【Dr.斎藤 25】
明日はいよいよ京都旅行だという土曜日。
午前診療が終わった千鶴は、受付を片付けながらふと目の前にある患者さん用の掲示板に目を止めた。
『聖夜を彩るキャンドルナイト』
この「さいとうこども病院」のある最寄駅から急行で1時間ほど行ったところにある郊外の大型駅の近くにある公園で、近所の商店や中小企業が町おこしも兼ねて紙コップにいれたキャンドルを何万個も飾りライトアップをするらしい。
見に行くのはもちろん無料で、かなりキレイだしそんなに混んでいないしよかったという話を去年千鶴も聞いたことがある。
去年の様子を撮った写真を使っているそのポスターを、千鶴はまじまじと見た。開催の要項を見ると、開催日はちょうど今日の夜から三連休の間中3日間。時間は暗くなりだす夕方の6時から夜の10時まで。
近くにある音楽大学からの、これも有志の生演奏とその町出身のジャズシンガーもやってくるようだ。
きれい……いいなあ…
小さな弟がいる雪村家ではもちろん、こんな夜に開催するようなイベントには行ったことがないし高校の時は彼氏のいる友達が、行ったというような話をちらほら聞くだけだった。
大学はここから離れているので、こんな小さな街のイベントのことなど誰も知らない。
斎藤先生、こういうのどうかな。きらいかな
男が一人でキャンドルナイトを見に行っている図というのはなかなか想像しづらい。だが以前連れて行ってくれたライトアップされる噴水を教えてくれたのは斎藤だ。意外とこういうのが好きかもしれないし……
「キャンドルナイト?」
後ろからぬっと顔が突き出てそう言われ、千鶴は驚いて「きゃっ!」と声をあげて振り向いた。そこにいたのは斎藤の友人である総司だ。
「お、沖田さん。こんにちは」
「はい、こんにちは。これ見てたの?斎藤君と行くの?」
首を傾けにっこり微笑んで、総司はキャンドルナイトのポスターを指差す。千鶴は首を振った。
「い、いえ、違います。きれいだなあって見てただけで……その、こういうのお好きですか?」
「僕?…まさかね。わかってるわかってる、斎藤君でしょ?」
慌てて首を振る千鶴に、総司は笑い声をあげた。
「斎藤君は何かを見てキレイとか思う心があるのかどうか疑問に思う位の堅物だけど、千鶴ちゃんが誘えば喜んでホイホイついて行くと思うよ、ほら、ちょうど来た」
総司と千鶴が話していると、診察室をあけて斎藤が顔をのぞかせた。「来ていたのか」と、千鶴と話している総司を迷惑そうに見る。
総司はそのまま斎藤に聞いた。
「斎藤君、紙コップに溶かしたロウを入れて、真ん中にタコ糸をさすじゃない?」
「……何の話だ」
不審げに眉をひそめる斎藤に、総司は「まあまあ」と宥めて話を続ける。
「そうすると簡単なロウソクができるでしょ、入れるロウを少なくすれば紙コップのおかげで風よけにもなって外にも飾れる」
「……まあそうだが」
「そしてそれを大量に……そうだな1万個とか5万個とか作って並べて飾ることについてどう思う?」
「資源の無駄だな」
そっけない斎藤の返答に、千鶴はがっくりと肩を落とした。
た、確かに紙コップは無駄になるしロウだって……そうだよね、無駄だよね……
それまで斎藤からは見えないように自分の肩でポスターを隠すようにしていた総司は、斎藤のその返答を聞くと嬉しそうにパッと体を交わしてポスターを斎藤から見えるようにした。
そして千鶴に言う。
「ね?堅物だったでしょ?千鶴ちゃん、つまんない彼氏でかわいそうだね」
クイッと総司が親指でポスターを指して初めて斎藤は、掲示板に飾られているポスターを見た。
ここに飾る地域のポスターは基本的に千達看護婦が受け取り、父の院長の許可で掲示するため斎藤はロクに見ていなかったのだ。
今総司に言われて見てみると、真っ暗な中に美しく浮かび上がる無数の灯が写されたポスターがあった。どうやらこの沿線沿いの街でやるイベントのようだ。
