【Dr.斎藤 24】
「んまあ!」
クリスマスの京都旅行の話をしたところ、千は両手を握り合わせて『夢見る乙女ポーズ』をした。
実際瞳の中がハートになっている。
「いいーじゃないの!ラブラブね!で、私と旅行に行ったことにしてほしいっていうアリバイ作りに協力のお願いでしょ?いーわよもちろん!」
千鶴はかああああっと赤くなった。
「……その、いいでしょうか?」
千鶴はカフェのテーブルに置いてある紅茶カップを手で包む様にしながら聞いた。
あのスーパーで千鶴があてた日光の宿泊券は、結局千鶴の家族にあげることにした。4名とのことだったので千鶴の両親と小さな弟、そして祖母とで行くことにしたらしい。千鶴があてたのだけれど、千鶴はもうすでにその日は『友達』と京都に行く予定をたててしまっていたので、と家族に説明したところ、すんなりと了解してくれた。『友達』とはどこの誰かと深くは追及されずに。
しかしもし追求されたらさすがに『斎藤先生と』とは言えないだろう。斎藤先生といえば家族はもちろん知っている。颯太がお世話になっている近所の医師だ。そこで千鶴がアルバイトさせてもらっていることは知っているものの、つきあっているなどと家族は想像もしていないだろう。だって千鶴はまだ子どもで(家族にとっては)、斎藤先生は「先生」なのだ。家族にとって千鶴の彼氏とかそう言う対象ではもちろんない。千鶴もわざわざそんな報告はしていないし。
一緒にいるところを見られたことも無いし、多分千鶴に彼氏がいることも知らないだろう。実はその『斎藤先生』とつきあっていて、京都も彼と一緒に行くなどとバレたらえらいことだ。歳の差のかなりある社会人で、信頼できる人柄だということはわかっていても親も戸惑うだろう。
隠したままなのはいやなのでいつかは…とは思うが、この京都旅行で言うつもりはない。
「いいわよお!もちろん。っていうかその方が親孝行だと私は思うわよ。親にウソをつくなんてっていう意見もあるけど親も当然そのうちわかるわよ。でも気づかないふりをするのが親だし、気づかれてるのを分かっててもちゃんとウソをついてあげるのが娘だと思うわ」
千はカフェラテを飲みながらそう言った。そして悪戯っぽいほほえみになると身を乗り出す。
「で。今度こそ準備がいるわよね、大丈夫なの?し・た・ぎ」
千鶴の頬はさらに赤くなった。だが、真っ赤な顔のままうなずく。
「前の研究発表会の時に用意した下着が、一回着ただけでそのままとってあるので……」
「あのスペインの娼婦風とハリウッド女優風?」
「はい」
「……まあ確かに使う機会もなかったしねえ。他は?大丈夫?」
「逆に私が聞きたいんです。女友達とか家族としか行ったことがないんで。何か必要な物とかありますか?」
真剣にきいてくる千鶴に、千は「そうねえ…」と目だけで上をむいた。
「荷物はね、重くても大丈夫よ。多分斎藤先生が全部持ってくれるから。下着と洋服と化粧品と…普通の旅行と同じでいいんじゃない?」
「そうなんですか?でも……その、夜とか何を着て寝るんでしょうか?泊まるのは和風の旅館だって言ってたんですが、旅館ってたいてい浴衣ですよね。私、あれ朝になると全部はだけちゃってて…。パジャマとか持って行った方がいいのかと」
千は腕を組み椅子に寄りかかる。
「気持ちはわかるけど、でも斎藤先生はその方が嬉しいと思うしいいんじゃない?展開次第では何も着ないままで寝ちゃうかもしれないし……あ、でも斎藤先生なら起こしてでも何か着せそうよね『風邪をひく』とか言って」
そう言って千はぷーっと吹き出した。千鶴の顔は、生々しい言葉に赤くなったり青くなったりする。想像するだけでわからないことだらけで頭がぐるぐるするのだ。
まず、歯はいつ磨けばいいのか?お風呂に入ってのんびり髪を洗ったりしてしまっていいいのだろうか?ドライヤーも持って行ったらびっくりされるのでは……
次々に千鶴が聞くと、千は笑いながら答えた。
「大丈夫よ。旅館ならたいてい大浴場があって男風呂と女風呂にわかれてるから。ゆっくり隅々まで洗って歯もそこで磨いちゃえば?ドライヤーもそなえつけのがあるわよ。先生を外で長い間待たせておくのがいやなら、先に部屋に戻っていてくださいって言っておけばいいし」
それでも不安そうな千鶴に、千はにっこりと微笑んだ。
「あとは斎藤先生にまかせておけばいいのよ!伊達に年くってないからきっとちゃんとリードしてくれるって、安心して楽しんできて」
千の優しい笑顔に、千鶴の不安も少しだけ解けた。
いろいろ緊張したりドキドキするけど…でも初めての旅行だ。千の言うとおり楽しんでこよう。
千鶴はそう思い、紅茶を一口飲んだ。
「へええ?」
クリスマスはどうするのかと総司に聞かれ、斎藤はウソを言うのもなんだと思い「京都に行く」と答えた。そしたら当然のように「へえ、誰と?」と聞かれ、これもウソを言うのもなんだと思い「千鶴とだ」と答えたところ、総司の眉が派手に上がった。
「とうとう二人で旅行するまでになったんだ?」
「……」
いろいろ意味が込められた総司の問は、どこに地雷が埋められているかわからないため斎藤は慎重に返事を避けた。
「あ、別におみやげとか気は使わなくていいから」
