【Dr.斎藤 22】
火曜日の、午前診療と夕方診療との間の時間。
総司がまたやってきた。
「はい、これ。お詫びの品」
そう言って斎藤にずっしりと重そうな紙袋を渡す。
「平助の分も入ってるから」
受け取った斎藤が、休憩室の机の上に紙袋を(二袋もあった)を慎重に置き、中を確かめる。
「……これは……これはすごいな。よく手に入ったな」
驚いたように斎藤は顔をあげ総司を見た。いつもは静かな蒼い瞳が、キラキラと輝いている。立ってお茶を淹れていた千は、中が何なのか気になって聞いてみると。
「酒だ。俺が好きな銘柄の、なかなか手に入らない物ばかりだ」
「取引先とかコネとか……いろいろ使って集めたよ。日本酒から紹興酒、ワイン、焼酎、泡盛……プレミアついてるのだったり隠れた名酒だったり。これぐらいしないと許してもらえないかなーと思って」
「正直に説明してくれれば、別に許すも許さないもない、とあの時言っただろう」
「まあね。でも正直に千鶴ちゃんに説明した後も、斎藤君の目がすっっごく怒ってたからさ。これはまずいなーって平助と相談して何するか決めて……かきあつめるのに一か月もかかっちゃったけどね」
「そうか。いろいろ気を使ってくれていたのだな。ありがとう」
どちらも少し照れたように微笑みながら、そう話していた。
なんだか爽やか友情もののような展開だが、謝罪が必要な状態になった原因は、全然爽やかではない。
千が千鶴から聞いた話だが、初めて斎藤の家に行くことになった千鶴は、嬉しさと緊張とワクワクでかなり興奮状態だったようだ。
ゆっくり二人の仲を進めようということで合意もしたし、まっ昼間なのだからいきなりそういう展開になるわけもない。お昼を一緒に作ってちょっとお茶を飲んで、帰りは送ってくれて……というデートだけれども、どこかに出かけるわけでもなく部屋でゆっくりできるデートというのは、つきあいの段階をさらにひとつ上に上がった親密さが感じられて、千鶴は嬉しかった。部屋に入ると斎藤は『まずお茶を淹れよう。千鶴はソファにでも座ってくつろいでいてくれ』と言ったらしい。
素直に千鶴がソファに座ると、そこにはアダルトDVDが置いてあった。
『………』
ショックのあまり、千鶴は1分ほど固まっていたそうだ。しかし千鶴と言えどももう19歳だ。別にこういうものの存在は知っているし、こういうものを見る男性がいることももちろん知っている。斎藤もそういう男性だとは知らなかったが……でも知らないままでいるよりは知れてよかった……かもしれない。いやでも知らない方がよかったのかもしれないが……。
しかもこのDVDのジャケットの女の人は制服を着ている。そしてデカデカと『女子高生シリーズ』とも書いてある。
千鶴は微妙な気持ちになった。
確か斎藤は、女子高生とつきあうなどとんでもないと言っていなかったか。それで自分は何度も何度も拒まれたのではなかったか。彼女とそっちの趣味は別ということなのか……
動揺した千鶴は、ソファの肘掛部分に肘を置いて頭を抱えた。と、プツッと柔らかい音がして、テレビがついてしまう。
人の部屋で許可も得ずに勝手にテレビをつけてしまった、と慌てた千鶴は急いで消そうとしたが既に画面は映し出されており、音が……盛大な女性の喘ぎ声が部屋の中に響き渡ったのだった。
結局斎藤は総司を呼びつけて、総司と平助がやった悪戯を千鶴の前で説明させて事なきを得たようだが、千鶴の傷は実は深かったことを千は知っていた。
アダルトのDVDを見たのも初めてだったそうだ。しかもあまりの出来事に、当時の千鶴も斎藤もしばし固まっており、その間画面の中では延々と女子高生が攻められていたそうだ。変態チックな内容ではなかったらしいのだが、いろんなところがかなりはっきりと映し出されており、衝撃だったらしい。斎藤もそこは気が付いており、その後できるだけ千鶴にはそういう性的な接触や言葉を避け、高校生のような……いや高校生よりももっと純粋な付き合いを一か月続けていたらしい。その甲斐あって、千鶴は今はすっかり元通りになった。
千と君菊とのかなりあけすけなガールズトークにも、楽しげに相づちを打つまで復活をした。
総司も平助も(平助もその次の土曜の午後に、病院まで千鶴に謝りに来た)、かなり反省しており千鶴にも、そして斎藤にも謝罪したかったという気持ちは本心からなのだろう。
「うまそうな酒だ。早速飲みたくなるな」
