【恋人たちのクリスマス  〜マクドナルドで夕食を】





今夜は恋人たちのクリスマスイブという日の朝、風間は空港のビジネスクラス専用ラウンジの大きなソファに座りコーヒーを飲んでいた。
冬将軍を伴った、かなり大きな低気圧が来るとの予報で、外は朝の9時だというのにどんよりと暗い。
前に座っていた天霧も空の色を見て言った。
「飛びますかね」
「民間機は少しの悪天候でも運行をやめるからな」
出発まであと30分ほど。航空会社からは天候状況を確かめているので搭乗は待ってくれと言われている。天霧が、ラウンジの壁にかけてある大型テレビに視線を移した。ちょうど天気予報が映し出されている。
「行きは飛ぶかもしれませんが帰りは難しいかもしれませんね。何も無理して日帰りをしなくとも良いのではないですか」
風間も天気予報を見た。大型の低気圧は現在関西の辺にいる。足が遅いので関東にかかるのは夕方になるだろう。そうなると今日の出張の帰りの便、東京着の便は欠航になるかもしれない。
「今日はイブだからな。民間機が運行を取りやめるようなら我社の自家用機を使えばいいだろう」
今夜は久しぶりに千鶴と会えるのだ。そのために仕事の調整もしてきた。
風間と千鶴は、千鶴がうるさく主張するように千鶴のペースで付き合いだしたものの、風間は不満を募らせていた。
二人の生活エリアや時間帯が異なるため、会うことのできる時間が極端に少ないのだ(風間にとって)。
一週間一度会えたらいい方で、ひどいときは半月もほったらかしのことさえある。メールもLINEもやったことはあるが、風間が面倒になってやめてしまった。
文字でいくら言葉を交わしても面白くもなんともない。会って、見て、触れて、そうして千鶴を味わいたいのに。彼女の人生でのおこぼれの時間ももらってありがたがるような付き合い方なぞ性に合わない。
風間は、一緒に住むようにと何度も千鶴に言ったが千鶴はいつもなんやかやと言い訳をして遠まわしに拒否されていた。
だが、今夜はクリスマスイブ。今夜こそ、千鶴に一緒に住むことを認めさせなくては。
「そこまでして帰らなくてもいけないものでもないでしょう。現に雪村の方は星空観察とかいう林間学校についていっているのではなかったですか?」
12月の初めに風間の会社で千鶴とあった時に、たしかそんな話をしたような気がして、天霧は言った。この時期一週間ほど、鈴鹿学園の5年生の希望者たちが『星空観察』も兼ねて冬の林間学学校に行くので、千鶴も保健室の先生として一緒についていくと。林間学校なのだから当然泊まりで、それなら今夜は会えないだろうに。
風間は、天霧の話を払いのけるように手をふって小さく笑った。
「それは千鶴は行かないことにさせた」
風間の返事に、天霧は微妙な気持ちになって口を閉じる。
風間が何をやったのか大体想像がつく。
鈴鹿学園の隠れたオーナーであるという立場をフル活用して、林間学校に千鶴を行かせないよう鈴鹿学園に裏から手を回したのに違いない。
千鶴が一生懸命探している双子の兄の薫の情報をすでに風間がもっていることといい、今回のことといい、天霧からみると風間は不発弾をいくつも抱え込んでいるようにしか見えず、ハラハラしていた。こういう、人を後ろから操るようなことは千鶴は好まないと思うのだが。
しかし天霧がいくら言っても風間は聞かないだろう。
天霧は無言でもう一度テレビ画面を見た。その時画面が切り替わる。
『番組の途中ですがここでニュースをお伝えします』
アナウンサーの画面が映し出され、風間と天霧はテレビ画面を見た。ラウンジにいた他のビジネスマンたちも何事かと画面を見る。
『関東北部にある山で大規模な土砂崩れが発生しました。周囲に民家はありませんが民間の施設がいくつかあり、その中の一つに人が取り残されている模様です』
画面が切り替わり、土砂崩れがおきた山と周辺地図が映し出された。
それを見た天霧は目を見開く。そしてつぶやく。
「あそこはたしか、鈴鹿学園の林間学校施設のあるあたりでは……」
風間も頷いた。
「そうだな。時期的に取り残されているのは鈴鹿学園の可能性が高い。社に連絡して学園へ連絡を入れさせろ。……まあすぐに消防が救助に向かうだろうが……」
風間の言葉にかぶさるように、テレビのなかのアナウンサーが続ける。
『消防のヘリコプターは現在別の救助活動で出払っており、知事は自衛隊への救助要請を検討している模様です。ただ、自衛隊は本日米軍との大規模な演習計画があり、機体の割り振りを再検討する必要があるとのことで……』
天霧が風間の顔を見た。「どうしますか」
風間は考えを巡らせるように、長い指先で顎をなでている。その時テレビのなかのアナウンサーに新たな紙が横から渡された。
『……たった今入った情報です。取り残されている方々が判明しました。鈴鹿学園5年生、40名と引率の教師3名。そして保健医1名』
アナウンサーの最後の言葉に、天霧は思わず風間の顔を見た。風間の横顔はピシリと固まった。
「……保健医……?」