「餞別ももらっていないのに当然だろう」
総司は病院の休憩室のソファから立ち上がるとぶらぶらと窓の方へと歩き出す。
「そっかー。まあ…いろいろあったけどよかったね。千鶴ちゃんイイコだし斎藤君に合ってると思うよ」
珍しく総司の言葉からからかう以外の素直な言葉を聞いて、斎藤は目を瞬いた。
人の裏の裏まで見通してしまうような総司にそう言われて、斎藤は正直な所嬉しい。やっかいな男だが信頼はできると思っている。
「……いろいろと面倒をかけたな。年が離れすぎていることと未成年であることにはまだ少し抵抗はあるが、始まる前に終わってしまわなかったのはおまえがやいのやいのとちょっかいや迷惑をかけてきてくれたおかげだと思っている」
「……」
総司は窓の外を見ながら、今の言葉はお礼の言葉なのかイヤミなのかを考えた。そしていい方にとっておくことにする。
「まだ抵抗があるんだ?千鶴ちゃん外見も中身も落ち着いてるし、そんな気にしなくていいんじゃないの」
「千鶴自身はそうだが、周囲にとっては違うだろう。……年が離れすぎていることや社会人であることに不安を持つ人もいるかもしれん。特に親御さんは……」
自分の病院に来てくれている人だけに気まずい。アルバイトに手をだした雇い主という風に見えるだろう(実際そうなのだが)。しかもアルバイトは学生で未成年なのだ。
「……京都旅行に行く前に親御さんにご挨拶に行くべきだろうか」
総司は窓ガラスに頭をぶつけそうになった。
「何を……!何を挨拶するつもりなのさ。『京都旅行でお嬢さんをいただきます』って?」
総司の言葉に斎藤は赤くなった。
「な、何を言う!そういうことではなくてだな……!あちらの親御さんとはお父さん以外とはお会いしたこともあるし、お嬢さんとおつきあいさせていただいている、と伝えておいた方が安心されるのではないか」
「いや、それは結婚前とかそこまでいかなくても、もう100回くらいエッチした後でいいんじゃないの。そういう……なんていうかお互いを意識してるオーラって家族は敏感に感じるものだから、お互いにもっとこなれてからの方があっちの家族も心穏やかに斎藤君に会えると思うよ」
「それはお前がそういうことに聡いからだろう。一般人にはそんなことはわからん」
「千鶴ちゃんのお父さんが聡い人だったらどうするのさ」
「………」
それは困る。多分一番娘のそう言うところを見たくない立場の人間だろう。
「だが、何か心苦しくてな。あんなに可愛い娘がいれば親御さんは心配だろう。俺ができるかぎりの全てで幸せにするつもりだと、おつたえしておきたくてな」
平然と千鶴馬鹿ぶりを晒している長年の友人に、総司は何か言ってやりたかったがちらりと横目で見るだけにした。今の斎藤の発言は相当なノロケだと言ってもきっと今のピンク脳状態の斎藤にはわからないだろう。
「それこそ『お嬢さんをください』的なときに言う言葉だよ。そんなことを日常で改まって言われても親御さんも反応に困るんじゃない?彼氏彼女の関係なのに『娘をよろしくお願いします』ってのもなんか変だしさ」
総司に言われてみると確かにそうだと斎藤は小さくうなずいた。
「……そうだな、お前の言うとおりだ。俺が安心したいだけで、千鶴のご家族には余計な混乱を与えるだけかもしれんな」
斎藤はそういうと一旦黙って、しばらく考えてからまた口を開いた。
「千鶴はもちろん大事にしたいしするつもりだが、彼女の周囲も大事にしたいと思っているのだ。千鶴は家族思いだし大学もがんばっている。友達もいるしサークル活動もしている。それが全部今の千鶴につながっていて俺はそれを好ましいと思っているのだ。千鶴の周囲に対しても、彼女をちゃんと扱うと証明したくてだな……」
途中から何を言いたいのかわからなくなって、斎藤はだまりこんだ。
総司は呆れたように苦笑いをすると溜息をついて斎藤の方を向いた。
「千鶴ちゃんも好きだし、千鶴ちゃんの家族や友達もみんな好きで大事にしたいってことか。これまた盛大なごちそうさまだね」
総司は窓の桟によりかかる。
「じゃあさ、ヘンに周囲に『千鶴ちゃんを大事にします』宣言なんてしなくても、そういうの全部ひっくるめてひきうければいいんじゃないの?」
「ひきうける、とは?」
斎藤が聞き返すと総司は微笑みながら答えた。
「千鶴ちゃんの過去も今も将来も、斎藤君がひきうけるって思って、そういう風にこれから行動していけばいいんじゃない?」
総司の言葉は、何故かポンと斎藤の胸の奥に真っ直ぐに飛び込んできた。
総司の真意はわからないが、斎藤にとってそれは千鶴と運命共同体になるということだった。今まで乗っていた別々の船から同じ船に二人で乗る。協力して波を切って進み、たまに来る嵐には二人で耐えて、同じところを目指し同じことで悲しみ同じことで笑いあう。
「……なるほどな……」
多分、世の結婚を決める男性は今の自分と同じような覚悟をするのだろう、と斎藤は思った。
そして総司を見る。
「ごくまれに的確なことを言うな」
総司は憮然とした顔で返事をした。
「真顔で言わないでくれる?傷つくから」
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