいが……」
言葉の途中で斎藤は、ふと気配に耳を澄ませるように空を見た。そして千鶴の家の方を振り向く。
「……来たらしい」
「え?」
「羅刹だ。ちょうどいい、こいつの切れ味を試させてもらおう」
そう言うと、斎藤は地面に落ちていた鞘に村正を収め腰布にさすと、風のように身をひるがえした。


走りよりざまの居合い。
勝負は一瞬だった。

斎藤の存在に気が付いた羅刹が振り向いた瞬間、村正が夜の空気を切り裂き羅刹の太い首から血が吹き出す。
そして飛び散った血が地面に落ちる前に、羅刹の体は小さく空気を震わせて灰となり、空気に散った。

通常の刀ではすぐに傷口がふさがる。そのため連続して斬りつけ動きを止め、それから心臓を一突きする必要があるのだが、村正に斬られた羅刹は一瞬で消滅した。


「……すげえ……」
「こりゃあ……」
追いついた平助と左之が唖然として見守る。

千、天霧、不知火の鬼組は、村正の力を充分知っているため隣家の高台から戦いの様子を見つめていた。
「……私の言ったとおりでしたでしょう?」
天霧が若干自慢げに言うと、千姫は微笑んだ。
「そうね。鬼に金棒ってこのことね、きっと」
不知火が吹き出した。
「斎藤に村正ってとこだな」

鬼たちの笑い声がかすかに響く中、斎藤は満月の光を村正に集めて、その輝きを満足気に見つめていた。

 

 

 


 




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ここまで読んでいただいてありがとうございます!
WILD WINDは次回10話で最終回になります。
おつきあいありがとうございました。

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