「あ、あのいいんです。私もちょっと行けたらなぁって思っただけで別にどうしてもってわけじゃなくて……」
総司に応える千鶴の言葉に、斎藤は千鶴を見た。
「ま、待て。千鶴は行きたかったのか?」
「いえ、ホントに気にしないでください。行きたいっていうかちょっと思っただけです。寒いし夜だし楽しくないですよね、きっと。次の日は京都旅行なのに風邪ひいちゃったら馬鹿みたいですし。斎藤先生のおっしゃる通り資源の無駄だと……」
しょんぼりしているのを隠すために明るく振る舞う千鶴に、斎藤は慌てて答えた。
「いやそんなことはない。このポスターを見るまではイメージできなかったが見てみたらなかなかきれいだ。こういうイベントで地域をもりあげるというのはいいことだし、美しい光景を見て明日への活力も生まれるだろう。もしよかったら一緒に行くか?」
「いいんですか!?」
「もちろんだ」
ぱああああっとあたりに花とハートが飛び散り、二人の世界に入り込んでいる千鶴と斎藤。
総司は自分の想定したストーリー通りに斎藤がホイホイと行くことになり、肩を震わせて必死に笑いをこらえていたのだった。
電車から降りると冷たい風に千鶴は身を震わせた。
「寒くないか?」
斎藤の言葉に千鶴は「大丈夫です」と返す。
『さいとうこども病院』から急行で一時間弱。結構遠いが都心への通勤圏ではあり意外に栄えている。
夕方6時ごろにその街についた千鶴と斎藤は、駅の表側の繁華街で適当に店をさがし夕飯を一緒に食べた。
駅の裏は最近開発されたようで小奇麗な公園と瀟洒なマンションが並んでいるが、開発地区のすぐ隣は従来からの駅裏のままで、小さな飲み屋街がひろがったり怪しげな色のネオンが見えたりする。
手入れをされている公園とその周りの歩道は、既にぽつぽつとキャンドルが灯り始め、怪しげな色のネオンはすっかりかすんでいる。
「……きれいですね」
「そうだな」
相づちを打ってくれた斎藤を見上げて、千鶴は白い息とともに嬉しそうに微笑んだ。そんな千鶴に斎藤は手を差出して、握る。
「行くか」
のんびりと駅の階段を降りて、二人は駅裏へと向かった。夜になって寒さはしんしんと厳しくなったが、つないだ手と寄り添った体が温かい。
「明日の用意はもういいのか?」
斎藤が聞くと千鶴は頷いた。
「はい。斎藤先生は?」
「たいして持って行くものもないしな。……ご両親にはなんと言っていくのだ?」
千鶴は赤くなった。
「その…友達と行くって言いました」
「……そうか」
ウソをつかせて申し訳ないと言う思いと、しかし正直に言われても親も困るだろうという総司の言葉とが斎藤の頭を渦巻く。
千鶴が気を取り直すように明るく言った。
「でも、両親と弟はもう、例の日光の温泉旅館に今日行ってしまっているんで大丈夫です。特に詳しく聞かれてないですし」
斎藤は立ち止まり千鶴を見る。
薄暗い道路の下からともされるキャンドルの灯りで斎藤の表情はよく見えないが、真剣な顔をしていることだけは千鶴にはわかった。繋いだ手を斎藤が強く握り、千鶴も立ち止まり斎藤を見上げた。
「……千鶴さえよければ、いつかちゃんとご両親にもご挨拶をしたいと思っている。もちろんうちの両親にも会って欲しい」
千鶴は一瞬ポカンとしたが、しばらくして意味がわかると胸が痛いくらいドキドキとなるのを感じた。
何故か目が潤み頬が紅潮するのを感じる。
零れ落ちてしまいそうな涙を隠すために、千鶴はうつむいた。
別にプロポーズをされたわけでもないのに泣くなんて大げさすぎる。
ても嬉しかったのだ。
とても。
「は、はい。ありがとうございます」
千鶴の感動が伝わったのか、斎藤は少しだけ照れ臭そうに言った。
「いや、何も礼を言われることでは……」
「す、すいません」
「いや、謝らなくてもいい」
「ごめんなさ…あ、すいません、あ、これもだめですね」
恥しそうな顔で頬を染めて、目じりの涙を拭いている千鶴の顔は、キャンドルに照らされて斎藤にはとても美しく愛おしく感じられた。
