【斎藤課長のオフィスラブ】
隣の課の女子社員が二人来てる……
千鶴はちらりと横目で見て、すぐに仕事に戻った。
女子社員二人は用事が済んでも戻らずに、オフィスの端っこでこちらを見ながらひそひそとピンク色の雰囲気をまき散らしている。
見ているのは千鶴ではなく、千鶴の二人はさんだ向こうにいる隣のチームの課長、斎藤だ。
隣の席の千が小さな声で話しかけてきた。
「また来てるわね」
「……うん」
向かい側に座っている男性社員も話に加わる。
「斎藤さん、男の俺から見てもかっこいいですからねー。あのルックスであのスタイルのくせに仕事までできるって完璧っすよ」
「あの若さで課長だもんね」
千鶴はデスクでパソコンをなにやら操作している斎藤を見た。千と男子社員はまだ話している。
「うちの会社は徹底した能力主義ですからねー。でも有能な課長の下で働けて勉強になります」
「あっちの女子たちはそんなの関係なさそうだけどね」
隣の課の女子二人はまだ端でたったまま何事かを楽しそうに話している。男子社員も彼女たちを見た。
「俺も斎藤さんの歳になったらあれくらいもてたいっすねー」
「え?斎藤課長、そんなに歳じゃないはずよ」
「そうなんっすか?いくつなんですか?」
「いくつだったかなあ……」
28歳です。
千鶴は資料を作りながら心の中で呟いた。千鶴の5つ上だ。
千鶴が入社した時には単なるチームリーダーだったのに、主任、係長、で課長とあっという間に出世してしまった。
同じ課ではあるがチームは違うし直属の上長というわけではないので、千鶴も斎藤のことはそれほどよく知らなかった。
でもまあ隣の課の女の子たちの気持ちはとてもよくわかる。
すっきりしたとがった顎に、整った鼻筋。切れ長の美しい目は涼しい蒼色で、伏せた時のまつ毛が美しい。
背はそれほど高い方ではないが贅肉は無く筋肉質で、頭が小さく手足が長いのでバランスがいい。何か運動をやっているようで背筋の通った立ち姿が美しかった。
ピシッとした白いYシャツに深い藍色のネクタイを今日はして、スーツ姿も決まっている。
だからこそ、別世界の人だなあと千鶴は思う。
きっと彼はまっすぐ前を向いて、一人でどんどん出世して新しい世界を見て魅力的な人にたくさん会って、輝かしい未来へと歩いていくに違いない。多分目的地はあの山の頂上。
千鶴はというと、山へ行く道の途中をのんびりと楽しみたいタイプだった。わき目もふらずに頂上まで走るのはしんどいしつまらない。
逆に頂上を目指してる人から見たら、千鶴はつまらないだろうと思う。
まあ、だから、そういうことだ。
斎藤課長はかっこよくて素敵だけど、住む世界が違う。
うん。
千鶴は心の中でうなずくと、仕事に戻った。
その日の帰り、少しだけ仕事が残ったので千鶴は一人で残業して片づけた。
帰ろうとパソコンの電源を落としたとき、会議で別の部屋にいた斎藤が戻ってくる。
「ああ、雪村。まだ残っていたのか」
「お疲れ様でした。お先に失礼します」
帰ろうとした千鶴を、斎藤は呼び止めた。
「あ、雪村」
「はい?」
呼び止めたくせに斎藤はしばらく迷うように視線をさまよわせた。
「聞きたいことがあるのだが……」
そして目を伏せて長い指で顎のあたりを覆いながら、少し考える。
千鶴が「はい?」と斎藤の言葉を待っていると、斎藤はようやく思いきるように千鶴を見た。
「……クリスマスイブは空いているか?」
……え?
思いもよらなかった言葉に、千鶴の頭は一瞬真っ白になり、直後にかああああああっと顔が熱くなった。
耳まで熱いからきっとゆでだこのようになっているだろうと自分でもわかる。
斎藤が少し驚いたように目を見開いた。
「は、はい。あの、あ、いてます」
すぐに赤くなってしまう自分の頬が恨めしい。でも、これはお誘いなのだろうか?
どうして急に?
どうして千鶴?
