【Dr.斎藤 2】
待合室に置くクリスマスツリーに金色のモールを飾りながら、千鶴はちらりと後ろを見た。
診察室への入口で、斎藤と看護婦の鈴鹿とが何かを話しながら二人でサンタのソリの形をした飾りを壁に飾っている。
千では届かない場所に押しピンを押そうとして、斎藤が千にかぶさるようにして手を伸ばす。
その体勢のまま何事かを話して、千が声を出して笑うと斎藤も微笑んだ。
千鶴はそれを見て、目をそらす。
必要以上に丁寧に金モールをツリーに等間隔になるように巻きながら、千鶴は小さく溜息をついた。
先生……あの看護婦さんとつきあってるのかな……
今日千鶴が見かけた時も、斎藤と千の二人で買い物に来ていた。
千は女の目から見てもかわいいと思う。くりっとした大きな瞳に明るい表情。頼りになる感じでこっちまで気分が明るくなる。外見も女性らしい。
女性らしい、といえば受付の女性だ。スラッと背が高く出ている所は出て引っ込んでいる所はひっこんでいて、さらに美人だ。色っぽい、という形容詞がぴったりで、その上とても気が利くし優しい。
予約の時間に遅れてきてしまったりお金を出すときに手間取って焦っている千鶴に、いつも優しく「大丈夫ですよ」と言ってくれる。『大人の女性』そのものだ。
斎藤の年齢は知らないが、成人もしていない高校生の自分なんかより、受付の女性……君菊さんといっただろうか(かわった苗字だ)…か、看護婦の鈴鹿さんの方が魅力的に感じる年齢なのに間違いはないだろう。
かわいいタイプと美人タイプ、両方すでにそろっているのだから、千鶴の入る隙などない。
もともと勝手に……素敵だなって思ってるだけだったし
千鶴は小さくうなずいて、次はキラキラ光るピンクの丸い飾りをツリーにかけ始めた。
颯太がまだ赤ちゃんだったころ、母親が出張中で不在の夜に、突然熱を出したことがある。
こんな高熱は初めてで千鶴は動揺してかかりつけの「斎藤こどもびょういん」に電話をしてしまった。出たのが若先生と呼ばれている斎藤で。その時は頭が真っ白で気が付かなかったのだが、診療時間はとっくに過ぎていた。たまたま調べものをしていた『若先生』が電話にでてくれたのだった。
『若先生』は動揺している千鶴を電話で落ち着かせ、とりあえず颯太を連れてくるように言ってくれた。あわてて連れて行くと、病院の電気は消えていて、『若先生』も白衣ではなく黒のタートルにブルージーンズという私服で……
ようやく千鶴は自分が診療時間外に電話をしてしまっていたことに気が付いたのだった。
颯太の心配や診療時間外に押しかけてしまったこと……いろんなことに動揺している千鶴にはかまわず、斎藤は冷静に颯太の診察をした。そして心配しなくても大丈夫だと、診察の結果を丁寧に優しく話してくれた。
その態度が頼もしくて、初めて見る『若先生』の私服姿が素敵で……そして最後に安心させるようににっこりとほほ笑んでくれた『若先生』。
17歳の女子高生が恋に落ちるのは当然だった。
そしてそんなに素敵な男性なのだから、他の……もっと大人で色っぽくて素敵な女性が好きになるのも当然だろう。
千鶴は自分の恋心を『若先生』に伝えるつもりなどみじんもなかった。
ただ、颯太がちょっとした熱や鼻水で病院に行く回数は増えた。しかし別にそれは悪いことではないし……。
そうして診察室で颯太を膝に抱っこして、向かいに座っている『若先生』が聴診器を当てる前に颯太が冷たくないように自分の手のひらで暖めてから診察してくれることや、『あーん』が苦手な颯太のために舌を抑えずに喉をを見てくれること、きれいな深い蒼色の瞳が胸の音を聞くときは真剣になるために色が濃くなること、繊細で長い指や目を伏せたときの黒い睫、少し長い前髪やたまにちらりと颯太に見せてくれる笑顔がとても素敵なこと……諸々をドキドキしながら見つめているだけだった。