斎藤が嬉しそうに焼酎を持ち上げて銘柄を確かめる。総司が嬉しそうに言った。
「おっ飲む?いいねえ。僕もよばれたいなあ」
「そうだな。酒は皆で飲む方がうまい」
あれよあれよという間に話が進み、千も平助も仲間に呼ばれることになった。さすがに病院で酒盛りはまずいので、日にちを変えて斎藤のマンションに場所を移して。千鶴ももちろん行きたがり、未成年だから酒は決して飲まないという条件で参加することになった。千鶴はもともと酒に弱く、酒の匂いだけで酔って眠くなってしまったり、ウィスキーボンボンを食べて倒れたりした過去もあるとのことだったので、間違って飲んでしまうことも無いように皆で注意することにして。
各自おつまみもちよりで、斎藤の家に集まったのが土曜日の夜の7時だった。
皆で持ち寄ったおつまみを皿にあけ、夕飯用に宅配ピザを頼み、人数分(斎藤、総司、平助、千、千鶴)分の割り箸とフォーク、コップを配り……。
ワイワイと名酒を楽しむ夕べが始まる。
千鶴がキッチンで野菜スティックをコップにさしていると、千がやってきてこっそり聞いた。
「斎藤先生の部屋、二回目でしょ?最初の時のショックは薄れた?」
千鶴は笑いながら頷く。それを見て千もほっとして笑った。
対面式のキッチンから、リビングの端で総司と二人でどの酒を飲むか選んでいる斎藤が見える。味見と称してかなり飲んでいるようだ。平助はダイニングのテーブルで、『腹減った〜!』といいながら届いたばかりのピザをぱくついていた。
「あれ?斎藤君、こっちの焼酎全部飲んじゃったの?」
「ん?ああ、うまかった」
「ええ〜?まあ、全部斎藤君のだから別にいいけどさあ……ピッチ速すぎない?」
「そうか?」
そんな会話を交わしている総司と斎藤を見て、千鶴は微笑んだ。
「皆さんにもいろいろご心配をおかけしたり謝っていただいたりして……すいませんでした」
「いいのよ、沖田さんたち土下座して当然よ!さ、これ持ってあっち行きましょ。ほっといたら斎藤先生が全部飲んじゃうわ。あれだけ飲んでも平然としてるなんて強いのね」
千鶴は千と野菜スティックを持ってダイニングテーブルに行く。ちょうどお腹もすいていたので、席に着くと千鶴は、ピザへと手を伸ばした。
「皿はあるか?」
千鶴の隣の席へ斎藤が戻ってきて、反対側に置いてあった取り皿を千鶴へ渡した。
「ありがとうございます。あ、すいません紙ナプキンも取ってもらっていいですか?」
「紙ナプキン?何故だ?」
「指が汚れるので……」
千鶴はそう言うと、ピザを取り分けたせいでトマトソースがべっとりとついてしまった自分の指を斎藤に見せる。
こんなに汚れてしまって、という風に千鶴が頭をかしげると、斎藤は頷いた。
「俺が舐めてやろう」
そう言うと、「え?」と目を丸くした千鶴の細い手首をつかむと持ち上げた。そしてソースのついた千鶴の指を口に含む。
席に座っていた平助が唖然として見ている前で、斎藤は丁寧に千鶴の指からトマトソースをなめとった。
「……」
「結構うまいな。俺も食べるか」
斎藤はそうつぶやくと、自分もピザへと手を伸ばす。
赤くなって固まっている千鶴。平助と千は、『あの一君(先生)が……』と目を剥いて顔を見合わせていた。リビングからやってきた総司が、妙な雰囲気の平助と千の顔を見て、「何かあったの?」と聞いてくる。
平助は先ほどの斎藤の行為を総司に耳打ちした。千もこっそりと総司に聞く。
「斎藤先生、酔ってるんですか?」
総司はちらりと斎藤を見てから楽しそうに微笑みながらうなずいた。
「うん、さっき一人で一本空けてたからさすがにねえ。いつもはもうちょっと強いけど自分ちだし千鶴ちゃんもいるし明日仕事休みだし、で酔ってるのかもね。酔うとああいう風になるんだな〜」
「一君もただの男だったってことかー」
「え?」
不思議そうに聞く千に、平助が肩をすくめて説明した。
「酔って理性がゆるんだってことじゃねーの?」
「斎藤君はむっつりだって前から思ってたんだよね。こりゃ今日千鶴ちゃん帰れないかもね〜」
にっこにっこと満面の笑顔で総司が言う。千は驚いて目を見開く。
「千鶴ちゃんは、今日は私の家に泊まる予定で来てるんで、そりゃまあ……先生の家に泊まってもいいかもしれないですけど……」
千と平助、総司は、ピザを食べている斎藤と、隣で赤くなって野菜スティックをちびちびとつまんでいる千鶴を見つめた。しかし酔った斎藤の暴挙はまだまだ続いた。