ババババババと激しい音をさせてやってきた真っ白なヘリコプターを見て、千鶴の笑顔は固まった。
ヘリコプターの腹にはでかでかと『風間コーポレーション』と書いてある。
走って逃げたくなったが、今はそれどころではない。千鶴は慌てて子供たちを呼び寄せて、屋上のヘリポートに降りてくるヘリコプターに備えた。何往復かしてくれるらしく、第一便、第二便、と生徒たちが減っていく。千鶴は風間への言い訳を考えながら一番最後の便に乗り込んだ。

ヘリコプターが着陸したのは、林間学校から近い航空貨物用の空港だった。ローターが起こす風に巻かれながら、生徒たちをかばって千鶴は急いで降りる。助かったという安堵とともに建物の中にはいろうとした千鶴は、ぐいっと腕を掴まれた。
「お前はこっちだ」
低い声。
え?と思った千鶴が振り向くと、そこには細かな雨と風の中で風間が立っていた。当然ながら表情はかなり冷たい。
「か、風間さん……」
「行くぞ」
風間はそう言うと、千鶴を再びヘリコプターの方へと引っ張る。
「あ、の、ちょっと待ってください。私、学園の……その、生徒たちとか先生も……まだ仕事…」
「学園にはお前がこれから二日休みをもらうことは話して了承をもらっている。怪我をした者もいないし、ここから学園までバスを出すよう指示済みだ。行くぞ」
「……」
全て手回し済みでもう逃げる余地もない。千鶴は黙ったまま再びヘリコプターへと連れ込まれたのだった。


