【Dr.斎藤 14】









斎藤は、タクシーの中で携帯を操作して、一番早い札幌千歳行の飛行機を予約した。
「15時発の飛行機に乗りたい。急いでくれ」
タクシーの運転手をせかす。タクシーの運ちゃんは威勢よく返事をした。
「ほいよ!お客さんお医者さんか何か?だから急いでるのかい?」
運転手に言われて斎藤ははじめて自分が白衣を着たままだという事に気が付いた。機械的に白衣を脱いだが、頭は全く働いていない。
とにかく早く。
急いで。
不安なままの状態がつらい。
「ラジオを……ニュースをつけてもらえないか……いやいい」
携帯でネットを見ればいい。その方が早い。何故そんなことに気づかなかったのかと、斎藤は手に持っていた携帯電話を見た。
検索サイトで探すと、事故のニュースはあるもののどれもたいして情報が無いようで、一、二行の扱いだ。
怪我人や重体の乗客はいるのか。
千鶴はどうしているのか。無事なのだろうか。……

斎藤は足の間で握った手にぐっと力を込めた。

速く
早く





病院はごった返していた。
緊急停止した場所が運悪く町と町の間で、乗客全員を収容できる病院が近くにはほとんどなかったのだ。
突然の急ブレーキでまず多くの乗客が転んだ。千鶴も前の席の背もたれにしたたか頭をぶつけた。だが近くのお年寄りは床にころがり足を痛め、反対側の子供たちは体重が軽いせいで前へとふっとんでしまい怪我をした。
ちかちかと車内の電気が点滅したかと思うと消えた。
何事が起ったのかと電車内が騒然となりしばらくしたのち、煙が車内に充満しだしたのだ。車内アナウンスを待っている余裕もなく、あちこちで乗客たちが緊急レバーを引いてドアを開け線路に下りたつ。列車はどこからかはわからないが煙をモクモクと出して止まっていた。車掌と乗務員の誘導にしたがいとりあえず電車から離れて乗客たちは近くの空き地に避難した。
「大丈夫か雪村君」
サークルの山崎が、空き地で座っている千鶴に話しかけてきた。サークルの皆は怪我もなく気分が悪くなっている者もいないようだ。
千鶴は心なしか青ざめた顔で頷く。
「はい。ちょっと喉が痛いですけど……」
「煙をすってしまったんだな。我々は一番最後にでたからな」
老人や子ども、パニックになっている人々から優先的に(というか強引に)降りて行ったため、千鶴達は最後まで煙の充満した車内に取り残されていた。
『姿勢を低く!』との山崎のアドバイスで呼吸はなんとかできたが、目も開けられないし喉も痛い。前が全く見えないため、このままここで死んでしまうのかという極端なことまで千鶴は考えてしまった。

死ぬ前にもう一度斎藤に会いたいとも。
うまくいかないのも思いを返してもらえないのも、もうどうでもいい。
千鶴が斎藤に会いたくて、好きなのだ。
死んでしまうのならその前にもう一度だけ……



もちろんそんな大事にはいたらずに、千鶴は無事に外に出ることができたのだが。
空き地で輸送用のバスと救急車を待ち、千鶴達は近くの病院に運ばれたのだった。

田舎町の小さな病院にとっては、当然のことながら今回の患者数やキャパを大きく超えていた。最初の緊急停止による衝突、車外へ出るためのパニック、そして煙を吸ってしまったこと。乗客ほぼ全員が治療を必要としているのだ。それに加えて事故の衝撃で血圧があがってしまったものや列車から飛び降りたせいで怪我をした者もいる。
緊急性の高い患者から優先的に診察を受けており、千鶴たちは怪我人であふれかえった病院の廊下に座っていた。
近くには幼稚園ぐらいの男の子が一人だけで座っている。しばらくするとしくしくと泣きだしたその子に、千鶴は声をかけた。
「どこか痛いの?大丈夫?お母さんは?」
泣きながら首を振るばかりの子供に、千鶴と山崎は顔を見合わせた。見たところ怪我はないようだが……
と、後ろから動揺したような声がした。
「す、すいません!何かうちの子がしたんでしょうか?」
母親らしき女性が、小学生ぐらいの男の子を抱っこしている。その男の子の脚を見て千鶴は眉をひそめた。
「脚……」
千鶴の言葉を聞いて母親も泣きそうな顔をする。
「そうなんです。電車から降りるときに怪我をしてしまって……看護婦さんに早く治療してもらえないかとお願いしたんですが、もっと重症の人がいるって言われて…」
小学生ぐらいの男の子の脚は、血で真っ赤に染まっていた。痛いだろうに唇をかみしめて泣き言を言わずに我慢している。小さいながらも非常事態だということがわかっているのだろう。
「とりあえず洗面所で傷口を洗って来たんです。単なる切り傷ならいいんですけど、縫わなくていいのかとか……あとこっちの弟の方も電車から落ちてしまって。腕が腫れてるんのが心配で」
確かに命にかかわる怪我ではないだろうが心配だろう。千鶴自身も車内から逃げるときにどこでひっかけたのか肘から手首にかけて切れてしまっている。ハンカチを巻いて応急手当はしているしたいして深くは無いから大丈夫だと思うが、小さな子供の怪我だと心配だろう。
「私、ちょっと行って消毒液とか応急手当ができるものを借りてきます!」
千鶴が立ち上がって診察室の方を振り向いた時、誰かが病院の入口から入ってくるのが目に入った。
そのまま視線を外そうとしていた千鶴は、チラリと見ただけのその人をどこかで見たことがあるような気がして、もう一度入口を見る。

すっと伸びた背筋に均整のとれた体。誰かを探すように左右を見渡している顎はすっきりとしたラインを描いている。そうしてこちらを見る蒼い瞳。少しだけ長めの髪は目にかかっていて……

千鶴はポカンと口を開けた。
一瞬今がいつで場所がどこなのかわからなくなる。

あれ?ここは北海道で……
死ぬ前に一度会いたいって私が思ったから……あれは幻覚?

大股で歩き寄ってきた斎藤は、千鶴の目の前で立ち止まって無言で彼女を見つめている。
少し息が上がり、汗もかいているようだ。
「……斎藤せん…」
そう言いかけた途端、千鶴は強い力で引き寄せられた。
廻した腕が千鶴をきつく抱きしめる。
千鶴は目を大きく見開いた。
目の前にある斎藤の胸からは、かすかにいつものシトラスの香りがする。
少し汗ばんだ固い腕。
かすかに震えているような……

「……無事でよかった……!」

絞り出すような声が耳元で聞こえた。










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