先生は美人で色っぽい人とかわいい人と、どっちがタイプなのかな……
千鶴がぼんやりとそんなことを考えていると、後ろから明るい声がした。
「雪村さん、そのピンクの飾り2〜3個もらえる?診察室にも飾ろうかと思って」
千がひょい、と千鶴がうでにかけている袋を覗き込んでそう言った。そして明るく微笑みながら続ける。
「ごめんなさいね、飾り付け手伝わせちゃって」
千の言葉に千鶴はあわてて首を横に振った。
「いいえっ!こちらこそ颯太のわがままを聞いてくださってありがとうございます」
千と千鶴は、部屋の隅でサンタクロースの等身大の人形を口を開けてみている颯太を見る。千は視線を千鶴に移すと言った。
「それにしても雪村さんが高校生っていうのがほんとにびっくりしたわ。颯太君のお母さんとだとばっかり思ってたから。颯太君も『お母さん』って呼んでるし」
「母のことを『ママ』って呼んで、私のことを『お母さん』って呼んでるんです。保育園に迎えに行くのがいつも私で、保育園の先生とか他のお母さま方がみんなそう呼ぶので颯太もそうなってしまって……」
「そっか〜」
千はそう言うと、何事か考えているような目で千鶴を見る。
「高校3年生だっけ?彼氏とかいるの?」
千鶴は真っ赤になって顔をブンブン横に振った。
「いっいませんっそんな……」
「そうなの?かわいいからモテるでしょ?」
「いえ!私なんてそんな……看護婦さんの方がとってもとってもかわいいじゃないですか!…あの……」
口ごもった千鶴に、千が「何?」と促すと千鶴は口ごもりながら続けた。
「…すいません、こんなこと聞くの失礼かもしれないんですが……看護婦さんと斎藤先生って…その……つきあってるんでしょうか?」
千鶴の質問に、千は改めて千鶴の顔を見た。
千鶴は真っ赤になりながらも少し不安そうに千の返事を待っている。視線はあわせられないようでじっとピンクの飾り玉に映っている横に伸びた自分の顔を見ながら。
あらあらあら……完全に若先生の片思いかと思ってたら……これは意外に……?
千鶴の方もどうやら斎藤に好意をもっているらしいと踏んだ千は、あっけらかんと答えた。
「やだ!違うわよ〜!若先生とは普通に職場の人ってだけよ」
「そうなんですか……」
自分が斎藤とつきあえるなどとは思ってもいないが、斎藤と千がつきあっていないと聞いて千鶴はぱあっと心が晴れたような気持ちになった。千が続けて質問してくる。
「何で彼氏つくらないの?颯太くんの世話とかで忙しくて?」
「いえっ違います。それとは別に…あの、学校に好きな人はいないですし……それに颯太の世話もこれからは楽になると思います。母の仕事のシフトが変わって土日休みになったんで」
「そうなんだ?じゃあ週末に友達と遊んだりできるようになるね」
「はい。でも受験生なんでそんなに遊んだりは……」
その時後ろからまた声がかかる。
「あの、鈴鹿さん。例の件、若先生何か言ってました?」
話しかけてきたのは受付の色っぽい女性……君菊だった。千が答える。
「うん、やっぱり土曜日だけアルバイトかなって言ってた」
君菊が申し訳なさそうに溜息をつく。
「そうですか……本当にすいません。家の事情で土曜日だけ出勤するのが出来なくなってしまって……」
千が慰めるように君菊の肩に手を置いた。
「大丈夫よ。午前中だけだし土曜日だけだからすぐアルバイトは見つかると思うわ……ってそうだ!千鶴ちゃん!」
「はい!?」
突然溢れんばかりの笑顔でこちらを向いた千に、千鶴は訳が分からないながらも返事をした。
千は「そうだわ、そうよ!ナイスアイディア!」とつぶやきながら後ろを振り向き、斎藤を呼ぶ。
「若先生!」
ちょうど診察室の机の上にトナカイの置物を置いていた斎藤は、千の声にこちらを向いた。
細身のジーンズに白いTシャツ。上に黒地に小さな水玉模様のシャツを着ただけの薄着の斎藤が、トナカイの置物を持ったままこちらにやってくる。
