【Dr.斎藤 17】
「へえ〜。斎藤君、がんばったんだね」
そう言って沖田が手に持ったカップを、千は生暖かい目で見た。
「『おごるから』って言われて気を使ってカフェラテにしたのに、沖田さんストロベリーフラペチーノですか」
じゃあ自分も遠慮なんかせずに好きな物を頼めばよかったと千は思う。
「これ、おいしいよね」
千のイヤミをさらりと受け流して、沖田はすたすたと空いているソファ席の方へと歩いて行く。
「忙しくてしばらく来られなくってさ。あの後どうなったのか聞きたかったんだけどさすがに斎藤君に直接聞いても教えてくれないだろうし。ここは君から聞くのが一番だと思って。どうせ夜の診療まで暇なんでしょ?」
北海道での列車事故から二か月。
残暑とはいえないくらいの暑さの毎日が続いている。
今日は院長先生の方の診療日なのに、午前診療と夜の診療の間の時間にふらりと沖田が『さいとう子ども病院』にやってきたのだ。
『あら?お久しぶりです。今日は若先生、大学病院の方ですよ?』という千に、沖田が返したのが先ほどの台詞だ。
要は、斎藤と千鶴の恋愛情報のその後をリークしてほしいということだ。お茶をおごるかわりに。
別にナイショというわけではないし、あれから二か月たって斎藤と千鶴もすっかりラブラブカップルらしくなってきている。教えてもいいし、確かに暇だし、おごりだし…ということで千と沖田は近所のスターバックスでお茶をしていた。
沖田の向かい側に座ってカフェラテを飲みながら、千は続ける。
「土曜日の病院では、お互い仕事として振る舞わなくてはって感じで無理してるのありありで、一緒に仕事している方は微笑めばいいのか悶えればいいのか……ってくらいらぶらぶモードですよ。千鶴ちゃんから聞いた話じゃ、デートとかも誘われて行ってるみたいだし。もう沖田さんが気にするまでもなく大丈夫だと思います」
「甘いね」
自信満々で言った千に、沖田はかぶせる様に余裕の笑みで言った。
「え?甘い?」
沖田の目の前にある生クリームもりもりのストロベリーフラペチーノのことかと、千は目を瞬く。
「そう。斎藤君という人間をよくわかってないよ。僕の予感ではね、もうそろそろ千鶴ちゃんは悩みだしてると思うよ」
「……」
先週の土曜日に一緒にお昼と食べたが、千鶴にはそんな気配は全くなかった。幸せそうに斎藤と見に行った映画の話をしていたが……
「悩むって何を悩むんですか?」
不安要素は全くないように思えるが。沖田はフラペチーノを一口食べてにんまりと笑った。
「つきあいだした次のステップ……まあいわゆる性の問題でさ」
「ぶっ」
沖田の発言に、千はカフェラテを噴き出した。
「そ、そんなのは当人同士の問題で……!」
「斎藤君は多分千鶴ちゃんには手を出さないと思うんだよね。そして千鶴ちゃんはそれに対して不安になる……よくある展開だけどさ」
「そんな……斎藤先生だって男性なんですから、そうそういつまでも我慢はできないんじゃないですか?」
「別に我慢はしなくてもいいじゃない。ちゃんと斎藤君のまわりには解消のための女の子とかいるんじゃないの?」
「それって……」
千は唖然とした。彼女がいて、その彼女には手を出さなくて、その代わりに性欲の解消のためだけのつきあいの女性と…?
「意味が分かりませんけど…。そんなことをするのなら千鶴ちゃんとアレコレするでしょう?」
「だからさ、千鶴ちゃんはまだ19歳。未成年。斎藤君からの性格からしたらなかなか手は出せないと思うんだよね。大学卒業までか、20歳までか…そこのマイルールはわからないけど。で、千鶴ちゃんがいろいろ悩む」
「まさか」
千は鼻で笑った。
「千鶴ちゃんに手を出さないっていうのはもしかしたらあるかもしれないですけど、斎藤先生に限ってそんな体だけの関係の女性なんているわけないじゃないですか」
「それが甘いんだよ。ことそっち方面に関しては女の子には男のことはわからないと思うな。普通の男なら、そこで好きな子に手をだすだろうけど、斎藤君はそこのところストイックだからね。好きな子を大事にするためには他の女性と双方納得ずくでそういう関係を持っているなんてことは斎藤君に関してはあり得ると思うよ」
沖田は真面目な顔でそういいつのったが、千は一笑に付した。
「あの斎藤先生が…ありえないですって」
「だからそこが甘いんだって、女の子は。男の性欲を甘く見てるね。特に好きな子が傍に居たら余計悶々とするしね。これで千鶴ちゃんから『斎藤先生と何もないんです…』とか悩み相談されたら、いよいよクロだと思っていいと思うよ。女子が不安に思う位手を出さないでいて他でも解消していないなんて、いくら斎藤君が意志が強いって言ったって無理だと思うね」
まさかそんなことは無いとは思うが、『男の本能』と言われてしまうと、女の千にはわからない。
実際、客観的に見て斎藤はもてるだろうし……。斎藤自身がその気になれば女子には困らないだろう。
そういえば千の男友達でも、彼女がいるのにその彼女が家に来られないときは、元カノを家に呼んでエッチをしていると、何の罪悪感もなく言っていた男友達がいた。そいつは本当に性格がよく爽やかなヤツで。千が驚いて、それは浮気じゃないかと責めると、驚いたように『違う』と。元カノのことはもうまったく好きじゃなく本当に体だけで、それなら浮気にはならないと言っていたのだ。
気が合うし価値観もあうと思っていた男友達のその言葉に、千は大層驚いた記憶がある。それとともに『男はわからない』と思ったことも。男は脳ミソと下半身が違うという話はよく聞くが、まさか斎藤も……