真っ赤なクエスチョンマークが千鶴の周りを舞い飛んでいる中、斎藤は答えた。
「悪いが残業してもらないだろうか?」
ガックリ……
そんな音が遅いオフィスの中に立ち込める。
舞い上がった分だけ千鶴はガクーッと脱力した。真っ赤になった顔を見られてしまったことが恥ずかしい。
きっと勘違いしたバカな女だと思われただろう。
「はい。あの、大丈夫です。残業、できます」
こう答えるしかないではないか。
酸っぱいブドウとしてあきらめていたものが、勘違いとはいえ『あーん』をされて、また取り上げられたような気分だ。全部一人芝居で恥ずかしくて情けない。のぞむことは、千鶴の勘違いを早く斎藤の記憶から消し去ることだ。
千鶴は気まずいが、斎藤にとってはよくあることだろう。
千鶴は恥ずかしいのを我慢して「じゃあ、お疲れ様でした」と社会人としてきちんと挨拶をして会社を出た。
斎藤の顔は見れなかったが、きっと呆れていただろう。
穴に潜って埋まってしまいたい……!
千鶴は恥ずかしさに身をすくませながら、急いでオフィスから走り去った。
クリスマスイブ当日。
全く甘い予定も何もない千鶴は、今日の残業のために戦闘態勢を整えて出勤した。
残業の内容はかなりハードなもので、他に残業できる人がだれもいなく、千鶴と斎藤の二人でそれをやらなくてはいけないらしい。
そして想定通りとてもきつい仕事だった。
細かい作業と頭を使ってやらなくてはいけない作業とが入り混じっており、斎藤と千鶴は昼から残業三時間までぶっ続けてそれに取り掛かっていた。
クリスマスイブとはいっても次の日も普通に仕事だ。
あまり遅くなるのもつらいしできれば早く終えてしまいたい。
二人はかなりの集中力を発揮して仕事をこなしていった。
「終わったか」
「……終わりました……!」
ふーーーー…と斎藤は椅子にもたれかかり上を見て、千鶴は机の散らかった書類の上に突っ伏した。
つかれたあ……
「思ったより早く終われたな。頑張ってくれて助かった」
「いえ、私よりも斎藤さんの方がたいへんだったんじゃないですか?」
「そうでもない。雪村はこの業務を一番わかってるからな、まあだからこそ残業を頼んでしまったんだが。本当に助かった。ありがとう」
そういってにっこりとほほ笑んだ斎藤の笑顔に、千鶴はドキンと心臓がうつのを感じた。
またもや顔が勝手に熱くなる。
斎藤さん、いつもクールなくせに突然のその優しい微笑みはだめです!罪です!
そんな表情をされて優しく見つめられたら誰だって疲れも吹っ飛んでドキドキしてしまうはずだ。そうだ、だからこのドキドキはよくあることですべて斎藤のせいなのだと千鶴は頬を染めながら顔をうつむけバタバタと机を片付ける。
「腹が減ったな……夕飯でも食べるか。雪村もどうだ?遅くまでつき合わせてしまったからせめて夕食ぐらいおごらせてくれ」
まさかこんな展開がくるとは思ってもいなかった。
「は……い……」
千鶴は目を見開いて茫然とする。
そしてぼんやりしたまま頷いてしまった。
「申し訳ございません。満席で……」
「ご予約がすでに入っておりまして……」
「忘年会で貸し切りで」
次々と断られ、斎藤は茫然と街中で立ち尽くした。
今年一番の寒気から吹く北風が、二人のコートをはためかせる。隣で立っている千鶴も寒そうだ。
「……そうか……今日はクリスマスイブだったな」
だから家族ものやすでに予定が入っている者には頼めず、最後に残業を受けてくれたのが千鶴だったのだった。すっかり忘れていた。
斎藤はため息をついた。相変わらず気が気ない自分に腹が立つ。
「ここまで満席ばかりだとは思わなかった。景気がよくなってきているのだな、すまなかった」
会社の場所が一番の繁華街ではなく、少し外れた街だったのがまたよくなかった。それほど数の多くない飲み屋やレストランは、すべて満席だった。ここから電車にのって15分くらい行った大規模駅の周辺ならば二人くらいどうとでもなっただろうが……
「しょうがないですよね。もう、帰りましょうか。コンビニで何か買って家で食べます」
そう言って健気にほほ笑む千鶴に申し訳なくて、斎藤は胸が痛んだ。
せっかくのクリスマスイブにこんな目に合わせてしまって申し訳ない。あんなに一生懸命に頑張ってくれた部下になにもできないとは。
「……雪村」
「はい?」
「一緒の職場になって……何年だ?」
唐突な斎藤の質問に、千鶴は首を傾げた。
「えーっと……3年、でしょうか?」
「それぐらいだな」
斎藤はそういうと腕を組んで考えた。
「あの……?」
何の意図の質問だろう?という様子の千鶴に、斎藤は思い切って言うことにする。
「同じチームではないが一緒に3年も仕事をしてきた仲だ、お前もある程度俺という男のことをわかってくれていると思う。その……信頼してもらえないだろうか?」
「………はあ……」
きょとんとしている千鶴に、斎藤は続けた。
「あそこにあるマンションが見えるか?あれの15階が俺の部屋だ。そしてあそこ、すぐそばにあるスーパーマーケットがある」
「ああ、はい。成城石井ですね」
「そうだ、惣菜が下手な外食よりうまい。その分値は普通のスーパーよりは張るが、同じものを外食するよりは安い」
「そうなんですか。高いんで会社帰りに通るだけで入ったことはないんです」
「あそこで適当なものを買って俺の部屋で食べるのはどうだろうか。あれだけ手伝ってもらって疲れたまま帰すのも申し訳ない。せめてもの気持ちなのだが、俺を信用できないというのなら断ってもらっても構わない」
これで断られたらいろんな意味でショックだろうなと思いながら、斎藤は千鶴の反応を見た。
上長として人として男として。
……いや男としてなら断られた方がいいのか?
