【どんな人?】



黎明禄最終回素敵でしたねー。
それで書きたくなった屯所初期の斎千です。
CP要素、糖度は全くありません。特に何の事件もなくあの時期の一コマ的な感じです。










ビュッと空気を切る風切音が、斎藤の竹刀と千鶴のそれでは全く違う。
目を見張っている千鶴に、斎藤は竹刀を返す。
「こうだ。わかったか?」 
問いかけられて千鶴の目はきょときょとと動いた。正直早すぎてわからなかった。しかし『わからなかった』などと言っていいのだろうか?

以前斎藤に小太刀での千鶴の力を試してもらった。
その後、時間を見つけて千鶴は借りた竹刀で素振りをしていた。もちろん見張りの許可をもらい、さらに邪魔になったり他の隊士の目につかないようにこっそり、だが。今日の午後、斎藤が見張りをしているときに、千鶴がおずおずと『素振りをしていいか』と聞くと、斎藤は無言で立ち上がった。
その無表情に千鶴は怒らせてしまったかと青ざめたのだが、逆だった。
『いい心がけだ』
斎藤はそう言うと、縁側から千鶴よりも先に下り草履をはいた。そしてまだ部屋の中に居る千鶴を振り返る。
『来ないのか』
ようやく、素振りをしてもいいと言ってくれているのだと分かった千鶴は『は、はい!』と返事をしてあわてて部屋から出て中庭に下りたのだった。

何故か腕組みをしてこちらを見ている斎藤を意識しながらも、千鶴は素振りをした。
体を動かすのは気持ちがいい。自由の無い生活なのだからできるときに思う存分やっておかないとと思い、斎藤の視線が気まずいながらも素振りを続ける。
この『斎藤』という隊士は組長でもあり新選組内でも一、二を争う剣の使い手らしい。事実、夜の京の町であの化け物に襲われていたときに助けてくれたのは彼だ。いや、正確に言うと千鶴を助けてくれたわけではない。新選組と利害が一致しただけだ。あの化け物は……怖かった。正気を失った光彩のない赤い瞳。
しかしその化け物を斬り伏せた後千鶴に気が付いた斎藤の瞳を見たとき、千鶴は背筋を冷たいものが走るのを感じた。
斎藤の瞳は、さざ波ひとつ立っていない静かな湖面のようだった。体の芯から震えたのだ。怖い、という言葉で表せないほどの感情。
『異質』だと思ったのだ。
自分と全く違う。自分はこれまで幸せに表側だけを見て生きてきたのだと思い知らされた。
屯所に連れてこられ、部屋に投げ入れられたときも、かけられた言葉は冷たく情け容赦のないものだった。罵倒や罵り言葉の方がどれだけいいだろうと思う。静かな声で『最悪を想定しておけ』と。
他の隊士も怖いは怖いが、千鶴は斎藤が一番怖かった。
何を考えているのかわからない。
自分がどんな行動をとれば斎藤を怒らせないのか全く見当もつかないのだ。
とりあえず素振りをすることについては好意的なようだ。だからがんばって続けようとは思うのだが……
しばらく体を動かしていないせいで、もう腕がだるくなってきた。

でも今止めたら『もう止めるのか』とか言われそう……

そう思いながら続ける千鶴の素振りは、当然のことながらへろへろになっていき……
そして冒頭の斎藤の指導が入るのだ。
『貸してみろ』
と唐突に言われ、手を差し出されて千鶴はキョトンとしながらも自分の竹刀を渡した。斎藤はそれをピタッと正眼に構えるとビュン!と鋭い音をさせて素振りをする。
そして『こうだ。わかったか?』と。

千鶴は迷ったものの思い切って顔をあげた。
「すいません。あの、速すぎてよくわからなかった…です」
怒らせるかと思いびくびくしながら言ったのだが、意外にも斎藤は小さくうなずいただけだった。
「そうか。ではもう一度やろう。いいか、お前は上半身のみで振っているのだ。だからすぐに疲れてしまう。足をこのようにして……」
気を悪くするどころかさらに丁寧に教えてくれる斎藤に、千鶴は目を瞬いた。
どうやらまったく純粋に、剣を教えてくれるつもりのようだ。おまけにわかりやすいし、千鶴のくせや特徴まで把握して指導してくれている。
斎藤の言われる通りに竹刀を振りながら、千鶴は『斎藤』という人に対して考えを改めつつあった。

もしかしたら、単に無表情なだけでそんな意地悪でも疎ましがられているわけでもないのかもしれない。まだわからないけれど……

千鶴がそう考えながら、一歩踏み出して竹刀を振りかぶり、振り下ろそうとしたとき。
「待て!」
斎藤が鋭い声で、竹刀を掴んだ。
「はい!す、すいませんでした!」
何かまずいことをしてしまったのかと、千鶴は思わず謝った。
「あの、何かしてしまったんでしょうか?」
千鶴がそう聞くと、斎藤はちらりと千鶴の前にある庭木の茂みを指差した。そこは、千鶴が先ほど竹刀を振り下ろすと葉に触れてしまう箇所だった。
「見てみろ」
覗き込んだ斎藤につられて千鶴も葉と葉の間を覗き込むと。

「……カマキリ?」
そこには小さな緑のカマキリが、カマを振り上げ精一杯の威嚇をしていた。
「そうだ」

……まさか、千鶴の竹刀がこのカマキリを殺してしまうことを避けるために素振りを止めたのだろうか?と千鶴は目を見開いて隣の斎藤の顔を見た。
そして千鶴は、彼の表情を見てさらに目を見開く。
斎藤はカマキリを見ながら優しく微笑んでいたのだ。

静かな蒼い瞳に柔らかな光が浮かび、酷薄に見えた唇は柔らかく孤を描いている。
微笑んだだけで驚くほど印象がかわる彼を、千鶴はポカンと口を開けて見つめた。斎藤はそんな千鶴に気が付いていないようでカマキリに指を伸ばしながら言う。
「お前のカマがどれだけするどかろうが、竹刀との一騎打ちでは負けるぞ」
そしてからかうようにカマの前で指を少し動かした。

千鶴の『斎藤』という人に対する印象は、またもや変わった。

……もしかしたら彼は優しい人なのだろうか?
しかしあの夜、何のためらいもなく化け物を殺し、表情一つ変えずに死体から隊服をはぎ取ったのも彼だ。
だが、巡察に連れて行って欲しいとお願いした時に、頭から拒否をせずに『連れて行っても足手まといにならない力があるのなら』と、千鶴の実力を自ら試してくれた。と、いうことは、現実的で公平な面もあって。
最初の日に千鶴に冷たい言葉をかけたかと思えば、今、千鶴の素振りを指導してくれカマキリを助けている。

……いったいどんな人なんだろう。

千鶴は斎藤の整った横顔を見ながらそう思った。そして知りたいとも。
冷たいのか暖かいのか、優しいのか厳しいのか。
この無表情な男性の事を知りたいと思ったのだ。

後から考えてみれば、この『知りたい』がすべてのはじまりだったのかもしれない。
なぜ『知りたい』と思ったのかもわからない。江戸でもいろんな人と接していたし、新選組にも他の隊士はいる。

だが『知りたい』と思ったのは斎藤だけだったのだ。






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