まさかねえ…
千は、うまく行ってほしいと思っているのかひっかきまわしたいと思っているのかよくわからない沖田の笑顔を見ながら(きっとおもしろければなんでもいいと思っているのだろう)、カフェラテを飲み干したのだった。
そんなことがあった次の土曜日。
千鶴と一緒にお昼をカフェで食べていた千は、千鶴の言葉にパスタをのどに詰まらせた。
「……私って女性としての魅力がないんでしょうか……」
オムライスをつつきながら
溜息をついて千鶴はそう言った。
「ゴホッ…!ぶほっ!エホエホ!」
「大丈夫ですか?」
「…な、なんとか……」
むせた千に、千鶴は心配そうに水を差しだす。「ど、どうしてそんなこと思うの?」という千に、千鶴は迷いつつ口を開いた。
「先日、大学の女友達4人と一緒に一人暮らしの女の子の家に泊まったんです。そこで……」
彼氏持ちは千鶴も含めて三人。あと一人は別れたばっかりでもう一人は好きな人がいるが付き合ってはいない状態で。
当然ながら夜はガールズトークがさく裂した。特に別れたばかりの女の子が、いまだに引きずっているらしく別れた原因をぶちまける。
『でね?私は会うたんびにエッチばっかりするのは嫌だったの。だって花火大会とかお買い物とか……普通のデートがしたいのに、あいつってばまずエッチってかんじで。で、デートのうち3回に一回はエッチを断ってたのよ。そしたらさー!』
その彼は他の女子とエッチをしていたらしい。それが発覚して怒りまくった彼女に、その男がいう事には…・
『エッチを私が嫌がるから、嫌われたくないしでもエッチしたいし…ってんで、他で解消してすっきりしてたんだって!そうしたら私がエッチさせてくれないって悶々イライラすることもなく仲良くデートできるからって!』
その女友達の元カレのあまりの行状に、千鶴は驚いた。しかし他の女友達があまり驚いていないようなのにさらに驚く。
皆、うんうんと頷いているではないか。
『うちは我慢してくれてるみたいだけど、同じ風に他で浮気とかされてたらいやだなあ』
『なんか男ってきっぱりそこは切り離して考えられるみたいね』
千鶴は恐る恐る聞く。
『切り離すって?』
『だから、彼女は彼女でちゃんと好きで、それとは別にこう……ヤるだけの女の子もいる、みたいな?よくわかんないけど』
『……』
黙り込んだ千鶴に、他の女子達が聞いてくる。
『千鶴の彼氏は年上なんでしょ?そんな性欲魔人なんかじゃないだろうし落ち着いてるだろうから大丈夫だよ、きっと』
『いいなあ〜年上。かっこいい〜。きっとエッチにいたるまでも余裕があってギラギラなんかしてなくて洗練されてるんだよね〜』
『最初はどんなふうだったの?』
当然そういう関係になっている前提での彼女達の言葉に、千鶴は曖昧に微笑むことしかできなかった。
「……斎藤先生、全然……そういう風じゃなくて。とっても優しいんですけど、なんだか小さい子をあやしているような感じなんです。すごく幸せで嬉しいんですけど、友達の話を聞いていると、もしかして私に女性としての魅力がないせいなのかなって……」
千は無駄にパスタをくるくると巻きつけていた。
沖田の予想通りの展開になっていることに空恐ろしささえ覚える。
千が見る限り、斎藤は千鶴を大事にしているのだと思う。沖田の言うとおり19歳という年齢のせいもあるかもしれないが、ヘンにあせったりしていないように思える。
しかし。
先日沖田が言った『男というイキモノ』についての話を聞くと、少し揺らがないでもないのだ。
沖田が言った「体の関係のみの女性」と、千鶴の女友達たちの話はぴったり重なる。ということは、世の『男』というイキモノはそういう傾向にあるということで、斎藤ももちろん『男』であるからして……
「いやいやいやいや……ナイナイ」
千は首を振った。あの斎藤に限ってセフレなどと……
千は苦笑いをしながらカフェの大きな窓から大通りをチラリとみて、そして固まった。
「……」
外を見たまま固まっている千を見て、千鶴も千の視線の先を追う。そして……
「……斎藤先生」
さいとうこども病院の最寄駅のカフェ。外に見える景色は駅のロータリーだ。
そしてロータリーの向こう側には斎藤が立ち、何かを待つように車道の方を眺めている。斎藤の前に滑るように入ってきたのは、ピカピカと真っ赤に光るヨーロッパ車。降り立ったのは女性。
肩までの緩い巻き髪に、体のラインを強調するようなぴったりとしたワンピースを着ている。そしてその体は充分に発育しており、強調するに足るボリュームだ。
斎藤の傍へ駆け寄り話す仕草は全身から媚びが溢れており、ただの友達とか親族とかそういう感じではもちろんない。斎藤はというと、やはり顔見知りなのだろう、邪険にするでもなく微笑みながら相手をしている。
女性が甘えるように首を傾け、車のキーを渡すと、斎藤は気軽にうなずき、運転席側に回り乗り込む。
「!」
息を呑む千鶴を後目に、女性は助手席に嬉々として乗り込み、車はあっさりと発進した。
ロータリーをぐるりとまわり、千鶴たちのカフェ側の道路を通り過ぎていく。車内で斎藤とその女性が楽しそうに笑っているのがちらりと見えた。
「……ち、千鶴ちゃん、きっとあれは……あれは、その、大学病院の方の同僚とかそういう人だと思うわよ」
千が、冷や汗をかきながら千鶴に言う。
「……」
千鶴は固まったまま無言だった。
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