ヘリから下ろされたのは、風間グループ本社ビル。上にヘリポートがあるのだ。
そのまま社長室へと連行される。
「あの、風間さんは今日の仕事は……」
「……行く予定だったがな。出がけに空港で、鈴鹿学園の保健医が土砂崩れに巻き込まれて立ち往生しているとニュースを聞いたので、キャンセルだ」
「……」
無言の千鶴に、風間は嫌味ったらしく独り言のように呟いた。
「鈴鹿学園の林間学校への保健医の同行は中止になったと聞いた気がするが」
「……その、昨日の夜に林間学校先で急に具合が悪くなった生徒がいて、迎えに来て欲しいって連絡があったんです」
「……なぜ俺に言わなかった」
社長室の出入り口で、立ったまま千鶴はなぜか申し開きをさせられていた。
「だって、迎えに行って帰ってくるだけですし、わざわざそんなことを電話するのもって思って……」
「……」
風間の赤い瞳が苛立たしげに光り、千鶴は肩をすくめた。
「……ごめんなさい……」
千鶴がうつむいてそう謝ると、しばらくして大きなため息が聞こえてきた。
風間は一面ガラス張りになっている大きな窓の方へと歩いて行った。
「……やはり一緒に住むべきだということだな」
「……は?」
話がとんで、千鶴は目を見開いた。風間はこちらを振り向いて、なんでもないことのように続ける。
「一緒に住んでいれば、そういうわざわざ電話することもないような小さなことでも共有できるだろう」
「……」
これだけ迷惑をかけてしまった以上、反対意見は言えそうにない。
千鶴だって、風間ともっと会いたいと思う。でも、付き合いだしてデートもまだ三回目だというのにいきなり同棲は、さすがにちょっと抵抗があるのだ。
期間を決めた旅行とか一時同棲とかならまだ……
「あ、じゃあ!私の寮に引っ越してくるとかどうですか?鈴鹿学園の許可はいりますけど部屋は空いてるので……」
「却下だ」
くだらないことを言うなというように吐き捨てられて千鶴は黙る。
「じゃあ、じゃあ、レオパレスを借りるとか!」
「レオパレス……?聞いたことがあるな……」
「ウィークリーマンションです!これを借りてふたりでとりあえず一週間住んでみるとか……」
「……」
思いっきり冷たい瞳で見られて、再び千鶴は黙った。
「俺のマンションに越してくればいいだろう。何の問題があるのだ」
「問題は特にないんですけど……まだはやいんじゃないかなー…なんて……」
煮え切らない様子の千鶴を見て、風間の眉間のシワが深まる。
「それほど俺と一緒に住むのが嫌か」
千鶴は慌てた。
「そんな!そういうわけじゃなくて……そうじゃなくてもっとお互い知り合ってから……」
風間は窓際から離れると、再び千鶴のそばまでやってきた。そして千鶴の手首を掴むと瞳を覗き込む。
「お前について知るべきことは、俺はもう知っている」
そして強引に肩を抱くと、千鶴を引き寄せ彼女の髪に鼻をうずめた。
「怖いのは、俺が知らないせいで……お前が危険な目にあったり悲しい思いをすることだ」
「……風間、さん……」
風間の声が低く震えているように聞こえて、千鶴は顔をあげて彼を見ようとした。しかし再びぐっと広い胸に抱き寄せられてしまう。
「……失うことが怖くて大事なものを作らないようにしてきた。だが、できてしまった。臆病者と笑われるかもしれんが、俺はおまえが怖い。お前を……失うことが怖いのだ」
「……」
強い腕の力も震える声も、かすかに髪から漂う雨の匂いも、千鶴が土砂崩れに巻き込まれて立ち往生をしていると知ってからの風間の恐怖を表しているようで、千鶴は何も言えなくなってしまった。
風間に辛い思いをさせるのは千鶴だって辛い。
「……わかりました。その……じゃあ、一緒に住み、ましょうか?」
「……いいのか?」
腕の力が緩み、千鶴は風間の腕の中で彼と目を合わせた。
「はい。……私も、多分怖かったんだと思います」
「怖い?何がだ」
「ずっとひとりで生きてきて、ひとりで決めてひとりで考えるのに慣れていたから。風間さんといると自分が思ってもみなかった世界に連れて行かれるみたいで、ドキドキして……少し、怖いです」
風間の唇がふっと緩む。
そしてその唇が柔らかく千鶴に重なった。
安心させるような慈しむようなキス。いつもならつい固くなってしまう千鶴だったが、今は風間の心の柔らかいところに少しだけ触れたような気がして、優しく受け入れた。
ため息とともに口づけが深まる。
お互いを感じながら、言葉では伝えられない形のないものを伝え合った。

しばらくして唇を離すと、風間は満足そうに千鶴の髪をすいた。
「意外に簡単に了承してくれて助かった。これで断られたら……」
風間の言葉に、千鶴は何か次の考えがあったのかと彼を見上げる。
「断られたら……どうするつもりだったんですか?」
風間は、横目で千鶴をちらりと見る。
「車で毎日学園に送り迎えをしようと思っていた。白のフェラーリでな」
あんぐりと口を開けた千鶴を、風間は楽しそうに見る。
「当然、目立つからやめろだのなんだのうるさく言うだろう。そうしたら今度は学園の横の土地でも買収しようかと考えていた」
大体予想はつくが、千鶴は恐る恐る聞く。
「……買収してどうするんですか?」
「家を建てる。風間コーポレーション社長の自宅として恥ずかしくない家をな。そうすればいやでも毎日会えるだろう。そして毎日お前にそこに一緒に住むよう説得する」
千鶴はクラクラするめまいを抑えて、瞳を閉じた。
そんなことをもし本当にされていたら、鈴鹿学園で千鶴は伝説になってしまっていただろう。
保健の先生ではなく、『フェラーリの人』とか『豪邸の彼女』とか……ひどい場合には『ちょっとおかしな人』と同じくくりにされてしまっていたかもしれない。
二人の同棲生活について、風間のマンションにするかそれとも別に借りるか買うか、部屋割りは、内装は、場所は……と話している風間を見ながら、千鶴は早いうちに同棲にOKしてよかったと心から思ったのだった。


















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