「わあ!」
ガシャン!という音と共に平助のビールが倒れた。皆が一斉に立ち上がりタオルやら紙ナプキンやらで被害を食い止める。
「大丈夫?」
「ああ、これにだけビールがかかっちゃった。ゴメン!」
平助が差し出したのは、千が持ち寄りで持ってきたデパ地下の有名店のオレンジピールだった。洋酒にたっぷりつけられたソレは、辛い物ばかりのつまみの中で口直しにちょうど良くよく売れて、残りはあと少し。
「もうあと少しだけだし、捨てましょうか」
千がそう言うと、近くにいた斎藤が頷き、オレンジピールの皿を持ちあげキッチンへと運ぶために立ち上がる。そのついでに、端の方にあったかろうじてビールにかかるのを免れた2〜3本をつまむ。
「あ!」
隣で千鶴が小さな声を上げた。
斎藤が気づき、彼女を見る。「なんだ?」という表情に、千鶴は説明した。
「あ、あのそれ……私まだ食べていなかったんで食べたかったなって。でも洋酒が結構きついってみなさんおっしゃってたし……」
「そうか」
斎藤は無表情でそう答えるとスッと体をかがめて千鶴の肩を抱き、千鶴に口づけた。
やっぱりね…という表情の総司に、ぎゃああああ!という声にならない悲鳴をあげている平助と千。
三人の視線をものともせず、斎藤は口づけを深めた。
驚きのあまり固まって目を見開いていた千鶴の口の中には、ふわっと洋酒の芳醇で濃厚な香りが漂いピリッとした刺激が広がる。そしてゆっくりと斎藤の舌が……
アルコールと斎藤と……いろんな意味で千鶴はさらに真っ赤な顔で茫然としている。
当の斎藤はと言うと、そのまま何事もないようにキッチンに行き、残りのオレンジピールを捨てていた。
それを呆れ顔で見ていた平助はふと気が付き総司に言った。
「なあ、斎藤君、もしかして酔ったらキス魔なんじゃねーの?相手が千鶴じゃなくてもあんなふうにしたりして?」
「試してみれば?」
それはそれで面白いな、という表情で総司はそう言う。平助はうなずくと、キッチンにいる斎藤の方を見た。
「えーと、一君?俺もオレンジピールの残り、食べたいなー……なんて…」
キッチンからダイニングに戻ってきていた斎藤は、平助の顔を見た。
「台所の生ごみ入れに入っている」
そう言って通り過ぎ、千鶴の横に座った斎藤に、千はブッと吹き出したのだった。
夜も11時を過ぎ、そろそろ終電が気になるころ。
平助がまず一番に片付け始めた。それに千も続き、皆で片づけが始まる。ある程度きれいになると、「おじゃましました」「うまかったー」と声をかけ合い、皆は玄関に向かった。
「千鶴も帰るのか?」
「え?」
靴を履いて千と一緒に彼女の家に行こうとしていた千鶴は、斎藤の言葉に立ち止まる。
「泊まっていけばいいのではないか」
「え?斎藤先生の家にですか?」
「そうだ」
まるで毎日千鶴が泊まっているかのように平然という斎藤に、千鶴は唖然とした。酔っている斎藤はなんというか大胆で困る。真に受けていいのだろうかと千の顔を見ると、千の目はきらっきらに輝いていた。
「あら、いいじゃない。斎藤先生の家の方が千鶴ちゃんちに近いし。泊めてもらえば?」
「そーか、じゃあ二人は今日が初夜ってこ……イタ!!!」
言いかけた総司の言葉は、千に力の限り殴られて途絶えた。
「じゃあ、私たちはこれで失礼しますね!おじゃましました〜!!」
そう言って出ていく千達を見送って、千鶴はぎくしゃくしながら手を振りつづける。
ど、どうすれば………!お、お風呂?まずお風呂?ううん、これまでの斎藤先生の行動パターンからしたらこのまますんなりそういうことになるとは思えない。きっとなにかどんでん返しが……!!
ぐるぐるとパンクしそうになりながら千鶴が考えていると、隣に立っていた斎藤が千鶴の肩を抱いた。
「ベッドはこっちだ」
「え、えええ!?」
裏返っている千鶴の声が聞こえていないように、斎藤はそのまま千鶴の肩を抱いて寝室へと促す。廊下のドアをあけると、そこはブラウンと黒のシックな部屋で、セミダブルのベッドが真ん中に置いてある。
「さ、斎藤先生、わ、私何の準備も……あの……!」
千鶴がわたわたと寝室から後ずさりしようとするのを引き留めて、斎藤は枕元の暖かい色のスタンドをつける。
部屋はぼんやりとしたムードのある風景になった。
「準備などいらん。お前がいればいい」
きゃああああ!きゃあああ!きゃあああ!!