「どうした?」
「土曜日の受付のアルバイトの件ですけど、雪村さんに頼んでみていいですか?」
千は興奮したようにそう言うと、斎藤の返事を待たずに千鶴を振り向いた。
「雪村さん!話を聞いていてわかったと思うけど、土曜日午前の受付のアルバイトをさがさなくちゃいけないのよ。朝9時から12時までここに座って、保険証と診察券と予約の確認、お金のやりとりをしてもらうだけなんだけどどうかな?颯太君はお母さんにみてもらえるようになったんだし、とっても楽ちんな仕事だし、私達も知ってる人に来てもらった方が気が楽だし若先生は喜ぶし、いいことだらけだと思うんだけどどう?」
一気にまくしたてられて、千鶴は目を瞬いた。
「えっと……あの……、アルバイト、ですか?」
どもりながら千鶴が答えると、斎藤が千をたしなめるように言った。
「鈴鹿さん、雪村さんの都合もあるのではないか?まだ高校生だし受験生なのだろう?」
「いえあの……受験は私、もう推薦が決まっているので……」
千鶴が答えると、千はがしっと千鶴の手をとった。
「素敵!これは運命よ!ね?うんって言って?」
土曜日の午前中だけのアルバイト……確かにその時間は空いているしお小遣いが稼げるのならとてもうれしい。というより……
千鶴はちらりと、トナカイを持ったまま立っている斎藤を見た。
斎藤と土曜日の午前中ずっと会えるのかと思うとこちらがお金を払いたいくらいだ、というのが千鶴の本音だった。
「あの、私でよければぜひアルバイトさせてください」
千鶴がそう言うと、千と君菊、そして近くに来ていた年配の看護婦がワッと嬉しそうな歓声をあげた。
斎藤はというと、固まった、という表現がぴったりの様子で立ちすくんでいる。
千鶴はそんな斎藤の様子を見て不安になった。
なんだろう……何かまずかったのかな……
やっぱり病院のアルパイトが高校生じゃ不安なのかな。もっと大人な人の方がよかったとか…
それともこんなところでアルバイトしているより、高校生なんだから勉強しろとか?あ、もしかしたら颯太の面倒をもっとみてやれとか……
千鶴は、悪い方へ悪い方へ考えどんどん青ざめていく。とうとう、もう自分からアルバイトはやはりしないと断った方がいいかも…とまで思いつめた時、斎藤が口を開いた。
「……た」
た?
女性4人が斎藤の続きの言葉を待って見守る中、頬を少し赤らめながら彼は続けた。
「楽しみにしている。よろしくお願いします」
そう言って頬を赤らめている若先生を、千がバンッと叩いた。
「そうですよね!私も楽しみにしているわ。よろしくね雪村さん……ううん、もう千鶴ちゃんでどうかしら?名前で呼んでいい?」
「はっはい」
千鶴が答えると、千はまたもや嬉しそうに斎藤の肩をたたいた。
「ですって!若先生も名前でね!」
「なっ名前?名前とは……名前とは……」
「だから千鶴ちゃんでも千鶴さんでもちーちゃんでもちづちゃんでも、千鶴、でもいいわね。どれがいいですか?」
あっけらかんとした千の台詞に呑まれて、斎藤は口ごもった。
「どれが……どれがいいとはどういう……」
「じゃあ『ちーちゃん』にしましょうか?」
年配の看護婦がそう言い、若先生は雪村さんのことをちーちゃんと呼ぶのよ〜と決定しそうになった時、斎藤がかろうじて手を挙げてストップをかけた。
「職場では適切な節度を守るべきだと俺は思う。だから俺は彼女のことは『雪村さん』と呼びます」
ええ〜固い〜!という文句をスルーして、斎藤はトナカイを持って診察室へ戻ろうと踵を返した。
その時、看護婦たちの盛り上がりに驚いている千鶴と目があった。
斎藤は困ったような表情で少しだけ微笑むと、軽く会釈をしてそのまま立ち去ったのだった。
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