そして斎藤には珍しくその愛おしいと言う感情のままに、体を少し屈めて千鶴にキスをする。
軽いキスだったが人前でそのような愛情表現をあまりしない斎藤に、千鶴は驚き目を見開く。その顔見て斎藤は優しく微笑み、手を引いて再び歩き出した。
「行くか」
「……はい」
公園は意外と長く大きかった。正面から見える大きな広場一面にキャンドルが灯してあり、それで終りかと思えばそこから細い道で隣の公園につながるように道のわきにキャンドルが灯されている。
灯に導かれるままに、斎藤と千鶴は道をゆっくりと歩きながらキャンドルを見て、いろんな話をした。
隣の公園は細く浅い水路が公園の中を流れておりその脇にキャンドルが並べられていた。キャンドルの灯りが水に映りとてもきれいだ。
「これだけ飾るのはたいへんだっただろうな」
「そうですよね。消えちゃってるのもあるんで見回ってつけなおしてるんでしょうか」
「そうだな、特に隔離されているわけでもないし、人があたれば倒れてしまうしな」
斎藤は足元にあるキャンドルを上から覗き込む。その横にいた千鶴は、ちょうど水路の脇にある倒れて消えそうになっているキャンドルに気づき、そちらに足を進めた。
そして、右足のかかとに左先のつま先がひっかかり、「あっ」と声をあげたときはもう遅く、体勢は大きく崩れて……
千鶴は公園の水路の上に落ちていた。
気温は7度。水温の方が温かい位だ。
水路は浅く足首ぐらいまでの深さしかないが、千鶴は体ごと落ち転がってしまったため全身まんべんなく濡れている。
「ちっ千鶴…!」
斎藤が慌てて駆けより濡れるのも構わず水路に下りる。
「いたたたた…」
千鶴が、打った肩を反対の手で押さえながら起き上るのを、斎藤が支えるようにして抱えた。
「さ、斎藤先生!ダメです先生まで濡れちゃいます!」
「そんなことより怪我は!すごい落ち方をしていたが…!」
運動神経のトロい千鶴は、受け身を採ることなどもちろんできず『もんどりうつ』という言葉がぴったりなくらい体ごと転んでしまったのだ。
『すごい落ち方』と言われて、千鶴はかあっと熱くなった。
は、恥ずかしい……!!
プロポーズのような将来を約束する言葉。
せっかくのロマンチックなキャンドルナイト。
これで一気にコメディになってしまった。
髪の毛も濡れて寒いはずなのだが、千鶴は恥しさのあまり汗を噴き出していた。斎藤はそんなことには構わず医者らしくてきぱきと千鶴の怪我をチェックする。
「どこも怪我はないようだな。明日には打ち身で体中斑になっていると思うが……立てるか?」
そう言って斎藤が差し出した手に、千鶴は自分の手を乗せた。
斎藤もズポンが濡れ、上着も少しだけ濡れてしまっている。
周囲の注目を浴び、千鶴は恥しさと斎藤への申し訳なさに小さくなりながら水路から上がった。
「大丈夫か?」
「はい……ックシュ!」
びゅう!と吹いた北風に髪を煽られ千鶴はくしゃみをした。我に返ると歯がカタカタとなりそうなくらい寒い。
みるみるうちに白くなっていく千鶴の唇に、斎藤は気遣わしげな顔をした。
「このままでは風邪をひいてしまうな…」
ブルッと体を震わせた斎藤に、千鶴はくしゃみをしながらも謝った。
「すいません!斎藤先生まで濡らせてしまって…クシュ!クシュン!」
「どこかで体を温め、服をかわかさねば」
そう言って斎藤があたりを見渡す。
整備された公園の向こう側は、もう怪しげなネオンをともした怪しげな街。
そして暗闇に浮かび上がる看板。
『ラブホテル ヒルズ 御休憩:5,000円。ご宿泊:10,000円。延長は30分につき1,000円となります』
長い間読んでいただきありがとうございました!
Dr.斎藤は次回で最終回になります。
最終回はクリスマスイブ(12月24日)にUPする予定です。
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