千鶴は心の中で斎藤のものとは思えないセリフに絶叫する。
どうしよう、どうしよう〜!!
うろたえている千鶴の背中を軽く押し、斎藤はベッドの方へ彼女を促した。
急展開に目を白黒させながらも、千鶴はベッドに横たわる。途端に斎藤からダメだしがでた。
「いや、違うそうじゃない。ここに……そうだ、こうやってもたれて……そうだな脚は伸ばしても曲げてもどちらでもお前が楽な方でいい」
斎藤は横たわった千鶴を起き上らせ、ベッドの頭の部分にもたれられるように千鶴を座らせる。何もかも初めての千鶴は、わけもわからないまま言われる通りにベッドの上に横座りに座った。
「こ、こうですか?」
服も着たままだし、ベッドの横のオレンジ色のぼんやりとした電気もついたままで、しかも横にならずに座るのでいいのだろうか……?と千鶴が首をかしげていると、斎藤は「ふう」という溜息と共に、ドサリと千鶴の膝の上に頭を乗せて横たわった。
え!!!?
こ、これはいわゆるひ、ひひひひ…膝枕!?
膝の上にある斎藤の頭があまりにも近くて、千鶴は両手を上にあげて目を剥いて斎藤を見た。斎藤は少し酔ったのかうっすらと赤い頬で瞼を閉じている。
こ、これから何がどうなってどうすれば…!
千鶴が固まったまま斎藤の次の動きを待っていると……
スーッスーッという静かな寝息が聞こえてきたではないか。
どうやら斎藤はそのまま眠り込んでしまったようだ。
「……」
またか、という思いと、やっぱりね、という諦め。さすがにもう慣れた千鶴は、ふうっと溜息を一つつくと肩の力を抜いた。そして自分の膝の上の斎藤の頭を見下ろす。
……膝枕、してほしかったのかな……
またもや期待は裏切られてしまったが、これはこれで嬉しい。というか、酔って『膝枕をしてほしい』という本音がでたのだとしたら、かわいい。
本格的に眠り込んでしまった斎藤を起こさないように、そーっと布団をかけてあげて。
千鶴は自分の膝の上の斎藤をまじまじと見つめる。
睫長い〜鼻筋がすごく通ってるなあ…肌も綺麗だし。こうやってみると肩幅が広い、っていうかがっしりしてるんだ。そういえば抱きしめられたときすごく固くてびっくりしたっけ。女の子とはぎゅってハグとかしたことあったけど全然違う……
なんてことを思いながら、千鶴と斎藤の初めての夜は例のごとく何事もないまま幸せに過ぎて行ったのだった。
次の朝。
夜の間に千鶴も眠りこけ、膝枕はすっかり外れて二人で一緒にベッドでぐっすりと眠った。
その状態で朝に目覚めた斎藤は、自分のしでかしたことに青くなり千鶴に謝り倒したらしいという風のうわさが、「さいとうこども病院」にも後日届いたのだった。
おまけ
次の火曜日。
その後どうなったかをききたくて総司は、午前診療と夕方診療の間に『さいとうこども病院』にうきうきと顔をだした。
「さーいとうくん!土曜日の夜はどーだった?千鶴ちゃんを満喫した?」
恥しがるか照れ隠しに怒りだすか……そのどっちの反応でも面白いと総司は思っていたのだが、実際の斎藤の反応はそのどちらでもなく、説教だった。
「俺もかなり酔ってしまっていて気を配れずにいて申し訳なかったが、お前たちだとて千鶴が酒に弱く未成年であることは知っていたのだろう。なぜ彼女が飲むのを止めなかったのだ。次の日千鶴は頭が痛いといっていた。症状から言ってあれは二日酔いだぞ。酒を飲んだことがなくさらにアルコールに弱い体質の人間ならたとえ少量でも二日酔いになる可能性はある。ちゃんとお前たちが注意して……」
説教は延々と続いた。
『お前が口移しで食べさせたオレンジピールのせいだろうが!!!!!!』
と、千と総司は内心叫んでいたが、大人の理性で口に出して斎藤につっこむのはなんとか我慢したのだった。
長い間ありがとうございました〜!
Dr.斎藤は一旦オヤスミします。
来週はWILD WINDの続きの更新予定です。
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