全く無害な男だと安心されるのはそれはそれで面白くないような……
先ほど言ったことは本当の気持ちだし、千鶴が男だったら間違いなく『俺の部屋で飲むか』と誘っていただろう。ただ、千鶴は女性だから、無防備に男の部屋にホイホイ行ってほしくないような、でも自分のことは信用してほしいような、しかし男としては警戒してもらいたいような複雑な心境だ。
「あの、ご迷惑でなければ……お腹も減りましたし寒いですもんね」
千鶴の優しい笑顔に、斎藤はほっと肩の力を抜いた。すこし複雑な気分ではあるが、信用してもらえるのは嬉しいし、彼女と夕飯を一緒にできるのも楽しみだ。
まるで好きな子からの返事を待つような緊張感だったなと、ふと心の片隅で思った。
「鞄とコートはそこのソファの上にでもおいて楽にしてくれ」
そう言われた千鶴は、あまりきょろきょろとしないようにしつつも部屋の中をぐるりと見渡しながらコートとマフラーを脱いでソファの背にかけた。
いきなり客を部屋に呼べるとは……と千鶴は自分の一人暮らしの部屋と比べて内心がっくりくる。
千鶴の部屋も汚いわけではないが、急な来客の前に30分くらい片づけさせてほしいくらいのレベルなのだ。だが、斎藤の部屋は完璧だった。
アースカラーのソファとラグ。小さなダイニングテーブルの上に置いてあるコーヒーカップだけが、片付いていないところだろうか。他はきちんと整理されている。
千鶴が食材をテーブルの上に置いていると、後ろから斎藤がやってきた。
「では、作るとするか。ほとんどが温めたりいためたりするだけでいいものだがな」
横を通り過ぎた斎藤を見て、千鶴の心臓は跳ね上がった。
ジャケットを脱いだ白いYシャツとネクタイ姿だったのだ。
斎藤は社内でもジャケットを脱がないので有名なのに、まさかここで脱いだ姿が見られるとは。
写真をとって千ちゃんに見せたら驚くだろうな……
千鶴がそんなことを考えているうちに、斎藤はなんと袖のボタンを取り腕まくりをした。意外にがっしりした二の腕に千鶴が目を見開いていると、次に斎藤は人差し指をネクタイの結び目に入れクイッと緩めるではないか。
きゃあああああ!!!!!
そ、それはだめです、斎藤さん!ほ、ほんとにそれはもう……!!
いつもきっちりと乱れない斎藤のラフな姿に、千鶴は悩殺され、もうくらくらだ。どこに目をやっていいのかわからない。いつもこんな風にして一人で夕飯を作っているのだろうか。その姿を見られないのは全女子にとって損失なのではないか。
斎藤はそんな千鶴に気づいていないようで、ガサガサと食糧をだすとまずはワインを開ける。そしてグラスを出すとつぎだした。
「どうぞ」
差し出された赤ワインを、千鶴は受け取る。
「え?今から飲むんですか?」
「ああ……そうか、すまない。俺はいつも食事を作りながら飲み始めるのでな。食事まで待つか」
「いえ!!!」
ワインを飲みながら料理をする斎藤さんを見たいです!!!!
千鶴はワインを一気にあける。
「大丈夫か、強いのか?」
「いえ、どちらかというと弱いですけど、でも大丈夫です!なんだかとってもわくわく……いえ、楽しいんで!」
「そうか」
斎藤は、妙な千鶴のテンションを訝しがっているようだが理由まではわからないようで、ワインを一口のむ。そしてそれを傍らに置きつつそのまま手際よく調理を始めた。
ほとんどが半製品なので、料理はすぐにできた。
ハーブをすり込んだチキンのオーブン焼きにプロヴァンス風パテ。ワインにチーズに温野菜のサラダと手作りドレッシング。
その他惣菜各種をテーブルに並べるのに30分もかからなかった。
斎藤の段取りがいいしキッチンもすっきりしていて機能的なのだ。
「斎藤さん、ご自分で料理をされるんですね」
キッチンにはさまざまな道具があるしフードプロセッサーから圧力鍋まである。
「ああ、主に和食だがな。こういう料理は初めてだがうまそうだ。お前は料理はしないのか?」
席に着き、ワインを注ぎながら斎藤が聞く。
「料理はしますけど、なんていうか食べたいものをつくるっていうか……名のある料理とかじゃないです」
「俺も同じだ。自分の手で自分がいま食べたいものを作れるという能力は、社会人になって一番必要な能力だと感じたな。……では、食べるとするか。残業すまなかったな、ありがとう」
斎藤がワイングラスを乾杯するように掲げる。千鶴も慌ててグラスを持った。
「いえ、とんでもないです。私こそ課長の家にお邪魔させていただいてしまって、すいませんでした」
「じゃあ、いただきます」
「いただきます」
出来立ての料理はあたたかく、ワインはおいしく、部屋は居心地もよくで向かいの斎藤もリラックスしていて、食事はとても楽しく進んだ。
考えてみれば千鶴は、斎藤とこういう風に二人きりになったことなどなく、何を話せばいいか通常は気を遣うだろうになぜか今はあまり気を遣うことなく話ができる。
人見知り気味の千鶴にとっては珍しいことだった。普段無口の斎藤も、今夜はいろいろと話してくれて、千鶴の話も興味深そうに聞いてくれるからだろうか。違う世界の人だと思っていた斎藤とこうやってクリスマスイブに彼の部屋で一緒に食事をしているなんて、と千鶴は今の状況の不思議さに思わず「ふふっ」と笑ってしまった。
「どうした?」
「いえ、いつも職場でお会いしている斎藤さんとこうやってご飯食べてるなんて不思議だなって思って」
「そういえばそうだな。すまない」
急に謝られて、千鶴は目をぱちくりさせた。フォークに刺さったままのチキンを持ったまま首を傾げる。
「どうして謝るんですか?」
「いや、女性が俺などと一緒に食事をしても大して面白くもないだろう。だが、こんな日に残って頑張ってくれた礼をしたくてな」
「……」
普通にスープを飲みながらさらりと言う斎藤はいつもと変わらぬ無表情で、別に卑屈になっていたり自虐風に言っているのではなく、どうやら本気らしい。
「そんなことない、と思いますけど……私は楽しいですよ?」
斎藤は千鶴を見る。
「そうか?それならいいが。総司や平助たちからよく、もう少し楽しい会話をしろと言われているのでな」
総司や平助というのは、同じ会社の同じく課長の沖田や藤堂のことだろう。同期とのことで仲がいいと千鶴も聞いている。
たしかにあの二人は明るくて楽しくて、斎藤とはタイプが違うが……
「あの、私も……私もよく、お友達から『もっと話しなさい』って怒られるんです。楽しい話題とかなくて、相手がつまらないって思ってるんじゃないかなって思うと余計焦っちゃって話せなくなっちゃったりして……。でも今日は、全然そんなの気にならなかったです。斎藤さんと話すのは楽しい、です」
「そ、そうか。それならそれは……その、嬉しい」
斎藤が意外にも少し照れたように答えると、食卓は一気に気恥ずかしい雰囲気に包まれた。
単なる隣のチームの課長である斎藤にこんなことを言ってしまって、千鶴は激しく後悔した。これではまるで告白ではないか。
斎藤のことは、それは課長として尊敬しているし男性としても、素敵だなとは思っていたがそれを面と向かって告げる気などなかったのに。
「……」
「……」
先ほどまで絶えることのなかった会話がなくなり、気づまりな沈黙が流れる。何か……何か話題がないかと千鶴はあせるが、あせればあせるほど適当な話題が浮かばない。
必死になって考えていると、斎藤が助け舟を出してくれた。
「ゴホンッ。……ところで来週から年末休みだが、雪村はどうするのだ」
答えやすい日常会話に、千鶴はほっとして飛びついた。
「カレンダー通りです」
「地元には帰らないのか?」
「地元はここなんです。親はもういなくて親戚とも疎遠ですし……兄が一人いますけど。だから集まる家とかもないんです。斎藤課長はどうするんですか?」
「そうだな、帰省はしないつもりだ」
そういうと、斎藤はジューシーに焼けているチキンを口に入れた。
「往復の移動で二日使うしな……それよりはこっちでのんびりしようかと思っている。このあたりの初もうでは、皆どこに行くのだ?」
もともと話しやすい相手だったのだ。二人の会話はすぐにはずむ。
「えーと……」
千鶴は考えた。
「一番近いのは、この道をまっすぐ行ったところにある田村神社でしょうか。私は毎年新年はそこに行きます」
「そういえばあそこの交差点のところに神社があったな、あれか」
千鶴はサラダを食べながらうなずいた。
「そうです。あの神社は大みそかや元旦はものすごく混むので、私はいつも二日の昼頃に行きます。あの神社の向かい側に湯豆腐のお店があって、とってもおいしいんですよ。私それが大好きで、毎年そこで湯豆腐を食べるんです」
「なるほど……」
斎藤は話の流れで思わず千鶴を新年のお参りに『一緒にどうだ』と誘いそうになってしまった。
しかしふと我に返って思い返す。
学生のころから面白味のない男だと散々言われてきた。
あまりしゃべらないし冗談も言わない。堅物でまじめでつまらないと。先ほど彼女は気を使って『楽しい』と言ってくれたが、
それも、俺が上長だからと気を使ってくれているのだろう。仕事以外でも課長と一緒に飲み食いして楽しいはずがない。
同年代の、もっとあれこれと気をまわして女性を楽しませてくれる男はたくさんいるのだ。
斎藤自身は、この時間はとても楽しかったけれども。
部下として扱うようにしていたから、態度には出ないように気を付けていたが、それでもやはり千鶴のことはかわいいとは思っていた。
女性らしい外見に、恥ずかしがりやな感じ。にもかかわらず仕事はきちんと筋を通し、よその課からの難癖に近いクレームには毅然と対応する芯の強さ。好ましいと思わない男はいないだろう。
そんな女性と、夜に自宅で一緒に食事をとっていれば楽しくないわけがない。
毎日の味気ない食卓に彼女がいてくれればなどと、ちらりと思ってしまうことはそれほど大きな罪ではないはずだ。
しかし。
斎藤の頭に、新年度に課長向けにやったハラスメント研修の内容が浮かんだ。
そうだ、部下が楽しそうにしてくれているからとそれを信じて調子にのるのがいかんのだ。
部下は立場上気を使って、課長が気持ちよく過ごせるようにしてくれている者なのだ。おまけに雪村は、妙齢の女性だ。
パワハラだけではなくセクハラも絡んでくる。
課長から強引に誘われ、断ると残業させられそうだったのでしょうがなく……
斎藤は、ケーススタディで見たセクハラのDVDの内容まで、鮮明に思い出した。
いかんいかん。
今夜の誘いでぎりぎりだろう。今日も早めに帰した方がいいな。
こんなかわいらしい女性が俺なんかと話していて楽しいはずがないのだ。危うく勘違いをするところだった。
斎藤は自分を戒めると、箸を置いた。
「……そろそろ駅まで送っていこう」
「あいにく満席なんです。ご相席でよろしいですか?」
「ああ、かまわん」
そうして店員に席まで案内された、新年二日の昼の湯豆腐の店。
相席の相手は、この話の流れ上当然ながら一人で来ていた千鶴だった。
「雪村」
「斎藤さん……」
二人で湯豆腐を食べながら、これから暇だという千鶴。
斎藤は、一緒に車用のお守りをもらいにドライブがてら少し離れた神社に行かないかと誘おうかどうか激しく迷った。
十分に断る余地を与えて誘えば、セクハラにはならないのではないだろうか。クリスマスイブは(多分)お互い楽しい時間を過ごせたのだし今日これ空も時間があるのなら、誘うのはそれほど非常識ではない、……と思う。
断られても恨みに思わず、職場でも普段通りにしていれば……
向かいで座っている彼女はとても楽しそうで、頬を染めて俺を見てくれている。誘っても問題がないように思えるのは俺のひいき目か?
葛藤している斎藤には気づかず、千鶴は湯豆腐をフーフーしながら斎藤を見てにっこりとほほ笑んだ。
「斎藤さん、この後どうするんですか?この先のお寺で新年にお抹茶とお菓子を振舞ってくれるんです。お庭もきれいですし穴場であんまり混んでいないし、もしよかったら一緒に行きませんか?」
さらりとさりげなく気持ちよく誘ってくれた千鶴に、斎藤は自分より一枚も二枚も上手な彼女の対異性スキルに感服せざるを得なかった。
そして、千鶴の誘いに渡りに船とばかりに、斎藤課長が頷いたのは言うまでもない。
【終】